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・・・と言うことでもっともっとリハビリをしてメンバーと話していたい♪と強く思うようになりました。(10月12日)
金谷さんコンサートがあってその月末に退院。
音楽療法+リハビリそれと家事を出来る限りに熟しました。
主人は監視下に置かれて。。私は目が離せないですって。
退院後2週間でギターサークルサルビアへ開放されました。(11月2週目)
9月2週目からサルビア合奏はWI/GCともHYさんが、KGはKYさんがリードしています。みんなのギターがとても癒しなんです。
でもその日は夕方から動けません。やはり脳がエンストだったんですね。
退院後2週間でギターサークルサルビアへ開放されました。(11月2週目)
9月2週目からサルビア合奏はWI/GCともHYさんが、KGはKYさんがリードしています。みんなのギターがとても癒しなんです。
でもその日は夕方から動けません。やはり脳がエンストだったんですね。
そんな日でもサルビアメンバーから励ましてもらいました。
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その頃(10月上旬)のリハビリ病院の外出許可はコロナ感染対策の関係上難しいと思いましたが私の日頃の心掛けが良いのでしょう。。(笑)
私にとっては有意義な時間でした。
金谷さんの音楽にとても心地いい流れ、思っていく方向に私を誘うような・・、草臥れている何かに沁み込んでいくような・・ギターの生の音がありました。
金谷さんの音楽にとても心地いい流れ、思っていく方向に私を誘うような・・、草臥れている何かに沁み込んでいくような・・ギターの生の音がありました。
それまでに思っていた私の状況なんて何処へ行ってしまいました。
音楽の力って素晴らしい。。
この日にメンバーと再会しました。
と言っても1ヶ月、まだ5~6週目です。
この瞬間にメンバーの≪生きる力≫を吸収してきました。(笑)
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サルビアメンバーには入院中から励ましの声を常に頂きました。
感謝するしかありません。
緊急入院のあったタイミングは『ミューズの贈り物コンサート’2022』の準備段階で間もなくスタッフ打ち合わせの時。(9月10日)
演奏者・ご案内先を私から連絡している最中でした。
和歌山から四日市まで頂く金谷幸三さん(ギタリスト)とは詳細打ち合わせ済の段階でしたが私だけからの窓口。。。
ICUから出てきた時に伝えたい言葉はそのことでした。
個人的なモノよりもサークル大事。。(笑)ただ口に出せないんです。
『何も心配することないから!』『十分時間があるから・・!』と主人に言われましたがその通り!まだ生きていくんだからその通りなんです。(笑)
脳梗塞の強い薬を使っているので一時的な現象とも思うし後に残る場合もあるし、自分自身が分かっていれば良しと早くに結論していました。
後はサルビアのお任せで。。
後はサルビアのお任せで。。
スタッフにお任せ、みんなギター仲間の同志感覚で導き頂くものと長年の関りを信頼していました。
リハビリ病院転院後、主人にから(主治医を申し出て外出許可を得て)『ミューズの贈り物コンサート』に参加出来るように手配をしてもらいました。諦めていたので感謝でした。。
その頃は(10月12日頃)『もうメンバーと話せない!ギターも弾けない!』と思い込んでた時期。。お別れの挨拶・・・となるかも・・・は正直ありました。発症1ヶ月後のヤケだそうです。(笑)
でも、、、サルビアメンバーに支えられました。
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友人・ギター関係者にも大変ご心配お掛けしました。。
退院して来てPCを触ってから徐々にコンタクト始めましたが、あまりにも多くてメール・Lineに返信は返すこと出来ずご無礼しました。
訓練の筆記も『あいうえお・・・』から復習ともなればローマ字入力はどれほどのかが分かってもらえるかがわかりますよね。
文章の構成も『何か変・・』があります。何度も書き直して、、時間かかります。漢字・英単語はそのままですが「ひらがな・カタカナ」は影響受けています。これは後遺症で努力次第で…と楽観視しています。
だからこそお仲間の存在が重要に、音楽をいつも感じていることが大切なことだと思いました。
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家族・親戚はじめ周囲の人に支えられて来ました。
これまで以上に人に囲まれていることに実感しています。
日常の生活はまだ自立できない部分があっても時には甘える所の部分もありますが出来る方向に進めています。それがリハビリでもありますからね。
失語症は私の場合は『見る➡理解➡※表現する(言葉・文章)』ことに難があります。言葉が(瞬時には)思う通りには出来ないこともあります。
文章では時間かかるけどまだ伝えることは出来ます。
それをリハビリしてします。7ヶ月余り過ぎました。。
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サルビアメンバーに見守らながら ④と『以下省略』としましたが入院生活は一言では言い表すことはできませんね。
でもこんな年齢にもなれば不都合なあって当たり前。
それが免れていたらラッキーと思うだけの事なんです。
それが免れていたらラッキーと思うだけの事なんです。
私は失語症が後遺症が残りました。
右手(&足)は≪元のまま≫と言うのは噓になります。
右手(&足)は≪元のまま≫と言うのは噓になります。
でもこうしてても時は進んで行きます。
とにかく次の足を踏み出さなければと思いました。
とにかく次の足を踏み出さなければと思いました。
音楽療法・・姪に頼みました。(毎週1回)
エステ・・・別の姪に(隔週1回)
リハビリ通院・・毎週1回
ギターサークル・・毎週火・水・金
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救急搬送された病院から半月ほど後に地元のリハビリ病院へ転院。
ここで1ヶ月でリハビリをいくつかしました。
当初は3ヶ月必要としていましたが一日も早く社会復帰をしたいと本人の希望で。。以下省略。。(笑)
ということで2ヶ月振りにサルビアへ戻って来ました。
*主人の送迎で付き
*みんなのギターの中に
*不自由な言葉で短く
これだけでも幸せでした。
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発症の1週間後は順調に回復。
メンバーからのLineメッセージに励ましを頂きましたが思う程にはスマホ操作できず、この頃が一番孤独感を感じました。
メンバーからのLineメッセージに励ましを頂きましたが思う程にはスマホ操作できず、この頃が一番孤独感を感じました。
自室のテレビがあるものの利用方法も教えてもらわず(尋ねる言葉は分からない)、この頃楽しみはメンバーの名前を思い出すことでした。
A4用紙とサインペンと書き損じがゴミ箱の一杯。。(笑)
この頃は左手で書いていました。
それでもリハビリ病院転院が決まる頃にはサルビアメンバー全員思い出しました。副作用で一時的なものでそれほど心配はなかったです。