A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

このアルバムを聴くと・・・サドメルの最初の来日を思い出す。

2012-01-21 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Monday Night / Thad Jones & Mel Lewis Jazz Orchestra




サドメルのアルバムの棚卸し紹介も大方終わっていると思ったら、このアルバムの記事が見当たらない。自分にとっては一番思い入れのアルバムだっただけに最初に書いたような記憶があったのだが。

サドメルの本拠地ビレッジバンガードのライブの3枚目(ソリッドステートからは2枚目)のアルバムだが、このアルバムが録音された年、1968年の夏にサドメルは最初の来日を果たしている。このブログでも何度か書いたように、この最初の来日は公演予定が全く決まっていなかったなか、レギュラーメンバー17人が全員揃って家族共々来日してしまったという状況であった。クインシージョーンズのオーケストラがヨーロッパに渡ってから仕事がキャンセルになってしまい、メンバー全員でヨーロッパを渡り歩いたという事件があったが、そのミニ版のような話だ。ジェロームリチャードソンはその当事者、またかと思ったに違いない。

幸いにも自分もそこに居合わせることができたピットインでのライブ自体の感動はまだ鮮明に覚えているが、年と共に周辺情報は大分忘却の彼方に消え去っていた。先日古いスイングジャーナルが出てきたので、早速記事を探すと1968年9月号にその経緯と記事が載っていた。記事を読みながら当時の記憶が鮮明になってきた。

その日、自分は午後渋谷のヤマハに行っていた。多分13日の土曜だったと思う。店内でジャズの無料のミニライブをやっていたので、それを聴くのが目的であった。当時は浪人生活をおくっていたが、高校の時よりはるかに街へでかける機会が増えていた。ジャズ喫茶にも入り浸っていたが、このヤマハのライブは生の演奏を聴けるのが楽しみでよく仲間とつるんで行ったものだ。その日の出演者は覚えていないが、前田憲男や猪俣猛の演奏を生で初めて聴いたのはそのヤマハのライブだった。

その日もライブに行くと、「サドジョーン&メルルイスオーケストラ」が来日して、今晩新宿ピットインでライブがあるとの張り紙があった。半信半疑でその夜ピットインに行くと、確かに入口に「本日特別公演 サドジョーンズ・メルルイスオーケストラ」の張り紙が。
伊勢丹会館の裏にあった、間口の狭い100人も入れない狭い店内。店の奥に背広姿でメンバーが席につく。夏の熱い夜に、客もギッシリ入ると会場は演奏前から熱気が満ち溢れていた。
そして演奏が始まる。雰囲気はこのアルバムのビレッジバンガードとまったく同じ、いやそれ以上であった。

この時のサドメルの演奏に関してのスイングジャーナルに載っている評論家の油井正一氏の記事を紹介しておこう。

以下、転載始め・・

演奏会評 油井正一
サド・ジョーンズ=メル・ルイスのザ・ジャズ・オーケストラ

別項「来日公演の舞台裏」で報道した通りサド・ジョーンズ-メル。ルイス楽団は拙劣なマネージメントにために、ほんの一握りのファンに大感激を与えただけで世にも哀れな日程を終えた。
 こういう演奏会評を来日の事実すら知らなかった多くの方に読んでいただくのには、釣りのがした魚の大きさを誇示するようで気がひけるが、聴けた人(のべ約2,000人あまり)は皆手放しで絶賛している。それはこのバンドが他のビッグバンドにみられないいくつかの特色をもっているためである。以下箇条書にして説明してみよう。

1. ●白人黒人オール・スターズによる混合編成。
メンバー (省略)
こうしたインテグレーテッド(混成)バンドの来日はこれが始めてのことである。

2. ●サド・ジョーンズの指揮の卓抜さ
何人もサド・ジョーンズの指揮がこれほど卓抜だとは何人も予想しなかった。彼が永く勤続したカウント・ベイシーのそれではなく、デュークエリントンのような派手な動きとメンバーの掌握力を持っている。同じ曲でも日によってちがったソロイストを指名し、その出来によってはもうワン・コーラスを追加させる。各人のソロはかなり長く、ほとんど何れの曲にも無伴奏フリー・リズムの箇所があり、ソロイストの実力がすっかりわかるように仕組まれている。

3. ●メンバーの仲のよさ
ソロがはじまると全員がその方に体を向け、いいフレーズが出ると喜び、変な音が出るとアレッと驚き、ギャグ的引用フレーズには腹を抱える、一寸他のバンドにみられぬことだ。他人がソロをとっている間、楽譜を整理したり、手持ちぶさたな仕草を見せるバンドはぜひこのゆきかたを見習うべきだ。なかでも最も目立つ位置にいるジェローム・リチャードソンは表情だけでも千両役者の貫禄充分である。「本当に気の合った仲の好いバンドだな」と思う。事実すごく仲がいい。サドとメルを残して全員が離日した日、あまりにも手痛い打撃をうけた2人のリーダーは手をとりあって涙を流し「申し訳ないことをしたなあ」と泣いたのである。これを見た渡辺貞夫夫人も貰い泣きし、「うちの主人もああいうリーダーになってほしい」といったそうだ。

4. ●スター・ハイライト
全員がソロをとり、どれもが上出来だったが、特に目立ったメンバー名をあげておこう。

セルドン・パウエル(ts) 
 ラッキートンプソンを思わせる豪快なソロ。やや同じフレーズが出すぎる傾向はあったが、主流派の雄

エディ・ダニエルス(ts)
 白いロリンズ。すばらしい未来を持った若きエリート

ジミー・ネッパー(tb)
 余裕シャクシャクのテクニックと驚くべきユーモア精神

ガーネット・ブラウン
 モダン化したビル・ハリス、作曲も卓抜

ダニー・ムーア(tp)
 主流派モダンの有望な新人。音抜けもよく力強い

ペッパー・アダムス(bs)
 温厚な紳士ながら、豪放なトーンでクライマックスへの盛り上げの名人芸

ローランド・ハナ(p)
 予想以上にうまい人。居酒屋風のタッチとガーナー的ビート感がうまく結合している。

メル・ルイス
 ソロは大したことはないが、ビッグバンドドラマーとしての至芸を展開

「このバンドの面白さはレコードでは絶対にわからない」というのが、聴いた人に共通する意見であった。ブローイングブルース「ドント・ギット・イット・サッシー」(サド・ジョーンズ作)の楽しさは今でも耳朶にこびりついて離れないのである。

以上、転載終わり


自分は一晩だけのライブであり、ジャズそのものをまだ聴き始めたばかりであったが、その時の印象はこの油井正一氏の感想と全く同じであった。個人的には、リチャードデイビスとボブブルックマイヤーもその時印象に残った2人だ。

この日本ツアーで憔悴しきった(精神的にも経済的にも)2人のリーダーとメンバーが、3ヵ月後の10月にホームグラウンドでのライブを録音したのがこのアルバムである。
メンバーは唯一来日ボブブルックマイヤーが抜けて代わりにジミークリーブランドが入っている。ブルックマイヤーがニューヨークを離れたのもこの年。日本へのツアーが何かのきっかけになったのかもしれないが、彼の置き土産の「セントルイスブルース」がこのアルバムには収められている。

全体の構成を含めて、あの東京でのライブを思い起こさせるアルバムだが、録音を意識してか演奏全体は時間を含めてきちんと纏められている。やはり、あの夜のライブを上回るものは無いのかもしれない。

ほぼ同じ時期の演奏



1. Mornin’ Reverend
2. Kid’s Are Pretty People
3. St. Louis Blues
4. The Waltz You “Swang” For Me
5. Say It Softly
6. The Second Race

Arranged by Thad Jones & Bob Brookmeyer (St. Louis Blues)

Thad Jones (fh)
Richard Gene Williams (tp)
Snooky Young (tp)
Daniel Moore (tp)
Jimmy Nottingham (tp)
Garnett Brown (tb)
Jimmy Cleveland (tb)
Jimmy Knepper (tb)
Cliff Heather (btb)
Eddie Daniels (ts,cl,fl)
Seldon Powell (ts,fl,cl)
Jerome Richardson (as,ss,cl,fl)
Jerry Dodgion (as,fl,cl)
Pepper Adams (bs,cl)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Sonny Lester
Recorded live at The Village Vanguard, New York on October 17, 1968
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