演劇知

劇的考察譚

「アートと音楽-新たな共感覚をもとめて」とは

2013-01-28 12:07:52 | Weblog







都立現代美術館

アートと音楽-新たな共感覚をもとめて



北千住の我が家からロードバイクで40分。人に勧め、また勧められた企画展。


下記写真は公式サイトから。











現代美術、体験系が好きなわたしにとっては非常に楽しめた。つまるところは五感で音を感じてみようという企画で、そこから日常に溢れる音…芸術に気づこうというもの。現代美術は「気付き」の芸術なのであろう。作り手の「気付き」によって受け取り手が新たに気付く。それは同じものでも良いし、受け取り手の自由なのである。

オノセイゲン+坂本龍一+高谷史郎
《silence spins》

音を吸収する素材で作られた茶室。暗闇のその中では、音が異なった感触で己に返ってくる。


これ、中で音を出すことで音を認識出来る構造である故、中で音を出さなければならない。つまり、二人で行くと会話が出来る故音を出すのは簡単なのであるが一人でいくとそうはいかない。「アー」などの単音は出せるが、会話レベル、更には高音、低音をだそうとすると容易なことではない。そんなことをしていたらば周りの人が奇妙な目でわたしを見るであろう。

と、わたしの後ろで並んでいた年配女性二人組み。終始話を続け、その会話の煩さから軽くわたしをいらつかせていたのだが、彼女たちの声こそ、この空間において必要なものであり、またわたしにとっても良い実験となる。

わたしちょっと待って、彼女たちが入ってくるのを待つ。



入ってきた。






無言。


なんで緊張するの?さっきみたいに喋ってよ。




マノン・デ・ブール
《二度の4分33秒》

映像作品。ジョンケージ《4分33秒》を二度に渡って流す。一度目は観客を二度目は風景を写す。そもそも《4分33秒》自体が無音である故、見手は映される観客や風景から漏れる音を、映像込みで聴くこととなる。

この作品、ようは《4分33秒》の正しい「感じ方」と受け取れた。わたしが見た時は周りのお客さんの笑い声や寝息が聴こえた。受け取り手の感覚によっては単なる無音、またはわけが分からない映像であるのだ。




カールステン・ニコライ
《ミルク》シリーズ

ミルクに特定の周波数をあて、その振動からミルク表面に浮かぶ波を映した作品。音が「無」ではなく「有」であることを表す。
先日行った萌ちゃんさんのダンスライブでも、ウーハーの利いた爆音を受け、その振動を体全体で感じるという経験をした。そんなんで青山テルマ聞いたり、TRF chiharu振り付けのダンスみたら感動しちゃうよね。




バルトロメウス・ラウベック
《Years》
木の年輪をレコードにみたてターンテーブルで回す。対応する音がピアノ音で流れるというものである。一見すると出鱈目な音なのだが、これが木の年輪…生命が生き続けてきた詩であると考えると不思議と感動する。



フロリアン・ヘッカー
《3チャンネル・クロニクス》
別方向を向いた3つのスピーカーから別の電子音が流れる。立ち位置によって全く異なる印象を受ける。



「音」も「アート」も好きなので、色々感銘を受けた。最近は押し付けられる「物語」よりも受け取り手が物語を考える「抽象」の方が好みなのだ。

修了公演第一弾終演とは

2013-01-23 23:51:26 | Weblog


修了公演第一弾が無事終演しました。


今回は人を二分割しわたし作品と、青ナナさん作品とで上演。

わたし作品ではアナグラムを用いたゲーム性の強いコメディを。青ナナさん作品は不条理的なオムニバスを上演しました。結果として良いコントラストでアンケートもおおむね好調でした。なによりも今回印刷した当日パンフレットが完売するという嬉しい事態。アンケート回収率も上々でした。皆様本当にありがとうございました。

わたし作品では短い稽古期間ながら出演者5人、本当に頑張ってくれました。写真通り「お」「と」「う」「さ」「ん」を用いたアナグラムでした。わたしの芝居は役の心情よりもシステマティックな動きやルールに重きが置かれる傾向にあるようで、恐らく始めての経験に苦労した子も多いのではないでしょうか。それでも本番はこれまでで最高の出来となりました。

青ナナ作品は、まず作品自体の芸術性が凄い。アンチ演劇手法のそのオムニバスは視覚、聴覚、そして固定概念を疑うことを我々に求めます。「分からなかったけどなんか凄い」というその感想は的を射ており、日常レベルでの感覚では決して捉えることの出来ないものであると思います。故に面白い。特質ゆえの普遍性、誰しもに当てはまる内容なのです。

そしてこれまでわたしや仲間たちと共に見て、作り、経験した芝居が土台となっているようにも思えます。「否定」や「皮肉」、「疑問」や「確認」には、元となる根幹が必要となるのです。その根っこを見せずに表現をする彼女の作品は紛れも無い「芸術」でした。そしてそんな作品を体現した子たちもやはり凄い。この作品の見事さは役者の力も当然欠かせないわけである。演劇は集団による総合芸術なのである。




第一弾を見た子たちも刺激を受けております。第二、第三も今から楽しみです。どんな作品に仕上がるか。なお第二弾は三月十八日、第三弾は三月二十二日を予定しております。


2012年度第一弾 修了公演お知らせとは

2013-01-14 23:15:01 | Weblog


今年度も残り僅か。恒例の修了公演の時期が迫ってきました。

今年は1月にⅡ自選、3月にⅠ系列とⅡ系列が予定されています。Ⅰはこれまでやってこなかったのですが、昨年を良い前例として恒例化するか否かの瀬戸際であります。

差し迫っては1月の公演。17日(木)の16時から、講堂で行われます。お時間合う方、是非お越し下さい。

ちなみに3月はⅠが15日(金)、Ⅱが22日(金)を予定しておりますが、こちらはまだ本決まりではない為、後日またお知らせします。


で、この1月の公演なのですが、例年通りわたし一本、子どもさん一本の二本オムニバスとなっているのですが、この子どもさん作品がまぁ面白い。act orchにも出てくれている青ナナが書き、演出しているのですが、これまで7年やってきて見たこと無い作品。贔屓目にみるわけではないですが、それでも彼女の作品は「芸術」として見ることが出来るのではないでしょうか。ただ笑われるか、深い共感をもたれるか、わたしもとても楽しみです。

故に作品順もわたし、青ナナとトリを譲りました。この順番がきっと良いであろう。





写真はわたし作品の相変わらずの属性Tシャツ。6年夜なべし続けているだけあって、完成までの時間がまぁ早い。ちょっとした業者ですよ。


わたし作品はこれまた恒例の頭使う属性Tシャツシリーズ。肩の力入れずに見れるライトコメディになっています。

佐渡小癪回顧録とは

2013-01-05 01:16:59 | Weblog


ショーレースに出した作品。結果残念であったのでこのたび掲載。メンバーはact orchの面々なので、act orchの特別編に入れてもいいだろうとact orch作品内に収録。下から写真90枚くらい見られます。新しいカメラ、且つ作り手のわたしが撮影ということで盛り上がりどころをまるまる切抜きで見られます。パラパラ漫画みたいにすれば作品わかるんじゃないかなって。


http://www.facebook.com/media/set/?set=a.440887692647528.102685.231034480299518&type=1&l=7639e95b86



さて、回顧録ということで企画、劇作、演出の三点で振り返ってみます。

○企画
若い人におちゃらけない、真剣なものに携わってもらいたかったという視点から企画。進学するとコメディはどの学校、専門機関でも取り扱わないという状況。作品と向き合う中で真摯な態度、高度な読み取り、雰囲気ある芝居を求められます。早い時期にやっておきたかったのです。取り扱う題材として三島由紀夫「サド侯爵夫人」をオマージュ。最初の選考理由は単純に人数があったから。設定を高校の部活に当てはめられないかと思索。結果、殴られるのを享受するルネ→DV被害を享受する女という大枠が出来上がる。更にDV被害享受を正当化するため、前半はDVを憎む→DV男性を裁く「鉄の処女部」が生まれる。最初は「アイアンメイデン部」であったが、どうにも面白い響きなので和訳で。

各役は原作の名前をもじる。例えばルネ→流音(るね)のように。シャルロット→白戸(しろと)はまだいいが、サン・フォン→佐府(さふ)はかなり無理矢理だった。すまない。

写真の中にもあるように、フライヤー…今回はDVDパッケージだが…は、「サド公爵夫人」をオマージュし、限りなく近づけてある。


○劇作
上記の通りオマージュなので原作に忠実に。ただ3時間の作品のエッセンスを抜き取り30分以内にしたのでかなり急いでいる感はある。結果流れが急過ぎ、あざと過ぎの印象が出てしまった。

原作で最後に訪れるサドの意味を、明確なる意図のもとこちらでは変えた。

頂いた感想としては「痛い」「怖い」。確かに痛いし、怖い。夢や希望でお茶を濁したくなかったのだ。チェーホフ宜しく「出された拳銃は撃たれなければならない」。


○演出
派手な演技をするなという指示。が、物語の中で感情が動かされたのだろう。本番では皆が一回り大きな演技となる。だがそれは目立とうとしての動きではなく、物語に入った結果、物語に必要な動きとして大きくなったのであろう。全体が同じくらいの底上げをしたのでバランスも宜しい。息を合わせたのか偶然か。前者だったら相当凄い。


普段見ていてまとめ役だなぁ、支えになっているなぁと思いこの役。大御所の雰囲気十分。

流音
普段の芝居でおちゃらけちゃうこの子を悲劇のヒロインに。ナチュラルな芝居をきっちり出来るところを見せ付ける。


純真さで姉の男と寝るというぶっとんでいる役をこの子に。放心しながらも真実を語るという難しいシーンもちゃんとこなせた。

佐府
悪徳さをパワフルに語るならこの子。妖艶さと恐怖を兼ねた台詞回し、動きも確実にこなす。小道具用意し忘れたNGクィーンでもある。

清水
信仰心、落ち着いている感じが本人の持っている雰囲気とマッチ。わたしがそこに信じる心→超能力という設定を付け加えたが、違和感なく超能力を発揮。

白戸
一般→傍観者というニュートラルな部分、ある意味でこの物語の起動役として演じてもらう。悩める女子学生が似合う。

そう、このメンバーが集まり、「サド公爵夫人」を読んだ時、個性と役がピッタリはまったのだ。こんなことがあろうか。

今公演で皆、「音にはめて演技をする」というアビリティを身に着けた。これ、トリプルタスクとしてかなりな技量を要する。






さて、結果ショーレースに負けたのも、ひとえにわたしのあざとさが全面に出てしまったからである。本当に申し訳ない。改めてDVDを見返すと、この年代でここまで出来ているのか…と思ってしまう。手前味噌ではあるのだが。
が、「暴力」「傷」を扱うのが果たして正しいのか、「夢」「希望」を取り扱ったほうが良いのではないか、考えさせられる。昔なら「ふざけんな」となったが、わたしもこの年になり「夢」「希望」の需要、必要性は見えてきた。

さて、皆様にもこの作品を見て欲しい。ご連絡下さい。販売致します(笑)でも、本当に本当に面白いんですよ。

lab~雨月~ 渡辺裕之の噺

2013-01-01 18:30:11 | Weblog
昨年はお世話になりました。

新年明けましておめでとうございます。今年も変わらぬご愛顧、宜しくお願い致します。


昨日は矢継ぎ早に雨月を振り返りました。わたし自身を振り返ります。




この企画はわたし一人で進めます。企画、制作、劇作、演出と全て一人で進めるのです。

が、実際はそうではない。わたしの手の届かぬところはベテラン勢が何も言わずともフォローしてくれます。そしてその姿を後輩が見ています。わたし、ベテラン勢の手が届かないところは今度は後輩がフォローしてくれることでしょう。

そしてわたしはフォローが必要ないようにまた頑張ることでしょう。


芸術創作は一人で行うものです。孤独な作業でありどこまでもストイックでなければならない。人の心を動かすということは、その人と同じラインに居てはいけない。そう思っています。

しかし孤独な作業でもどこかに繋がりがあれば、それが力にもなり、また自信を持って孤独になれるのではないか。そんな孤の総体の一人一人、互いが互いを理解し、認め合い、繋がっていれば、それは「強さ」になるのではないか。そう思うようになりました。あたかも三千世界で抱きしめ合う姉妹のように。

芸術創作、そして学びの場にいるというわたしが、わたしにしか出来ないことはこれだと思い開始したlabも4年になります。縦横の繋がりは着実に確固たるものになっています。

そして表現者はその強さをもってどこまでも孤独であれと思います。無論わたし自身も。





ご覧頂いたお客様、参加してくれたメンバー、本当にありがとうございました。


写真やDVD編集、役者の本番後日誌(まだの人早く!待ってるよ!)など、新年ももう少し雨月を振り返ります。是非お付き合い下さい。