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本日全ての精算が終了しました。
ともサンカク第一回公演「たとえばあしたのこと、とか。」無事終演致しました。ご来場誠にありがとうございました。
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=46390
上記演劇サイトでは非常に有意義でタメになり、今後の活動の基軸となるお言葉を頂戴いたしました。投稿いただいた皆様、本当にありがとうございました。
わたしの団体ではないので後付け的な説明もどうかと思いましたが、一応今回の公演に関しての趣旨や構成についての説明をさせていただきたいと思いました。
まず、今公演は一人の女性の話として書いたものではなく、「たとえば」という人生における一遍の可能性として作品を書きました。つまりとある女性の年代記であったり、またはそれぞれ個別のオムニバスであったりと観る手側の感性に寄り添い、解釈されることで変容するのです。お客様次第、そんな風に自由度をより上げるべく物語を構成しました。そのあたりの説明を省いたため「繋がってないじゃないか」と困惑されたお客様もいらっしゃることと思われます。大変ご迷惑をお掛けしました。結果伝わらなかったのは全て劇作の責任であると思います。真摯に受け止め今後の糧に致します。
ただ、感想にありましたある一人の人生であったとしても、その場の居方、生き方、考え方は各世代で異なるものであると思う故、年代記というそのご意見もあながち間違えでもないのかなぁと思うのであります。高校時代にいきがっていた人も大人になると受身になることもあるのでしょう。
「たとえばあしたのこと、とか。」は、小林自身の体験がきっかけとして生まれた作品です。痴呆と記憶障害の話である「たとえばミライのこと」がそうなのですが、この作品の一部分は小林自身の経験をそのまま文章に起こしたものです。企画会議の際、この話をヒアリングしていたわたしは、突如小林が流した涙にとても困惑しました。それと同時にこれを舞台に起こすことこそが今回のわたしの使命であると思ったのです。
会場アンケートでもこの話の意見が多かったです。本当の思いというものは確実に伝わるのであります。
今回、開場中に衣装に鋏を入れてもらうというインスタレーション的な試みを取り入れました。これは衣装にズタズタ感が欲しかったという表面的なものではなく、他者…今回でいうところの観客…からの興味、好奇心、能動的姿勢、いやらしい気持ちにより、被害者…今回でいうと配偶者、女性…がダメージを受けるということを、お客様自身が実際の行為者として感じて欲しかったというものです。ただ受付周りで「鋏をいれてください」というアナウンスをしてしまったため、意図していたものとは若干ニュアンスが変わってしまいました。これも今後の課題となりました。これは次回わたし企画の公演時に更に進化、発展させます。
劇作としては今回初めて普通の物語を書きました。いままではSF、ゲーム要素と非現実的なエッセンスを取り入れてきましたが、日常の出来事…料理であったり街をふらつくであったり…をきちんと描けたことは今後の劇作活動において非常に有益なことであったと思います。ここ数年の勉強が活かされました。そしてそれを表現する機会を与えてくれたともサンカクに感謝です。
小林知未単体の企画ゆえ、次回わたしが関わるかは分かりませんが、ともサンカクは小林の熱意、そしてお客様の好意によって成り立っていきます。今後も贔屓にしてやってくださいませ。