★連載なのに間を空けてしまってごめんなさい。
前の前の記事に続きます。💦
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陶磁器会館から右方向に上り
いよいよ本格的な「焼き物散歩道」を歩きます。
観光協会で頂いたmapを基に
歩いているのですが
最初のうちは
「赤丸の番号」が何を指すのか分からなくて
なかなか目的地に着くことが
できなかったりしました。
⇩
下の図で言えば❹です。
でもそのうちに
赤丸の番号は
「建物やお店の番号」ではなくて「交差点の番号」
である事が分かり
それからは
行きたい方向に迷わず行けるようになりました。
「常滑市」は
地図で確認すると海に面した半島上にあるので
上りや下りのアップダウンが激しい坂道が
ずっと続きました。
いかにも焼き物の町らしく
至る所に「煉瓦(れんが)作りの立派な煙突」が
見られました。
今は使われていないものも多いかもしれませんが
どれも堂々としていて近代的で
カッコよかったです。
また煙突だけではありません。
路上にも
空き地の土が盛られてある側面にも
素敵な模様の焼き物が
びっしり敷き詰められているのです。
友人と
「何かお洒落な町だよね~」
と感心しながら歩きました。
私はどこかの時代で
「焼き物の町・常滑市」を観光地としてアピールするために
町で考えデザインして置いているのかなぁ
それが今もこのような
美しい形で残っているのかなぁ
と思っていました。
そうしたら
「土管坂」のところの案内板に
「常滑では陶器の破片を路面に敷き
滑り止めとして利用していました。」
という説明が書いてあり
とっても感激してしまいました。
お洒落でもあるけれど
実は「坂道の滑り止め」という
人々の生活に根差した実用的なものだったんだ!
と分かったからです。
そう思って見てみると
ますます素敵に思えてきませんか?
それらをひっくるめてなのでしょう。
常滑市は平成2年に
「手作り郷土賞」を受賞しているようです。
私は別に
愛知県や常滑市の回し者ではありませんが
どうですか、皆さん。
常滑市に一度行ってみたくなったでしょう?😊
でも常滑焼き物の町回想記は
まだまだ続きますよ。💦
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「52ヘルツの鯨の呟き」
昨日は大雨で帰り道が大変でした。
でも山形や秋田はもっと酷い豪雨で
大変な被害も出ているようです。
山形県酒田市
秋田県由利本荘市
救助に行ったパトカーの警官2人は
今、どこに?🥲
下の写真は
2018年西日本豪雨の夜に
(豪雨が起きてから)
赤坂自民亭で満面の笑顔で飲んだくれていた
自民党国会議員の皆さんです。
私は上の写真を
今年の1月
能登半島地震が起きたあとに初めて見て
倒れそうになりました。
でも
私が抱いていた「どうして?」への答えを導き出す
手がかりの1つにはなりました。
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今は「人工地震」も起こせるし「気候操作・気象操作」も
できるんだそうですよ。
決して絵空事ではありません。
私はその証拠となる
新聞記事や動画も見ていますし保存もしています。
(でもあまりにたくさん保存し過ぎていて
簡単に取り出せないのですが…。
いざという時には
ブログにも載せたいと考えています💦)
今回の豪雨がそうなのかどうか
分かりませんが
私は
「緊張感をもって対応して下さい」と書いている
岸田総理ではなく
人が大変な目にあっているのに
嬉しそうに笑って乾杯している岸田氏の方が
本当の姿なんだろうなと思っています。
そして
今起きている事は
この頃から準備を進めていた事なのだろう…
と悲しく考えています。