先週はハワイに行っておりました。
妹の結婚式だったんですが、よい気候の中、無事に式は執り行われ、家族は本当に幸せな気持ちになりました☆
しかし、実は大変だったんですよね…。
ハワイから帰国したのが9日、そのまま私たちが向かったのは広島県廿日市市内の斎場。
旅行帰りのラフな格好の私たちを迎えてくれたのは喪服姿の親類一同。
そしてお棺に入った母方の祖父。
そう、私たちがホノルルにいる間にお祖父さんはあの世に旅立ってしまったのでした。
親類一同は、私たちが結婚式を終えて戻ってくるのを待って、葬儀をしてくれたのでした。
帰国翌日が葬儀。
もう、準備がバッタバタで、おじいちゃん準備不足で至らなくてゴメンね、と心の中で思いながらの葬儀参列でした。
この2012年の10月は、私にとって忘れられない月になることでしょう。
92で亡くなった祖父は元海軍の特攻隊員で、奇跡的に戦闘機を飛ばさずに済み特攻隊から生還したという幸運の持ち主です。
終戦後はシベリア抑留で3年をツンドラの雪原で強制労働に従じ、その後やっと帰国して、「生きて戻ったらお嫁に欲しい」と言っていた祖母と結婚しました。
祖父が還ってこなければ、母も私もこの世に居なかったわけで、そういう意味で祖父の幸運に感謝せざるをえません。
80を過ぎてから本を出版するなど、文章を書く才能に長けていた祖父は、私にとってひとつの目標です。
心の中には優しい祖父の笑顔と別れ際にいつも握手していた大きな温かい手の感触が今でも残っていますので、これからも子や孫の皆の中に祖父は生き続けることでしょう。
こうして祖父母や親は「祖先」になり、これからを生きる私たちは子子孫孫にたすきを渡すんですよね。
そんな事を考えさせられた1週間でした。
ということで、このタイミングでウソのような本当の話ですが……私も母になる予定です。
祖父が亡くなる5日前に「ひ孫が産まれるよ」と話しかけ、祖父が嬉しそうに無言で頷いてくれたのが、私にとって最後の祖父への孝行だったかな、と思います。
とりあえずは無事に産むことが一番の仕事です(笑)
妹の結婚式だったんですが、よい気候の中、無事に式は執り行われ、家族は本当に幸せな気持ちになりました☆
しかし、実は大変だったんですよね…。
ハワイから帰国したのが9日、そのまま私たちが向かったのは広島県廿日市市内の斎場。
旅行帰りのラフな格好の私たちを迎えてくれたのは喪服姿の親類一同。
そしてお棺に入った母方の祖父。
そう、私たちがホノルルにいる間にお祖父さんはあの世に旅立ってしまったのでした。
親類一同は、私たちが結婚式を終えて戻ってくるのを待って、葬儀をしてくれたのでした。
帰国翌日が葬儀。
もう、準備がバッタバタで、おじいちゃん準備不足で至らなくてゴメンね、と心の中で思いながらの葬儀参列でした。
この2012年の10月は、私にとって忘れられない月になることでしょう。
92で亡くなった祖父は元海軍の特攻隊員で、奇跡的に戦闘機を飛ばさずに済み特攻隊から生還したという幸運の持ち主です。
終戦後はシベリア抑留で3年をツンドラの雪原で強制労働に従じ、その後やっと帰国して、「生きて戻ったらお嫁に欲しい」と言っていた祖母と結婚しました。
祖父が還ってこなければ、母も私もこの世に居なかったわけで、そういう意味で祖父の幸運に感謝せざるをえません。
80を過ぎてから本を出版するなど、文章を書く才能に長けていた祖父は、私にとってひとつの目標です。
心の中には優しい祖父の笑顔と別れ際にいつも握手していた大きな温かい手の感触が今でも残っていますので、これからも子や孫の皆の中に祖父は生き続けることでしょう。
こうして祖父母や親は「祖先」になり、これからを生きる私たちは子子孫孫にたすきを渡すんですよね。
そんな事を考えさせられた1週間でした。
ということで、このタイミングでウソのような本当の話ですが……私も母になる予定です。
祖父が亡くなる5日前に「ひ孫が産まれるよ」と話しかけ、祖父が嬉しそうに無言で頷いてくれたのが、私にとって最後の祖父への孝行だったかな、と思います。
とりあえずは無事に産むことが一番の仕事です(笑)