act orchはわたしの作業が多い。というか基本わたしがパソコンちゃかちゃかしてそれぞれのスタッフ作業が進行していくのだが、その作業中、突如電源が落ちた。作業部屋だけでない、ダイニングも、寝室も全ての電源が落ちている。
停電だ。
と思ったのだが隣の家のテレビの音は聞こえる。ということは我が家だけ停電、または我が家含めた一定地域が停電しているのであろうか。
暫く待つ。
30分。
一向回復しない。ブレーカーは上がっているので漏電ではない。何だ?我が家に何が起こっているのだ?電気線切れたか?外側か?内側か?分からない事象ほど怖いものはない。修繕費用いくら掛かるのか…
このまま回復しないと日常生活もそうだが、芝居に影響が出るので東京電力に電話。
わたし「我が家だけ停電しているのですが…」
受付「スタッフ派遣します。仮に漏電が見つかった場合、出張費用として3,000円掛かるのですが…」
3,000円。
わたしはわたしの生活で漏電を起こす事象が皆目検討付かないゆえ「その責任わたし持つの?」と思ってしまったのだが、そもそも東京電力が責任を持つ理由もまた見つからず。このままでは平行線。ともかく直さないと作業が出来ない。
わたし「分かりました」
と承諾。一旦終話し、その後折り返し専任スタッフからの連絡。
専任「とりあえず確認なのですが配電盤のレバー全部上がってます?どうなってます?」
わたし「レバーは全部ONで上がっています。あと主電源レバーの隣にテストボタンがあります。」
専任「じゃあ、そのテストボタンを押してください。」
押す。
変化無し。
わたし「変化無いのですが…」
専任「……じゃあ、スタッフ派遣しますね。」
わたしは何をテストされたのだ?
スタッフ派遣を待つ時間60分。作業出来ないとなるとこの時間でやることがない。
とりあえず掃除をしよう…
掃除機→電気→×
お、ならば半身浴するか…
風呂スイッチ→電気→×
うほ、ならば飯を…
炊飯器→電気→×
…くそ…こうなったら走るか…
走る→汗かく→風呂→風呂スイッチ→電気→×
…作業…
作業→パソコン→電源切れ→バックアップ出来ずバッテリー切れた場合→不毛→×
何も出来やしない
なんたることだ。何も出来ない。現代生活で電気がどれほど必要か。いざ使えない時に何も出来ないことをまざまざと思い知らされた。上記のしようと思った事柄は全て普段の生活の中でも付加価値的なものであるが、我々の日常の生活がどれだけ付加価値的なことで覆われているか、とても考えさせられた。
スタッフ到着。チェックするも配電盤は問題なし。
もしこれで問題あったならば壊れた配電盤を池に投げ捨てるという村上春樹的世界が実現出来たのだが…
原因不明。とスタッフの方が外に出る。そして判明。
「電柱のヒューズが飛んでますね。」
わたしも知らなんだが電柱にはそれぞれ各家庭の電線と繋がるヒューズがあり、それが飛ぶと供給自体がストップしてしまうとのこと。今回はたまたま我が家のヒューズだけが飛んでしまったらしい。
ヒューズの寿命、約20年。居住していて一回あるかないかの珍事。見事にわたし引っかかってしまったのですね。
その後、梯子スタッフが到着するまで30分。ヒューズ交換し無事修了。我が家の20年に一度の戸別停電は120分で終演。帰り際に梯子スタッフが交換し終わったヒューズをわたしに見せてにっこり。いや、別に見せてくれなくとも…
この停電で日常生活における電力の恩恵を改めて思い知らされた。規模は違うがライフライン途絶えた被害地、震災地のことを思って仕方なかった。
昼飯、米炊けなかったので雰囲気を出すため作ったすいとん。小麦粉練る。電気つかず日の当たらないダイニングで食べるすいとん。自宅で疎開気分。
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しかし真に気がかりだったのは冷凍庫で凍らせた大量の牛豚鳥の肉の塊の自然解凍と、エアポンプから空気出ず死のリスクが上がった熱帯魚ベタ。
どちらも無事だった。良かった。
停電だ。
と思ったのだが隣の家のテレビの音は聞こえる。ということは我が家だけ停電、または我が家含めた一定地域が停電しているのであろうか。
暫く待つ。
30分。
一向回復しない。ブレーカーは上がっているので漏電ではない。何だ?我が家に何が起こっているのだ?電気線切れたか?外側か?内側か?分からない事象ほど怖いものはない。修繕費用いくら掛かるのか…
このまま回復しないと日常生活もそうだが、芝居に影響が出るので東京電力に電話。
わたし「我が家だけ停電しているのですが…」
受付「スタッフ派遣します。仮に漏電が見つかった場合、出張費用として3,000円掛かるのですが…」
3,000円。
わたしはわたしの生活で漏電を起こす事象が皆目検討付かないゆえ「その責任わたし持つの?」と思ってしまったのだが、そもそも東京電力が責任を持つ理由もまた見つからず。このままでは平行線。ともかく直さないと作業が出来ない。
わたし「分かりました」
と承諾。一旦終話し、その後折り返し専任スタッフからの連絡。
専任「とりあえず確認なのですが配電盤のレバー全部上がってます?どうなってます?」
わたし「レバーは全部ONで上がっています。あと主電源レバーの隣にテストボタンがあります。」
専任「じゃあ、そのテストボタンを押してください。」
押す。
変化無し。
わたし「変化無いのですが…」
専任「……じゃあ、スタッフ派遣しますね。」
わたしは何をテストされたのだ?
スタッフ派遣を待つ時間60分。作業出来ないとなるとこの時間でやることがない。
とりあえず掃除をしよう…
掃除機→電気→×
お、ならば半身浴するか…
風呂スイッチ→電気→×
うほ、ならば飯を…
炊飯器→電気→×
…くそ…こうなったら走るか…
走る→汗かく→風呂→風呂スイッチ→電気→×
…作業…
作業→パソコン→電源切れ→バックアップ出来ずバッテリー切れた場合→不毛→×
何も出来やしない
なんたることだ。何も出来ない。現代生活で電気がどれほど必要か。いざ使えない時に何も出来ないことをまざまざと思い知らされた。上記のしようと思った事柄は全て普段の生活の中でも付加価値的なものであるが、我々の日常の生活がどれだけ付加価値的なことで覆われているか、とても考えさせられた。
スタッフ到着。チェックするも配電盤は問題なし。
もしこれで問題あったならば壊れた配電盤を池に投げ捨てるという村上春樹的世界が実現出来たのだが…
原因不明。とスタッフの方が外に出る。そして判明。
「電柱のヒューズが飛んでますね。」
わたしも知らなんだが電柱にはそれぞれ各家庭の電線と繋がるヒューズがあり、それが飛ぶと供給自体がストップしてしまうとのこと。今回はたまたま我が家のヒューズだけが飛んでしまったらしい。
ヒューズの寿命、約20年。居住していて一回あるかないかの珍事。見事にわたし引っかかってしまったのですね。
その後、梯子スタッフが到着するまで30分。ヒューズ交換し無事修了。我が家の20年に一度の戸別停電は120分で終演。帰り際に梯子スタッフが交換し終わったヒューズをわたしに見せてにっこり。いや、別に見せてくれなくとも…
この停電で日常生活における電力の恩恵を改めて思い知らされた。規模は違うがライフライン途絶えた被害地、震災地のことを思って仕方なかった。
昼飯、米炊けなかったので雰囲気を出すため作ったすいとん。小麦粉練る。電気つかず日の当たらないダイニングで食べるすいとん。自宅で疎開気分。
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しかし真に気がかりだったのは冷凍庫で凍らせた大量の牛豚鳥の肉の塊の自然解凍と、エアポンプから空気出ず死のリスクが上がった熱帯魚ベタ。
どちらも無事だった。良かった。