■「少女」つづき
「男の芝居をやりたい!」と思っている。私は少年時代より少女趣味について偏見を持っているからだ。それは母性愛への反抗の時期を迎えた頃に男として目覚めたと言える。何が愛だ、恋だ、安定し定住することに拒否反応があった。
冒険である。冒険することが何よりも男のロマンだと思えるようになった。旅に出よう。
「家」や「日常」から遠く離れたところには何が待っているのだろうかと夢を見る少年になっていた。
実際、冒険はロマンに満ち溢れたものとはほど遠い。冒険は貧困との戦いだった。働いて生活するだけで精一杯の時もあった。その時を迎えた時、心までもが貧しくなったものだと気付いたのは血を吐いて入院を余儀なくされた時だった。一回、死んだと思った。胃を切除されて生き返った。少年から大人になった時だった。
世の中は「父性社会から母性社会」に代わっていた。働く男たちが疲れ切っていたように見えたのは父が癌で亡くなった死顔を拝んだ時。人は死ぬのだ。それから30数年後、母も94才で亡くなった。
振り返れば昨日まで少年少女だった劇団員たちが舞台で暴れている。二十歳を過ぎた大人にはなっているが少年少女の無邪気さが見える。
今回の「KAGUYA」では子捨て、口減らしの悲劇を思わせる場面を散りばめた。美しさや面白さには、その裏側に毒がある。毒を舐めると人は死ぬが、劇では生き返る。虚構はリアルを超えてしまう凄さがある。
紅数点、女たちは毒を持って舞台に立つ。お客様も生き返る。私はそういう劇を目指している。
少女たちは笑う。そして泣く。ことばをも失う。得体の知れない感動がある。虚構ではあるが、生きている形を作ろう。少女たちの存在は中心に置かれる。これも逆説的に男の芝居である。
■正義の味方「月光仮面」について
何処の誰だか知らないけれど♪
劇では正義の味方はあっけなく撃たれて死ぬ。それは正義の味方が複数存在したからである。
バキューン!・・・「正義」は戦争の匂いに満ち溢れている。「正義」と言わなければ敵を倒す根拠がなくなる。敵とは「悪」である。言いかえれば鬼退治の言い訳がなければ正義とは言えない。
「KAGUYA」では「月」つながりで月光仮面を登場させたのであるが、ここにセーラームーンが登場するとどうなるだろうか。或いは忍者部隊月光が入り乱れるとどうなるか。
「正義」が反発し合うようになる。「われこそは!」自我の出し合いになる。
現実、戦争は悲劇でしかないが、舞台で喜劇になってしまうのは何故だろう。悲しいから笑える、楽しいから泣ける、人の感情は単純な神経ではないことがわかる。
「男の芝居をやりたい!」と思っている。私は少年時代より少女趣味について偏見を持っているからだ。それは母性愛への反抗の時期を迎えた頃に男として目覚めたと言える。何が愛だ、恋だ、安定し定住することに拒否反応があった。
冒険である。冒険することが何よりも男のロマンだと思えるようになった。旅に出よう。
「家」や「日常」から遠く離れたところには何が待っているのだろうかと夢を見る少年になっていた。
実際、冒険はロマンに満ち溢れたものとはほど遠い。冒険は貧困との戦いだった。働いて生活するだけで精一杯の時もあった。その時を迎えた時、心までもが貧しくなったものだと気付いたのは血を吐いて入院を余儀なくされた時だった。一回、死んだと思った。胃を切除されて生き返った。少年から大人になった時だった。
世の中は「父性社会から母性社会」に代わっていた。働く男たちが疲れ切っていたように見えたのは父が癌で亡くなった死顔を拝んだ時。人は死ぬのだ。それから30数年後、母も94才で亡くなった。
振り返れば昨日まで少年少女だった劇団員たちが舞台で暴れている。二十歳を過ぎた大人にはなっているが少年少女の無邪気さが見える。
今回の「KAGUYA」では子捨て、口減らしの悲劇を思わせる場面を散りばめた。美しさや面白さには、その裏側に毒がある。毒を舐めると人は死ぬが、劇では生き返る。虚構はリアルを超えてしまう凄さがある。
紅数点、女たちは毒を持って舞台に立つ。お客様も生き返る。私はそういう劇を目指している。
少女たちは笑う。そして泣く。ことばをも失う。得体の知れない感動がある。虚構ではあるが、生きている形を作ろう。少女たちの存在は中心に置かれる。これも逆説的に男の芝居である。
■正義の味方「月光仮面」について
何処の誰だか知らないけれど♪
劇では正義の味方はあっけなく撃たれて死ぬ。それは正義の味方が複数存在したからである。
バキューン!・・・「正義」は戦争の匂いに満ち溢れている。「正義」と言わなければ敵を倒す根拠がなくなる。敵とは「悪」である。言いかえれば鬼退治の言い訳がなければ正義とは言えない。
「KAGUYA」では「月」つながりで月光仮面を登場させたのであるが、ここにセーラームーンが登場するとどうなるだろうか。或いは忍者部隊月光が入り乱れるとどうなるか。
「正義」が反発し合うようになる。「われこそは!」自我の出し合いになる。
現実、戦争は悲劇でしかないが、舞台で喜劇になってしまうのは何故だろう。悲しいから笑える、楽しいから泣ける、人の感情は単純な神経ではないことがわかる。