*双極性障害*(躁鬱病)だったわたしの断薬日記。。

14年の「双極性障害」からの精神薬「断薬」。自身の経験を生かし、現在「ライフ・コーチ」として活躍。「礼」の活動奮闘日記。

自分でインナーチャイルドを癒す①

2016年09月01日 | 重要な心のスイッチ(変化)
精神薬に依存して12年、完全断薬して40日経ちました。

だいぶ、体の普遍や不調は気にならなくなりました。

毎日色んな事を考えます。

「なぜわたしはこうなってしまったのか?」「なぜ薬に依存してしまったのか?」「この先、どうすれば良いか。。。」など。

カウンセラーに、「あなたはアダルトチルドレンですよ」と言われた。

自分はずっと幸せな家庭に育ったと思い込んでいたけれど、常に「満たされない」「悲しい」「愛されたい」という感情に支配されていた。

【インナーチャイルドとは】

インナーチャイルドは、「幼い頃満たされなかった消化不全の感情」により「生き辛さ」を感じることです。

「どうして、こんなに恵まれているのに?」という状況でも、心の空虚感は満たされず、心からの満足、幸せは感じられなかった。

なぜなら、満たされていないのは、今の自分ではなく、幼少期の自分だからです。

「自分の中にある、インナーチャイルドを癒してあげなければ、わたしは絶対に幸せにはなれない」そう思いました。

【そこでわたしが考えた事】

今、ネット上では「インナーチャイルドセラピー」とか色々あるけれど、わたしは自分自身でなんとか向き合って、解決していこう!と、考えました。

第一回目は。。。

【①インナーチャイルドを突き止める】

ここに、わたしの子供の頃の辛かった事、悲しかった事を書き出します。

・わたしが幼稚園の時、大好きだった祖父がなくなった。わたしにとっては初めての「死」を知る体験だった。
ものすごく悲しかったのに、大人の前(親の前)で泣く事が出来なかったわたしは、こたつの中に頭を埋めて大泣きした。
まだ、5歳だった。
わたしが泣いていた事は、たぶん誰も知らない。

・小学2年になった時に、若い新任の女性の先生がクラスの担当になった。
わたしはとてもやんちゃで活発な子供だった。
予防注射の前の体温検査の時に、わたしはふざけていて、先生の体温計を割ってしまった。
先生はわたしの頬を思いっきり打った。顔が歪んだのではないかと思ったのを覚えている。
そして先生はわたしに言った。
「あなたの事だから、割ると思ってたわ!」
頬を打たれた事より、「あなたの事だから・・」と言われたのが、悲しかった。

それからその先生には、クラス全員と一緒に何かにつけてわたしを笑い者にするようになった。
生徒は先生の見方だから、わたしはのけ者。
クラスのみんなや先生のわたしを軽蔑するような目は今でも忘れられない。。。

でも、その事を、自分が悪いと思っている。

・小学校5年生になって、わたしはクラブでバスケを始めた。
ある時から、男性教師が頭ごなしにわたしに辛く当たってきた。
本当に酷いイジメだった。
わたしは人前で泣くことが嫌いだったので、必死に泣きたい気持ちをこらえた。
そのうち、その男性教師は他の生徒をイジメ始めた。
そしたら、その生徒はすぐに泣いた。
先生は何て言ったと思います?
「イジメたらこうやって泣くのが普通だよな!○○(わたしの名前)は、いつまで経っても泣かないんだよ〜」
って、思いっきり笑ってたんです。
先生は単に、女子生徒を泣かして楽しんでいるだけだったのです。
わたしはこんなくだらない大人の為に、必死で何が悪かったのかを考え、必死で泣くのを堪えていたのかと思うと、悲しくなった。。。

・小学校のわたしは成長も早く、歌などが得意だったこともあり、全校生徒の前で一人で歌ったり、考えたお話を読んだりと、とても目立つ存在でした。
小学校6年の時、隣のクラス担任の女性教員が全校生徒の前でわたしを指さして言った。
「みなさん、こういう人が中学になって不良になるんですよ!」と。。。
その悔しさから、わたしは中学に入り小学校が7校集まった1学年500人規模の学校でトップクラスを保った。

・中学に入り、とにかく目立たない様につとめた。
仲良くなった友達に誘われて軽音楽をやっていたが、中学2年の時に、文化祭でバックコーラスをやった時に、ボーカルより目立ったと言う事で、そこから悲惨な意地悪が始まり、それは中学を卒業するまで続いた。

・中学2年の時に、母が倒れて大手術をする事になった時、「死ぬかも知れない」と言われた時、わたしは自分の心が折れてしまうと察し、悲しい時、心をどこかに置いて行く事を覚えた。
そこから本当に辛いときの感情がなくなってしまった。

・家族にはどんなに辛いときも、何も言う事ができなかった。
また、わたしが辛かった事を知っていたけど、自分で解決させるために何も言わなかったと、大きくなって父に言われて、わたしはものすごく悲しくなった。
本当に死のうか。。。と、考えた程辛かったから。。。

・家族関係は、わたしはずっと姉の支配下にいた。自分の意思では何もやってはいけない。虐待(何度も死にかけた)。ずっと歯向かうことは出来ず、またその虐待を祖母が隠していたので、母は一部知らない。
中学になると、母と姉でわたしをものすごく監視するようになった。

そうそう、わたしが小さい頃、わがままを言いすぎた時、母に何日も無視された。
その時、わたしはもうわがままは言わないと誓った。
でも、その時もとても悲しかった。

悲しかった事はもっとたくさんあるけど、今思いつく「いつまで経っても忘れる事のできない、悲しい思い出」はこんな感じ。

今日は、ここまで。。。
(とは、言っても、書いている途中でとても悲しくなり、少し泣きましたが。。。)
続きは、また明日。

※ この記事は自分と向き合う為に書いたもので、誰かと比べて、「自分のほうが辛い」とか「わたしはまだ軽い方だ」とかは論外とします。