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古今東西のアートのお話をしよう

2024/11/13

近代数寄者(茶人)の一人、荏原製作所創業者、畠山即翁こと畠山一清(1881〜1971)は東京白金台の私邸に、自身のコレクションを展示する「畠山記念館」を1964年に開館した。


2019年3月から改築工事のため長期休館し、2024年10月5日に「荏原 畠山美術館」としてリニューアルオープンした。


門の家紋は、能登の守護大名畠山氏の紋で、畠山一清はその末裔


庭園に新たに水盤が配置された


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開館記念展は、
展示作品は撮影禁止のため、写真はネット画像を借用しました。

Ⅰ . 祝祭の宴〈本館2階展示室〉
狩野探幽 白鳥図 江戸時代17世紀

大変モダンな洋風の感じがする白鳥図、展示の中で目立っていました
たぶん、西洋画の粉本があったのでは?
写真は無いが、「竹林山水図伝夏珪 南宋時代13世紀、とても気に入りました
左、重要文化財 伊賀花入 銘からたち 桃山時代17世紀
右、重要文化財 割高台茶碗 朝鮮時代16世紀
Ⅱ. 能楽ー美意識の支柱〈新館2階展示室〉
即翁は、能に親しみ、宝生流の免許皆伝
新館 苔庭

庭園は、ヨーロッパ/日本で活躍する建築デザイン集団「KunstWet 」がてがけている

泉屋博古館東京に向かう


『新潟県に生まれた尾竹越堂(おたけ・えつどう1868~1931)、竹坡(ちくは1878~1936)、国観(こっかん1880~1945)の三兄弟は、明治から昭和にかけて文部省美術展覧会をはじめとした様々な展覧会で成功を収め、まさに「展覧会の申し子」として活躍しました。しかしながら、竹坡を筆頭に実験的ともいえるラディカルな表現を試み、また時にエキセントリックな生き方を貫いた尾竹三兄弟は毀誉褒貶にさらされ、美術史の語りから零れ落ちていきました。展覧会制度の光と影のなかで、新しい日本画の可能性を示した彼らの革新的かつ魅力に溢れる作品は、きっと今の私たちの眼にも新鮮に映るはずです。
』泉屋博古館東京HPより

展覧会は、撮影禁止のため写真はネット画像を借用しました。
尾竹三兄弟 右上、越堂 左、竹坡 右下、国観

尾竹国観 絵踏 1908
(この作品のみ撮影可)

『絵踏』は、明治43年に国画玉成会に出品されるも、翌日の懇親会で竹坡が、会長の岡倉天心に、自身が審査員に選ばれなかった事を面責したため、竹坡は除名、国観も退会した。そのため、すぐさま撤去された幻の作品。そののち、尾竹三兄弟は美術史から消された?

オタケ・インパクト
日本画アナキズムの代表作品
尾竹竹坡 星の冷え・月の潤い・太陽の熱 1920

未来派の影響を受けた作品


尾竹竹坡 大漁図(漁に行け) 1920

インド人のような顔立ち、魚も見慣れぬ形、密集する図はインドの細密画、川端龍子を先どっている


尾竹越堂 失題 大正時代

リニューアルした、荏原 畠山美術館の庭園は無料で見学できます。

泉屋博古館東京のオタケ・インパクトは、知られざる尾竹三兄弟の画業を知るチャンス!!

★★★★★

お勧めします



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