やさしい風

ただ今ブログを更新するので精一杯の毎日です。当分の間コメント欄を閉じさせて頂きますのでご理解下さい。

風を興す

2021年03月12日 | 日記
3月11日(木)のこと



「青い鯉のぼりプロジェクト」と「伊藤健人君」の事は、応援している

「サムライアパートメント」を通して知りました。



健人君は当時東松島市在住の高校生で、震災の津波でおじいちゃん、お

ばあちゃん、おかあさん、弟の律君(当時5才)と、家族4人を亡くして

しまいました。津波にのみこまれた自宅から、弟の律君が好きだった青

い鯉のぼりが見つかったそうです。それから5月5日の「こどもの日」と

3月11日の「震災の日」に、太鼓の仲間と共に青い鯉のぼりを掲げ、演

奏をするようになりました。律君や天国の子どもたちに届けという思い

を込めて…。






数年前のこどもの日。私も「青い鯉のぼりの下に腰を下ろす会」に行って

みました。全国から送られたたくさんの青い鯉のぼりが、風にはためいて

いました。様々な思いをかかえているであろう人たちが大勢集まり、青い

鯉のぼりの下でお弁当を食べながら、健人君たちの演奏を聞いていました。

悲しさと温かさが入り混じった時間でした。



その時、東松島市の市役所に勤務し司会も務めていた健人君は、しっかり

したアクティブな若者に見えましたが、彼はずっと後悔の思いをかかえて

生きていたようです。その日、当時の友人たちとバンドの練習をするため

に仙台にいた健人君。もしあの時、自分が傍にいたら家族を救えたのでは

ないかという思いからずっと抜け出す事ができずにいたのです。



健人君の発するSNSやMCでその思いを知った時、私は「それでもお母さん

は、生き残ってくれた健人君を空から見守りながら『私たちの分まで精一

杯生きて、人生を楽しんで』と願っているのではないかなぁ…とずっと思っ

ていました。



ですが、10年の時を経て、半分停まっていた健人君の時計は、昨日、再び

動き始めたようです。今朝の健人君のSNSです。






一緒に歩めるたくさんの仲間たちがいてよかったね。前に進むことは忘れること

ではないし、健人君と共にご家族も生きていると思うから、これからの自分の人

生をさらに充実させていってね。健人君がこれからみんなと一緒に風を興してい

くことを、空の上のみなさんも楽しみにしているだろうと思います。






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