写真日誌

気ままなフォトスケッチです。

山手西洋館めぐり<2>

2009年12月22日 | 観光スポット
外交官の家。




ソファーに置かれていた小さな手作り人形。手編みのセーターを着ています。









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山手西洋館めぐり<1>

2009年12月21日 | 観光スポット
         昨年もクリスマスの飾り付け写真を掲載しました。今年も訪れました。ブラフ18番館。
         今年の飾り付けは落ち着いたシンプルな印象でした。


ブラフ18番館。













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鎌倉寺院巡り 明王院

2009年12月20日 | 神社・仏閣
明王院。明王院は真言宗御室派の寺。この寺の創建は嘉禎元年(1235)であって、
開山は、鶴岡八幡宮別当・阿闍梨定豪によって盛大に行われた。
発願者は四代将軍・藤原頼経であった。建立地の十二所は政所から見て鬼門の方位であったため、
鎌倉の安泰を願って、鬼門よけとして五大明王を祭る寺として建てられた。
鎌倉から室町まで祈願寺として重んじられ、元寇の際には異国降伏祈願が行われた。
<鎌倉の観光ポータルサイト『鎌倉ぶらぶら』>より


明王院へ。


明王院正門。








境内にあったかなり古い石仏。

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鎌倉お寺巡り 光触寺

2009年12月19日 | 神社・仏閣
鎌倉の寺院めぐりにまた行ってきました。こんどは、鎌倉時代に塩の道として知られた金沢街道沿いです。
金沢街道沿いには、鎌倉最古の寺・杉本寺や竹の寺で知られる報国寺など著名な寺が点在しています。



光触寺(こうそくじ)。この寺は岩蔵山光触寺と号し、弘安二年(1279)に創建。
開基は時宗の開祖・一遍知真上人(1239~1285)で、開山は元真言宗の僧侶だった作阿上人。
以来念仏道場として栄えた。
<鎌倉の観光ポータルサイト『鎌倉ぶらぶら』>より


山門。




本堂へ通じる。


本堂正面。




一遍上人像。




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浴恩館公園(3)

2009年12月18日 | 公園
    柔らかな午後の日差しは、すでに冬を思わせます。







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浴恩館公園(2)

2009年12月17日 | 公園
   園内は大きな木立に囲まれ、日本式庭園とよく調和している。










公園門前のクラシカルな公衆電話ボックス。


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浴恩館公園(1)

2009年12月16日 | 公園
  小金井市浴恩館公園入り口。
 小金井市文化財センターとして使われている建物は「浴恩館」と呼ばれ、
 1928年(昭和3)に京都御所で行われた御大典で使われた建物を「日本青年館」が譲り受け移築したもの。

                                    < 小金井市  HPより >


浴恩館玄関。




空林荘。青年団のリーダーを養成するための養成所で講師の宿舎として使われた。
所長は「次郎物語」の作家の下村湖人で、湖人の浴恩館での実際の教育の実践に基づいて書かれている。



稗倉(ひえぐら)。 穀物備蓄のための倉庫。



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迎賓館赤坂璃宮

2009年12月15日 | フォトスケッチ
      かつて赤坂璃宮と呼んでいました、今の正式名称は「迎賓館赤坂璃宮」、の正門。
      外観をベルサイユ宮殿のイメージで設計・建設されたそうです。
      
      滅多に経験出来ない珍しい想い出を画像のうしろに。










   昭和29年高校3年の時のことです。当時館内の一部分のみが国会図書館として開放されていました。
   がらにもなく通ったんです。  朝早く行かないと満席になるので入館前は
   並ぶんです。 大きなドアを入ると正面には王朝物の映画に出てくるような絨毯敷きの
   大階段があり、宮殿に入るような雰囲気で無駄口は叩けません。
   階段を上がって右手の天井の高~い大広間が閲覧室になっていて
   豪華な室内装飾に見とれていました。 これでは勉強どころではありません。




   お話というのは・・・どなたでも正理的要求は起こりますよね、それも個室のほう。

   係員にたずねると地下にあるとのこと、地下1階へ降りて探し当てました。

   きっと従業員用でしょうが、そこは現在のような集合式ではありません。
   引き戸を開けて入るのです! 

   中へ入りました。  なっなんとっ!! 

   勝手口から履物を脱いで上がるようになっていて、3畳ほどの畳敷きの真ん中に和式の器が
   で~んっと鎮座しているんです、しかも大きめです。 でも水洗式ではありました。

   室内が広いもんで落ち着かなかったと言ったらありゃしませんでした。
   鍵はどうしたか?  記憶なしです。

   現在では改造されていることでしょうが、滅多に経験出来ない貴重?な想い出になっています。

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南部坂雪の別れ

2009年12月14日 | フォトスケッチ
毎年今頃になるとTVで映画「忠臣蔵」が放送され、楽しみでした。どういう訳か今年は無さそうです。

時代劇風に言うならば本日は元禄15年12月14日、赤穂浪士の本所松坂町吉良邸への討ち入りの日。となります。そこで物語の名場面「南部坂雪の別れ」(実際は戯曲作家の創作らしい)の南部坂を見てきました。


    赤坂の氷川神社。浅野内匠頭夫人の瑤泉院が発端の事件後、ここにあった屋敷に住んでいた。






   広い境内。


港区指定文化財の大イチョウ。


南部坂上。


こんな道標が立ててありました。


道標の地点から坂下を、けっこう急坂です。


坂下の石碑、たとへ創作エピソードでも「忠臣蔵」人気の高さが分かります。



  ***明日は午前6時半~9時半頃まで、システム・メンテナンスの為、サービス停止とのことです***
                         よろしくお願いいたします。


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JR中央線高架工事

2009年12月13日 | フォトスケッチ
 一週間前の12月5・6日に三鷹~国分寺間の上り線の高架工事が終わり踏切がフリーに通行出来るように
 なり、この間の開かずの踏切は失くなりました。


     取りあえず電車道の完成ですが、まだまだ難工事の名残が残っています。
     踏切や線路撤去などの後整備のほうが大変でしょうね。








武蔵境駅東側踏切。



武蔵境駅西側踏切。特筆することがあります、ガード直下で上下線の電車が同時に通過しました。
その車両音がとても静かなのには驚きました。すごい技術です。
高架線といえば総武線のお茶の水・秋葉原駅から両国方向は高架になっていて
ご承知の方は多いいと思いますが、音量は立派なもんです。
時代とはいえ技術の進歩は目ざましいものだと感心してしまいます。








三鷹駅西側で高架線への登り口の所。上り電車の通過を跨線橋の上から。
この橋は作家の「太宰治」が散歩によく訪れていたことで知られていて
彼の橋上の写真が雑誌などに掲載されているのを見かけます。
墓所は三鷹市下連雀、「禅林寺」です。





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