双極性障害と診断されて、精神薬を飲み続けて14年。断薬をして一年と2ヶ月半経ちました。
最近の日記は、自分の近況の気分下がったり物語。。みたいになっていましたが。。。
ちょっと、初心?に戻って、断薬をした際のプロセスを振り返ってみようと思います。
わたしが断薬をした際に、心がけた考え方が二つあります。
①自分の気持ちに忠実になる。
②依存という概念を捨てる。
この二つです。
詳しく説明します。
二つに分けましたが、わたしの中ではこれは、最後には一つになります。
まず、①自分の気持ちに忠実になる。
「自分はどうしたいのか?」「本当は何がしたいのか?」
心の声を大事にするようにしました。
「わたしは、精神薬を飲むのをやめたい!!」
そう強く思いました。
でも、心に忠実になるために、わたしは断薬をする時に、
今ある精神薬を捨てないで、目の見えるところ、飲もうと思えばいつでも飲める場所に
あえて置いていました。
そして、離脱症状で苦しい時に常に、心に問いました。
(飲みたければいつでも飲んでいいんだよ〜)って。
常に、自分の心に確認しました。
なぜか??
それは、自分の心に我慢をさせたくなかったからです。
「やめなければいけない」「もう飲んではいけない」
って、思うのっておかしいって思ったんです。
だって、「やめたい」と思ったのは自分なのに、
「やめなければいけない」って、なんか誰かに強要されたようじゃないですか??
だから、わたしはあえて目の前に薬を置いて、
(いつでも飲みたければ飲んでいいよ〜)って、心に言ってました。
その度に、「いや、わたしは自分の意思でやめてるんだよ!」って、思いました。
一見、酷のように感じるかもしれませんが、
人って、強要されたり我慢させられていると、逆に我慢できなくなります。
でも、心に余裕をもたせてあげると、依存がなくなるんです。
ちょっと話飛びますが、この考え方は、ダイエットとかいろんな事にも応用できます。
(この話はまた別の機会に。。。)
そして、②依存という概念を捨てる。
ですが、そもそも依存が悪い事だって思うことが悪いって、わたし思ってます。
最近やたらと「依存」「依存」って言葉を口にしますが、
それが本当に悪いと思っているなら、やめれば良いだけの話です。
さっきの「心に忠実になる」に通じます。
やたらと「依存」という言葉を使って、やめれない理由を「依存」に丸投げしてしているだけだと思います。
別に、やめれないならやめなくても良いんですよね。
だって、人にはそれぞれ都合ってものがあるので、
「やめれない」のではなく、「今は止める必要がないと思っている」だけのこと。
それを、自覚して、自分を認めてあげることが必要だと思います。
「本当にやめたい」って、思えば、あとは止めるだけなんです。
「そんな簡単にいうけど。。。」とか、人には言わなくても良いです。
「自分にはそれが必要なんだ」って、思えば良いんです。
簡単ですよね。
あと、付け加えるとすれば。
なぜ、自分がそうしたいのか??ってのを、明確にすると
より、意思が硬くなるような気がします。
ただし。
わたしのブログを結構読んでくださっている人は分かると思いますが、
わたしは精神薬をやめて、一年くらいまでは
「絶対に止める!」って、気が張っていたので、なんとか頑張って来れましたが、
現実がリアルになって、
「この先、どうやって生きていこうか。。。」
って、めっちゃ不安になりました。
こんなに辛いならいっそのこと、また薬に。。。とも思いました。
でも、ひたすら耐えて、無理しないで、辛い時は休んで。。。
考えて落ちて、持ち直して、落ちて。。。また考えて。。。
繰り返しながら、なんとか持ち直してきました。
人間の体と精神って、本当によくできているな〜と、痛感しています。
人間、本当に辛くなって耐えられなくなったら、ボケるか死ぬな。と、思いました。
これは、皮肉ではなく、自分の心と体で感じた、切実な感想です。
でも、なんとなくですが、人って、辛い状況を経験するとだんだん強くなるような
気がします。(考えてみたら、大して辛い状況もないですが。。。)
だからこそ、薬に頼っちゃダメなんですよね。
経験を積み重ねないと。。(わたしは14年間それから逃げてきましたが。。)
自分の人生は一つしかない。
しかも、誰も自分の人生がどんなものになるのか知らない。
決めるのは自分しかいない。
考えても答えなんてどこにもない。
わたしもまだ当分迷走が続くだろうと思いますが、
適度に楽しみながら、適度に考えながら、
心になるべく忠実になり(あまり忠実になりすぎても人間は欲深いものだから余計に迷走するw)、
ベストな状態で生きていけたらな〜〜と思う。