日時…2022.5.1(日) 天気…晴れ
①西方寺入口13:24→西方寺山門下13:28→②役夫死者の碑13:31~:33 →③13:43→九品寺13:44→④分岐13:47→宮地嶽神社正門13:48→⑤階段13:57→⑥松浦鉄道の高架下→⑦「松川」14:14
※本日の歩行沿面距離…1970m
※ 画像の左上に◎がついたのは以前に撮影したものです。
①西方寺入口 本日はここからスタートしました。
西方寺の石垣 まるで城壁ですね
西方寺の山門
◎
西方寺
◎
◎ 参道の地蔵さん
②役夫死者の碑(中央の石碑)13:31~13:33 隣に観音堂がありました。
同上の観音像
役夫死者の碑
同上を拡大致しました
同上
往還の風景
③坂道
坂道の途中右側にあります
◎
宗祖 法然上人像
◎
④分岐 直進して宮地嶽神社の正門?へ向かいます
宮地嶽神社13:48
→の方向に進む
宮地嶽神社下を迂回しながら
旧〇〇交番の横に出ます。左折して最初の信号を右折します
高層マンションの下の入口へ向かう
⑤階段(高層マンションの下)13:57
階段を上がり直進します。
金網の扉から進むと
千住病院前の道路に出る 右折して突き当りを左折
裁判所の前を通過して左カーブして
下っていくと松浦鉄道の線路が見えてきます ⑥ガード下を通過して車歩分離式信号を直進して、右に体育文化館を見て直進します。 本島町からの広い道路に出たら左折。
白い建物の手前を右折
直進して松川橋を渡ると、
⑦「松川」に到着 14:14
この区間にも「平戸往還」の道標は一つもありませんでした。 前回アップの松川→藤原一里塚区間には要所々にありましたが…
◎ ル-ト地図のA地点(国道35号線脇)
「…この辺りは平戸往還の宿場だった所で、相神浦筋郡代役所の横にはに庄屋屋敷があり、佐世保の政治.交通の中心地だったようです。またこの庄屋屋敷が、明治7年(1874年)9月に開校した佐世保小学校の校舎として利用されるなど、教育文化の発祥の地でもありましたが開校したことを伝える記念碑が立っています」 説明文の出典…佐世保市大久保地区のホ-ムペーシより
「佐世保の教育この地にはじまる」と刻まれています。
右「明治七年九月創立第五大学区長崎県管下」 左「第四中学区彼杵郡佐世保村佐世保小学校跡」 と刻まれいます。
同上の一部を拡大
同上
地元の事なのにあまりにも知らな過ぎでしたね。これからは積極的に出歩いて勉強をしたいと考えはじめたところです。