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古今東西のアートのお話をしよう

「女の四人の会」について


「女絵師女うたびとなど多く浪華は春も早く来るらし」

(吉井勇 大正9年) 


『ゴンドラの歌』命短し恋せよ乙女🎵の作詞で有名な歌人吉井勇の

言葉です



20世紀初頭モダニズムの大阪は女性が文化人として活躍する街でした。
大正元年(1911)北野恒富、野田九浦らに師事した20歳の島成園が文展にデビュー。京都の上村松園、東京の池田蕉園に並び大阪の島成園で「三都三園」と称された。


大正5年(1916)島成園を軸に、「女四人の会」が結成され、西鶴の「好色五人女」をテーマにグループ展が開かれた。



女四人の会

メンバーは、写真左から岡本更園吉岡(木谷)千種島成園松本華羊、いずれも20代の若き女流画家です。



彼女たちの女性像(自画像)を
見ながら、特徴を見ていきたい



岡本更園(1895〜不明)「秋のうた」大正3年(1914)

文展デビューの自画像。アール・ヌーヴォー、ミュシャの影響が強く、明瞭な輪郭線が特徴



吉岡(木谷)千種(1895〜1947)の「舞姫図」大正5年(1916) 

千種は、12歳で渡米しシアトルで洋画も学んだお嬢様。色彩豊かな可愛らしい少女漫画のような「舞姫図」




島成園(1892〜1970)「無題」大正7年(1819)



島成園

架空の痣(あざ)を描き、女性の悲痛な内面表現に迫る自画像と言われるが、見るものへの挑発ではないだろうか




松本華羊(1893〜不明)「殉教(伴天連お春)」大正7年(1918)

最新の研究によると、描かれているのは、伴天連お春ではなく、新歌舞伎「切支丹屋敷」の主人公遊女・朝妻ではないかといわれている。確かに、着物の柄に「朝」「妻」が確認できる
朝妻は、恋人である刑吏により処刑される場面。華羊は幼い頃、階段から落ち脚が不自由だったらしい。手鎖に繋がれ地面に崩れる朝妻に自身が投影されているかもしれない


彼女たちの活躍で、秋田成香、伊藤成錦、菊池成輝、高橋成薇、吉岡美枝ら大阪の女流画家が生まれた。


大阪の女性たちは、今も昔も
素敵ですね😉🙆


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