春はあけぼの、ならぬ、
想い出。
なんだか、春になると心が浮つくのと同時にちょっと沈んだりもする。桜餅の塩漬けの桜の葉が、淡いピンクと甘いあんこに相対して、より一層互いの存在を際立たせる、私にはそれが、春。
心が浮つくのは、寒い冬から寒い雨ごとに暖かさが増してウキウキするのと、新学期や新年度で新しいことが始まる予感が高まるようなことだと思う。
それと一方では、卒業式などのように、区切りを迎えて来し方を振り返るのかも。
それが想い出。
私は最近の息子であるうちの王子のバイト先の話を聞きながら、
ああ、呼んでも振り向かなかった子がね、とか、
お墓詣りだから特別に、駅の売店でチョコを買ってあげたら、終始その事ばかり「えきでさ、チョコ、かったんだよ、ねーっ」と何度も言って、バァバを心配させ、基本ケチな私をゲンナリさせた、あの子がね、とか、
保育園に歩いて通っていた私たち、ママ友にお迎えを頼んだら、みんなみたいに自転車乗りたい、つまりママチャリの幼児用シートに座りたいと言ってママ友の心を揺さぶったあの子がね。
ほかにも、小学校1年生に上がり、私が仕事を終えて帰宅すると、玄関の暗い廊下の端、ランドセルを背負ったまま、仰向け大の字で寝ていた、あの、子が、ねー。
今やバイト先での周囲の仕事の進め方に物申すのを聞いてあの、幼かった子が、言うようになったものだと、想うのだ。
加えて、そのバイト先での悲喜こもごもが、私を励まそうとしているかのようである。まぁ、思考の質が重なるところのある彼が外で応酬する内容に対して、私がアドバイスすると、まるで自然と私を鼓舞することになるのが、ちょーっと、いや、ちょー、嬉しいのである。
まったく、馬鹿もバカ、大バカである。
王子のドヤ顔を見ていると、これまで見知った幼さと、外ではそれなりに一人前にやっているようだと、誇らしく感じる。感謝である。
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