2004年10月27日の午後、行方不明になっていた小出町の主婦皆川貴子さんら母子3人のうち、長男の優太君(当時2歳)が東京消防庁のハイバーレスキュー隊や緊急消防援助隊、警察の広域緊急援助隊など多くの皆さんの懸命な努力で救出されました。
10月23日の地震発生から4日ぶりに、旧17号線「妙見」(地名)の土砂崩れ現場、
ワゴン車と岩の小さな隙間からの奇跡の生還でした。
私は地震発生以来、復旧対策や避難所への救援物資の手配で24時間勤務で会社にいましたが、期せずして対策本部のあるフロアに拍手が沸き起こったことを鮮明に覚えています。
体験したことの無い大地震、多発する余震で心が萎えはじめた私達はじめ被災地にとって、一筋の光が見えた瞬間だったように思います。
残念ながらその後、お母さんは遺体で収容され、長女の真優さんも死亡が確認されました。
今日、その地を通る用事があったので、お花を添えて、皆川さん母子のご冥福をお祈りしてきました。
「妙見メモリアルパーク」となっており、献花台も常設されています。
10月23日の地震発生から4日ぶりに、旧17号線「妙見」(地名)の土砂崩れ現場、
ワゴン車と岩の小さな隙間からの奇跡の生還でした。
私は地震発生以来、復旧対策や避難所への救援物資の手配で24時間勤務で会社にいましたが、期せずして対策本部のあるフロアに拍手が沸き起こったことを鮮明に覚えています。
体験したことの無い大地震、多発する余震で心が萎えはじめた私達はじめ被災地にとって、一筋の光が見えた瞬間だったように思います。
残念ながらその後、お母さんは遺体で収容され、長女の真優さんも死亡が確認されました。
今日、その地を通る用事があったので、お花を添えて、皆川さん母子のご冥福をお祈りしてきました。
「妙見メモリアルパーク」となっており、献花台も常設されています。
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