寺山修司は「夢の中は治外法権である」と言っていた。
夢の中を表わそうとする劇は治外法権であるべきだと思う。劇に限らず、夢の中を表わそうとする音楽も美術も表現に関わる全ての分野にも言える。
「表現の自由」あるいは自由な表現を志す者たちにとっては<治外法権>=<無政府状態>こそが新しい価値を生み出す可能性が大だと思うからである。
物理的なことではない。
夢の中=妄想は精神(こころ)の中の問題だ。ここに規制が入り込むことはない。
だが、このことに恐怖を抱く存在もあることは確かである。
政治という存在。政治は物理的な権力を要求する。国益であり国権でもある。(国民の権利ではない。人権と国権は対立する。)
国権と人権(国民)が対立すると内乱になり、国家同士の対立は戦争を引き起こす。
私は危機意識を持っている。
この国の近い将来にとても不自由な社会が見えるのである。もう始まっているのだ。
「夢の中」や「妄想」まで管理されてしまう怖い現実が来る。
妄想は治外法権である。
次回公演 劇団夢桟敷「レミング」(作:寺山修司)は覚悟を決めて虚構を形にしよう。
その仕掛けが役者たちの精神(こころ)の中に芽生えなければ劇は死ぬ。
舞台は物理になる。もうひとつの思想を持たなければ!もうひとつの政治だ。
内乱の劇。これが「夢の暴力」として位置付く。
夢の中を表わそうとする劇は治外法権であるべきだと思う。劇に限らず、夢の中を表わそうとする音楽も美術も表現に関わる全ての分野にも言える。
「表現の自由」あるいは自由な表現を志す者たちにとっては<治外法権>=<無政府状態>こそが新しい価値を生み出す可能性が大だと思うからである。
物理的なことではない。
夢の中=妄想は精神(こころ)の中の問題だ。ここに規制が入り込むことはない。
だが、このことに恐怖を抱く存在もあることは確かである。
政治という存在。政治は物理的な権力を要求する。国益であり国権でもある。(国民の権利ではない。人権と国権は対立する。)
国権と人権(国民)が対立すると内乱になり、国家同士の対立は戦争を引き起こす。
私は危機意識を持っている。
この国の近い将来にとても不自由な社会が見えるのである。もう始まっているのだ。
「夢の中」や「妄想」まで管理されてしまう怖い現実が来る。
妄想は治外法権である。
次回公演 劇団夢桟敷「レミング」(作:寺山修司)は覚悟を決めて虚構を形にしよう。
その仕掛けが役者たちの精神(こころ)の中に芽生えなければ劇は死ぬ。
舞台は物理になる。もうひとつの思想を持たなければ!もうひとつの政治だ。
内乱の劇。これが「夢の暴力」として位置付く。