綿あめプーさん&あるび

綿飴ぷーさんの「けやきの会」(長岡市にある障がい者関連団体)と白馬山麓の実家の話題&アルビッレクスサポ日記

間に合わなかったYシャツ

2009年10月08日 | ぷーさんのつぶやき
前の続きみたいな投稿です。

ぷー爺は定年まで東北電力に働き、その後は実家に戻り、建設会社の地元の現場事務所長を10年ほど努めました。
その間ずっとYシャツを着てましたから、先週の日曜日もブルー系のYシャツでした。

ぷーさんの仕事がスーパーですから、しばらく前から自分で買物するのが趣味みたいで、9月27日もスーパーに買物に行きたいと言い出し、一緒に店内を回りました。
50歩位歩くと息切れで立ち止まりながらも楽しそうでした。
爺のYシャツに染みがあったので、洋服屋さんに寄りたかったのですが、疲労が見て取れましたから実家へ帰り、昼食は爺が買ってきた精進寿司をご馳走になりました。
いつもは生寿司なのに、何で精進寿司なのか不思議でした。
食べ終わると、その場にごろんと寝ころんですやすやと眠りはじめたので、ぷーさんは長岡に帰ってきました。
自宅に帰る前に洋服屋さんでYシャツとパジャマを買って、翌月曜日に爺のところに宅急便で送りました。

その月曜日の夜に婆から電話で「意識を失って、今は戻ったけど、これから救急車で入院する」と言って来ました。
ぷーさんは次の日に大事な会議があったので、火曜日朝にその段取りをつけてから糸魚川に向かいましたが、その途中でドクターから携帯に「肺炎も併発しているので、脳死を防ぐために気管挿管」の判断を求めてきました。
北陸道を140kmで走行しながらの判断で挿管をお願いしました。
その後、ぷーさんも病院で見守っていましたが、徐々に血圧が低下し、土曜日に妹と孫が枕元に着くのを待ってから、静かに、自らの意思のように心臓を止めました。

ぷーさんの送ったYシャツが入院後に届いたので、一緒に持っていっていただきました。


爺は若い頃から俳句を趣味にしており、俳号は山岸珠樹。
「麓」の同人をはじめ県の俳句協会や地元の俳句グループのいくつかに参加していました。
http://members.jcom.home.ne.jp/naito623/sub6311.html

爺の書斎には俳句手帳が数十冊積み重ねて置いて有りました。
新しい手帳にあった最後の5句のうちの一句です。

我が死後も かく盆経の 通り雨




たぶん前の週に書かれたもので、いつもは律儀な字を書くのですが、かなり乱れた字でした。

書斎には自筆の色紙もたくさんありました。
その1枚です。

「沙羅咲いて 朝の湿りの 座禅石」


最後まで優しい爺でした。