雷インパルス試験波形で、規格にはないが長らく日本国内の主に通信分野で用いられているものに、10/200us(旧表記:10×200us)というものがあり、少なくとも1960年代後半には存在していたことを確認している。
本田英昌、真田雄三、原崎三郎、菅井恭輔:放電用炭素電極に関する研究I-炭素電極の気中放電特性と物理特性との関係、No.47、pp.23-29(1966)→J-STAGE
平塚憲一、田崎公郎、富田邦明:PCM-24方式の避雷回路の動作とその改善、電気通信施設、Vol.19、No.4、pp.104-109(1967)→国立国会図書館デジタルコレクション
新しい避雷器を2号炭素避雷器:仕3765-1(S40.08.17)と比較する際にも用いられていた。
川嶋功:新小形電話機用避雷器、電気通信研究所研究実用化報告、Vol.22、No.2、pp.533-552(1973)
鈴鹿電気通信学園線路技術部編:線路保安と雷害対策の実際、電気通信協会東海支部、pp.49(1971)
炭素避雷器を含む加入者保安器の開発には日辰電機というメーカーが深くかかわっているようで沿革のページでも紹介されている。
本田英昌、真田雄三、原崎三郎、菅井恭輔:放電用炭素電極に関する研究I-炭素電極の気中放電特性と物理特性との関係、No.47、pp.23-29(1966)→J-STAGE
平塚憲一、田崎公郎、富田邦明:PCM-24方式の避雷回路の動作とその改善、電気通信施設、Vol.19、No.4、pp.104-109(1967)→国立国会図書館デジタルコレクション
新しい避雷器を2号炭素避雷器:仕3765-1(S40.08.17)と比較する際にも用いられていた。
川嶋功:新小形電話機用避雷器、電気通信研究所研究実用化報告、Vol.22、No.2、pp.533-552(1973)
鈴鹿電気通信学園線路技術部編:線路保安と雷害対策の実際、電気通信協会東海支部、pp.49(1971)
炭素避雷器を含む加入者保安器の開発には日辰電機というメーカーが深くかかわっているようで沿革のページでも紹介されている。