浄土宗のこの寺は、かって水戸徳川家につながる尼寺で、太田道灌の居館の地であった
といわれています。
今は鎌倉唯一の尼寺で、尼寺に相応しい佇まいを見せている寺です。
家康に寵愛されたお勝の方は、太田道灌の曾孫・康資の娘です。幼名をお梶といい、
やがて家康の側室の一人になります。家康の死後、お勝の方は出家し英勝院と号しました。
将軍・家光から寺地として賜り、寛永11年(1634)、菩提寺としたのが始まりです。
英勝尼が、この地を先祖である道灌の屋敷跡と考えた為といわれています。
寛永13年(1636)、寺が完成すると英勝寺と名付け、徳川頼房の娘・小良姫を玉峰清因と号し、
開山としました。
現存する仏殿、祠堂、唐門、鐘楼は、英勝院が亡くなったあと、水戸徳川家が造営したものです。
(皆、県の重要文化財です)
また、山門(関東大震災で倒壊)は、部材のまま県の重要文化財に指定され保管中で、
現在再建事業が進められております。山門は、讃岐高松藩主松平頼重が造営したものですが、
頼重も水戸徳川家の祖である徳川頼房の長子で,すべて水戸徳川家によるものといえます。
江戸時代には、水戸家の御殿と呼ばれたほどの格式の高い寺でした。
惣門にも三つ葉葵が掲げられていますが、この門は関東大震災後に再建されたものです。
<鎌倉の観光ポータルサイト『鎌倉ぶらぶら』> より
英勝寺正門

鐘楼

唐門

仏殿

仏殿欄間に施された飾り彫刻

といわれています。
今は鎌倉唯一の尼寺で、尼寺に相応しい佇まいを見せている寺です。
家康に寵愛されたお勝の方は、太田道灌の曾孫・康資の娘です。幼名をお梶といい、
やがて家康の側室の一人になります。家康の死後、お勝の方は出家し英勝院と号しました。
将軍・家光から寺地として賜り、寛永11年(1634)、菩提寺としたのが始まりです。
英勝尼が、この地を先祖である道灌の屋敷跡と考えた為といわれています。
寛永13年(1636)、寺が完成すると英勝寺と名付け、徳川頼房の娘・小良姫を玉峰清因と号し、
開山としました。
現存する仏殿、祠堂、唐門、鐘楼は、英勝院が亡くなったあと、水戸徳川家が造営したものです。
(皆、県の重要文化財です)
また、山門(関東大震災で倒壊)は、部材のまま県の重要文化財に指定され保管中で、
現在再建事業が進められております。山門は、讃岐高松藩主松平頼重が造営したものですが、
頼重も水戸徳川家の祖である徳川頼房の長子で,すべて水戸徳川家によるものといえます。
江戸時代には、水戸家の御殿と呼ばれたほどの格式の高い寺でした。
惣門にも三つ葉葵が掲げられていますが、この門は関東大震災後に再建されたものです。
<鎌倉の観光ポータルサイト『鎌倉ぶらぶら』> より
英勝寺正門

鐘楼

唐門

仏殿

仏殿欄間に施された飾り彫刻
