演劇知

劇的考察譚

フライヤー撮影とは2

2012-01-31 23:45:38 | Weblog
フライヤー撮影、山本とみかんをモデルに天羽さん協力の元撮影。過去2作品を越える仕上がり。とても楽しく撮影出来ました。


以下ボツになりましたが、良いショットを。



渡辺構図…だがボツ作品。







天羽さんお気に入りみかん







影を活かしたみかん









何故か中川





見ようによってはドラえもんだ。

今回撮影して思ったことは「光」が命であること。そして構図は演出であるということ。写真を撮る時に声を掛けると被写体に変化があるということ。時間を掛けることで被写体が慣れていくということ。

後半に山本の面白写真が撮れたがそれはまた後ほど。

早くフライヤーを完成させたい。

ニュースから~人情、自然魅力の島留学…隠岐島前高校が定員倍増~

2012-01-30 07:06:13 | Weblog
島根県・隠岐諸島の県立隠岐島前(どうぜん)高校(海士(あま)町)が今春の募集定員を2学級80人に倍増させた。
 島の人情味や豊かな自然を求める都会っ子らの“離島留学”が増えているためだ。過疎化や少子化で入学者が減り、一時は統廃合も危ぶまれた島の学校は、「島親」となって県外の生徒の身元を引き受ける住民の協力などで活気を取り戻しつつある。文部科学省によると、島の高校での定員増は珍しいという。
 隠岐諸島では、地元の中学卒業者の多くが本土の高校に進学し、同高への入学者は2008年度に28人と、1997年度(77人)の3分の1近くにまで減った。
 減少が止まらなければ統廃合の恐れがあることから、町は「高校がないと島から若い人が出てしまい、町の存続にかかわる」と対策を検討。10年度、本土から入学しやすいように、同高の寮(定員56人)に入る成績優秀な生徒の寮費補助を始め、町営の学習塾も開設して東京から講師を招いた。島民は、留学生らの身元引受人になり、「島親」として見守り始めた。
 こうした取り組みをインターネットなどで知り、島外からの志願者が増加。同高の生徒数は10年度に34人に持ち直し、11年度は大阪、兵庫、広島などからの13人を含む40人に増えた。今春はさらに志願者増を見込み、2学級に増やす。入学願書の受け付けは2月3日まで。
 文科省などによると、離島の多くで生徒数減から公立高の統廃合が進んでいる。広島県・大崎上島(大崎上島町)では98年、木江工業高と大崎高が大崎海星高に統合。山口県・周防大島(周防大島町)でも07年、安下庄高と久賀高が統合し、周防大島高となった。
 同省初等中等教育局は「離島で学級数が増えるのは異例。地域ぐるみの支援が学校の魅力を高めているのではないか」としている。(読売新聞)


少子化や学力さによる二極化などで学校経営も変化を迎えつつある。学校にも企業のような経営努力が必要とされる時代、「進学率」もさることながら独自の特色を全面に出すことが求めれる。島には島の良さがあり、「自然」は最大の武器である。

しかし島という自然一体の中での学習。なんとも羨ましいものである。

わたしも行こう、島へ。


フライヤー撮影とは

2012-01-29 07:00:37 | Weblog
多少婦人5月公演に向けてのフライヤー撮影。今回は作業時期が早い。

茨城県のモデルハウス、ゲストルームのような場所を使用しての撮影。場所がとにかく凄い。





地球が丸い。





メイク天羽さんの魔法。今回は山本とみかんが大変身。






スタッフとしてわたしと中川。



素晴らしい部屋に浮かれるわたし。



ダレる中川。



このような環境での撮影。今後未採用でもかなり良いショットを掲載していきます。

一週間とは

2012-01-28 23:31:21 | Weblog
「witch trial tale」
マルチシナリオでの形態となる為、各ストーリー展開に進んでいった際のエンディングを稽古。色々なパターンがあり、「国家論」「情報論」等、近年のデモ、ジャスミン革命、ツイッター、フェイスブック等についてわたしが思うことを台詞にしている。解釈を伝え演者からも「なるほど」との声も頂ける。また既に分析済みで「ニヤッ」としている子もチラホラ。


水曜・照明音響付き修了立ち稽古
今年はこの形態になった。色々な人間がいるからこそ、良く話し合い決めた形態。どのように取り組み、どのような結果を己の中から引き出すか、そこをわたしは見ている。
2本上演となりましたが、各々非常に良かった。後日改めて感想を述べたい。
その後行われた小お疲れ様会は緩やかに終わる。


木、金、土と色々な人間と呑む。軽く引き篭もっていたわたしは、人と接することの素晴らしさを改めて実感する。助けられている。感謝の限り。わたしも色々な人間の力になりたいし、皆様からもちょっとずつで良いので助けて頂きたい。そんなことを思う。


多少婦人会議
明日の撮影に向けての最終調整。どうやら山本、みかんがきゃりーぱみゅぱみゅになるらしい。果たしてどうなるか。そして新兵器の照明は彼女達を美白に出来るか。天羽マジックは再び伝説を起こせるのか。乞うご期待。

ニュースから~クラウドで校務効率化=北海道~

2012-01-27 23:03:39 | Weblog
 北海道教育委員会は、クラウド技術を活用した校務支援システムを4月に導入する。出欠管理や成績処理はじめ、校務を電子化して効率化することで、教師の負担を軽減し、教育の質向上を図る。生徒や学校に関する情報をデータセンターで一元管理し、インターネット経由で通知表や会議資料の作成ができる。
 道内の公立学校は約2000校。道教委は、道立の高校と特別支援学校計約270校でシステム導入を決めており、市町村教委にも導入を促している。
 データセンターが管理する情報は、生徒の出席状況やテスト結果、保健情報など。システムには、成績上位者や欠席の多い生徒らを自動的に抽出する機能や指導要録などの作成機能が付いており、事務処理の効率化だけでなく、不登校生徒の早期発見といった活用方法も想定している。また、データセンターで情報を一元管理するため、学校のパソコンには情報が残らず、情報の漏えいや消失などリスクの軽減にもなる。
 システム開発費は約3億円で、道が全額を負担。一方、運用経費は道と導入を希望する市町村が負担する。市町村側は初期設定費と月額利用料の形で運営経費を負担し、初期設定費は1校につき1万5000~4万円程度、利用料は1校につき月額8000~1万5000円程度とする方針。ただし、普及拡大に向け、4月に導入する市町村は初期設定費を無料とする。道側の負担は数千万円程度となる見通し。(時事通信)


不正アクセスや情報一極化によるリスク、デジタル機器操作に対応出来ない教師等、様々な問題点は浮かび上がってくるが、上手く利用出来れば負担軽減に繋がるか。保管に関しては非常に便利になり、統計や平均を出すのは効率的になりミスも減るが、入力は手作業であり入力ミスがないかのチェックも入念にせねばならず、一概にデジタル化とは言い難い一面もある。



ニュースから~学校のトイレ、「3K」は子どもに悪影響~

2012-01-26 22:56:21 | Weblog
 「トイレの花子さん」というお話もあるように、学校のトイレには怪談がつきものです。でも、これは学校のトイレが怖いところ、あまり近づきたくないところであるという子どもたちの心理の裏返しでもあります。文部科学省は、学校トイレ改善のため事例集を作成し、全国の地方自治体にトイレの改修を呼び掛けています。
 水洗トイレが普及する以前、家庭のトイレも暗くて怖いところでした。それが社会の進展による住環境の変化、公共施設・設備の改善により、現在では家庭のトイレは怪談の舞台とならなくなり、多くの公共トイレも清潔で明るいものになりました。しかし、公立学校の施設は築25年以上が約7割を占めており、教室や廊下などは改修されても、トイレはそのままというケースがほとんどです。また、家庭や公共のトイレの洋式化が進むなかで、和式のまま取り残されているのも学校です。子どもが小学校に入学する際、学校から「和式トイレの練習をさせてください」という注意書きをもらった保護者のかたも少なくないでしょう。
 たかがトイレと思われる人もいるでしょうが、「学校のトイレは『汚い・臭い・暗い』の3K」(文科省)で、あまり近づきたくない場所となっているため、排泄行為自体を恥ずかしいと感じて無理に我慢したり、からかわれるのが嫌でトイレに行けなくなったりするなど、子どもの健康面や精神面で無視できない問題が出てきています。中学校以上になると、人の寄り付かないトイレが問題行動の発生につながることも懸念されます。
このため文科省は、専門家らによる協力者会議を設けて、子どもたちの学習環境、生活環境の改善という視点から、学校トイレの見直しを論議。このほど「学校トイレ改善の取組事例集」を作成しました。
 事例集はその性格上、トイレの施設・整備を中心とした、やや専門的な内容となっていますが、洋式化を進めて3Kイメージからの脱却を目指すだけでなく、「学校という教育・生活の場全体の環境向上を図る」という視点から、たとえば▽トイレブースの間仕切りは床から天井までの高さにしてプライバシーを保てるようにする▽荷物置きスペースを設置する▽全身鏡やベンチなどを据えて子ども同士の交流の場となるようにする……など、改修の際に必要なさまざまな配慮事なども示しています。また、改修だけでなく、きれいになったトイレを汚すことがないよう、トイレでのマナーやエチケットなどを継続的に子どもたちに指導していくことも必要であるとしています。
 しかし、問題は経費負担です。多くの自治体は校舎の耐震化などの改修工事を進めていますが、トイレの改修にまで予算が回らないのが実態です。これに対して事例集は、安価な改修方法なども提案しています。要するに最大の課題は「トイレ改修など後回しでよい」という大人たちや自治体関係者の考え方なのかもしれません。(Benesse)


排泄欲求は社会学的にも唯一の本能であると聞いたことがある。それを3Kで封じられるわけであるから相当に厳しいものがある。かく言うわたしも小中高とトイレを回避してきた。集団下におけるイメージに怯えたのである。一時期わたなべんきというしょうもないあだ名をつけられた時には相当に参った。

和式と洋式の構図はそのまま近代化における東洋自然思想と西洋科学思想の対峙にも繋がる…と思う。いずれ和式の良さを思い出す時がくるのであろう。




ニュースから~受験生への効果的な声かけとは?[やる気を引き出すコーチング~

2012-01-25 23:43:23 | Weblog
筆者:石川尚子
今年もこの寒い季節に受験シーズンがやってきますね。いよいよこれから受験に臨むという子どもたちにどんな声かけをしたらよいのでしょう? この時期によくいただくご質問です。
そう言えば、「進研ゼミ中学講座」で集計されたアンケート結果の中にも、子どもたちが親に望む接し方として、こんな結果がありました。第1位は「いつも通りに接してくれる」だそうです。
なるほど、「たしかにそうだな」と思わされます。とはいえ、そう思いながらも、つい気を使ってしまう時期です。まずは、避けたい声かけから考えてみましょう。
気持ちの押しつけはNG
「ここまでがんばってきたんだから、ゼッタイに合格しようね!」
「やればできるから、がんばってね!」
激励するつもりで、つい言ってしまいそうですが、逆の立場だとどうでしょう? かなりプレッシャーだと思いませんか?
受験も含めて進路決定する場面で、子どもたちが一番やる気をなくすのは、親の気持ちを押しつけられた時のように思います。
「お母さんの言うことを聞いておけば、間違いないから!」
「そこに行けば、必ず良かったって思うから!」
いったい誰の進路なのでしょう?
「あなたのことは、わたしが一番よくわかっている。わたしが考えてあげるから大丈夫」という想いが根底ににじんでいるこれらの言葉に、子どもたちはやる気を奪われるのです。
「でも、親として子どもの進路を一緒に考えてやるのは当然のこと」
それもそうなのですが、考えているのは、本当に「子どもの進路」(子どもが進みたい方向)なのでしょうか? 「自分の願望」になっていないのかを振り返ってみたいものです。
承認は「金品」ではなく「愛情」で
「合格したら、何でも買ってあげるから」
こういう取引をされる親御さんもいらっしゃいますが、わたしは疑問を感じます。合格したら好きなものを買ってもらえる、しなかったら買ってもらえないということは、合格しなかったら「あなたにはその価値がない」というメッセージになってしまうのです。「勉強ができないと価値がない」「合格しないと愛情をもらえない」子どもがそう思ってしまうとしたら、とても悲しいことだと思いませんか?
こんな大学生に、ここ数年よく会います。
「サービス残業ってあるんですか?」
「そういう場合もあるよ」
「それって、給料もらえないのに、やらないといけないものなんですか?」
「やらないといけないというよりは、この仕事をどうしてもやり遂げたいと思って進んでやっている人もいるんだよ。『お給料をもらえなくてもいいからやりたい』と思いながらやれる仕事につけるってすごく良いと思わない?」
成果への承認を「金品」で与えていると、「何かもらえないんだったらやらない」という大人に育っていくように思います。大切なことは、結果を出しても、出せなくても、「自分は愛されている」「自分は価値ある存在だ」と子どもが実感できることではないでしょうか。この自己肯定感が、何かにチャレンジする時のやる気や自信につながるのです。
信じて見守る
さて、では、コーチだったら、受験生をどんな言葉で送り出すのでしょうか? おそらく、
「いよいよだね。楽しんできて!」
「終わったら、まず打ち上げしようね! おいしいもの作っておくから」
「夢への第一歩だね。しっかりね」
こんな感じでしょうか。子どもが、自分の人生の新しい節目に向かって、また一歩踏み出すところです。自分の期待や心配は横に置いて、プレッシャーをかけることなく、信じて見守りたいものです。(Benesse)



スタニスラフスキーは当初役者は演出に従う超人形なる存在として扱った。わたしもその昔、そのように役者を扱ったことがあり、随分と迷惑を掛けた。ただスタニスラフスキーと違うところはしっかりと反発を喰らったことだが。
芝居を良くしようと己の頭のみで考え、演者の気持ちを無視した結果である。演者にも頭はある。そこが他の芸術との相違点である。相互理解を本気で考えた瞬間でもあった。今となっては凄く良い経験となった。


相手のことを思い、応援したい、良くしたいという気持ちになるが、そのの中にも己のエゴ、欲望、思惑が混ざっていると思うとそう気軽に応援出来ない。まして「頑張れ」とはいえない。故に、「頑張れ」よりも「やってやれ」と言うようにしてやれ。ガツンとやってやれである。

ニュースから~自分らしさを主張できる子どもを育てる授業[こんな先生に教えてほしい]~

2012-01-24 23:51:23 | Weblog
筆者:桑山裕明
今回、紹介する先生は、兵庫県の小学校で教えるMa先生。授業は、小学5年生の社会科です。
Ma先生の目標は、自分らしさを主張できる子どもを育てること。そのために、問題場面を設定し、学んだことを元に、自分の意見を練り上げていく体験を授業に組み入れています。
授業は、子どもたちに手紙を配るところから始まります。
それには、「わたしは、兵庫県から北海道十勝地方に引っ越してきました。こちらでの暮らしがすっかり気に入ったので新しく仕事につこうと思います。仕事の内容は問いませんが、十勝地方ならではの仕事につきたいと思います。みなさん探してもらえませんか?」と書かれています。
この手紙の差出人は、木村英二さん、35歳。兵庫県にいるときは、建設会社で設計士をしていて、家族は、妻の照子さんほか、小5の誠くんと小4の桜ちゃんの2児の父です。
子どもたちは、この木村さんのお願いにどう答えるのでしょうか?
(この木村さんは、先生が作った架空の人物ですが……)
授業は、子どもたちが木村さんのために、なんとか十勝らしい職業を探すことをとおして、十勝地方の気候・風土・産業を調べることがねらいです。
このような、シチュエーションを作り出す演出力は、良い先生の条件のひとつだと思います。
まず、子どもたちは、地図帳を使い、十勝地方を調べることから始めます。北海道の南東部。面積は秋田県とほぼ同じで、平野が多いなどの基礎情報を吸収します。
次に、木村さんにすすめる自分の意見を書き出します。乳製品作り、野菜作り、サケ漁、キャンプ場、温泉、小豆作り、工事、米作り、ワイン作り、牧場経営といったさまざまなアイデアが出ました。
ちなみに、一番多かったのは、乳製品作りです。十勝地方は、チーズの生産量が多いという理由でした。すると「本当に仕事はあるの?」という素朴な疑問が出されました。乳製品作りを推した子どもたちは顔を見合わせます。
ここで授業は、第2ステージに……。
自分の意見を補強し、みんなを納得させる根拠を探すのです。この過程で、子どもたちは、十勝地方をより深く知ることになります。
たとえば、乳製品作りを推した子たちは、十勝地方でチーズ作りをしているところはおよそ30か所あり、生産額も伸びているので、仕事に就ける可能性は十分あるという意見を述べました。
そのほか、小豆作りを推した子どもは、十勝地方は、全国の84.7%の収穫量があることを調べました。さらに和菓子職人にも取材し、十勝産の小豆は皮が薄くて、煮えるのが早く、皮が口に残らないなど品質が良いことをつかみました。そして、野菜作りを推すほかの子どもたちと相談し、ビール、大豆、ジャガイモと組み合わせた農業をすることで、連作障害の克服も含んだアイデアを提案にまで仕上げました。
また、特徴のある温泉が良いのではと考えた子は、自分の考えを補強するためお父さんたちに相談したほか、インターネットで情報を集めました。十勝地方の中心地、帯広なら空港も高速道路もあり、全国から人を集めることができること。冬はスキー、夏は十勝川で釣りやカヌーが楽しめるなど四季折々のイベントが組めること。そのうえ、十勝平野で出る温泉は植物性温泉といい、世界でもドイツとここの2つだけしかないということまで見つけ出しました。
中には、道路工事にこだわった女の子がいました。彼女のお父さんは、運送会社を経営しているそうです。そこで、車に乗る人のことを考え、ロードヒーティング工事を提案しました。人の命が関わる仕事は大切と考えたのです。
どのアイデアも自分らしく、ほかの人を納得させるものだと思います。
そして、このような授業こそ、本当の生きる力を身につけることにつながると考えます。(benese)



能動的授業である。机上の学習を己の中に落とす作業。これが出来ると、その後の定着率が変わってくると思う。例え定着せずとも、再度学べば簡単に思いこせる域までいけるはずである。というのもわたしがこれを発見し意識し心がけるようになったのが大学3年。本当に勿体無いことをしたと心から思っている。が、今凄くそれが役に立っている。パラダイムシフトをするとしないとではその後の人生観が大きく変わることを身を持って体験している。

能動的授業がどうやったら出来るか、問題自体の質なのか、学習者の中身の問題なのか、または教授する側の人間性の問題なのか。






ニュースから~伊予高演劇部 署員と劇団…愛媛~

2012-01-23 23:37:02 | Weblog
愛媛県立伊予高演劇部員と伊予署員が協力して劇団「まもるくんといよっぴー」を結成し、振り込め詐欺にだまされないよう訴える寸劇を高齢者福祉施設などで披露している。
 劇団は3月末までの期限付きだが、観衆の評判は上々で、同署は「今回の経験を基に、新年度以降も他犯罪の防止を含めた寸劇を演じられれば」と継続を望んでいる。(梅本寛之)
 「電話1本で、もうかってしょうがないわい」。サングラスをつけた犯人役の男子生徒が、扇子であおぎながら言い放つ。
 寸劇は、松前町役場の健康保険係職員と名乗る男から過払い医療費の還付を告げる電話が、高齢者宅に入るところからスタート。高齢者はコンビニエンスストアの現金自動預け払い機(ATM)に誘導され、不審に思った伊予署員ふんする店員に話しかけられていったんは振り込みをやめたが、結局は別のATMから99万円を振り込んでしまう――という内容だ。
 劇団は昨年9月、同署側が同校に呼びかけて結成。8月に還付金詐欺の未遂事案が2件あったことを受け、本田稔・同署生活安全課長が「高校生の新鮮な演技を見れば、高齢者も詐欺の仕組みを理解しやすいのでは」と思いついたという。
 一方、同部は普段、1、2年生10人で活動。これまで女子高生と独居老人の交流話や、住民の相談に奔走する新米警察官など身近で親しめる劇を披露しており、「自分たちの祖父母世代に楽しんで学んでもらえるなら」と了承した。
 部員たちは、同署員が実際の被害を基に作成したシナリオなどを用い、なじみのなかった「還付金詐欺」について勉強。「自分の祖父母が振り込め詐欺にあったら」と考え、高齢者に生々しいやり口がわかってもらえるよう、「声は大きく、スピードをゆっくりめに」と声をかけ合って1日2時間練習に励んだ。
 10月中旬に松前町内のデイサービスセンターの初公演1週間前には、署員5人との合同練習も実施。観客50人を前に演じた。12月には署内で金融機関関係者向けにも行った。上演後、観客からは「書面で説明を受けるよりわかりやすい」「近所の老人会でも上演して」など好評だったという。
 3月末までに一般市民向けに披露する予定。同部部長の2年有光江莉加さん(17)は「短い劇だが、お年寄りの胸に残るように精いっぱい演じている。少しでも振り込め詐欺の減少につながれば」と願っている。(読売新聞)



上記のようなデモンストレーション際に、演劇の有用性を感じることが出来る。自身も保育園芝居をして思ったことは公共の場の演劇は教訓物になるということであり、演じる側もそうだが、観る側もそれなりの土壌、度量がないと成立しないということである。「教訓」をいかに説教臭くなく、自然と受け入れさせることが出来るか、ということを考えると演劇の社会性を見ることが出来る。それを高校時代から出来る伊予高校の学生が羨ましい。演じることが己のためから観客の為という視点に立つことが出来ればその人間は更に良い演技をすることが出来る。とりあえず当時のわたしはそんなことを考えられなかった。今になって思えばなんとも幼かった。

先日の人前式の演出でもやはり演劇の有用性を感じることが出来る。公共の場においても、個人においても、ひとまずは「誰かのために」というのが有用性のポイントであろう。

Global Philharmonic Orchestraとは

2012-01-22 23:29:20 | Weblog


Global Philharmonic Orchestra
第47回定期演奏会

P.デュカス
  魔法使いの弟子
C.ドビュッシー
  交響詩「海」
M.ラヴェル
  マ・メール・ロワ組曲
O.レスピーギ
  ローマの松
指揮 / 三石精一

@すみだトリフォニーホール 大ホール


ご招待に預かり錦糸町へ。毎回観に行くことが出来て感謝の限り。

思考時期に何故かこの演奏会があり、その都度とても勇気付けられ、また己の好きなものを再認識することが出来る。同時にそんな今の自己のあり方についても再考することにもなるのだが。

「act orch」の形式や内容について思いつき、形作っていくことが出来たのもグローバルフィルの公演があったからこそ。オーケストラの迫力と総合性が「lab~亀井戸~」のラストダンスでも表現出来ていたのであればひとまずは成功と言えるであろう。


レスピーギのローマの松が本当に凄かった。トリフォニーの空間を使った演出、巨大パイプオルガンも込みの総動員の音の波、とにかく感動。演奏直後の拍手は純粋な気持ちですることが出来た。「うぉー」ってなった。その瞬間、わたしは間違いなく「美」を感じていた。「美」とは合理的に感じることではなく、合理を破壊した忘我の境地であると定義づけたが、やはりそれは間違いではないと確信することが出来た。