父母の思い出から学ぶ

2023-01-29 02:02:27 | 日記
昨晩は豚バラ肉と豆腐とニラを、卵で閉じたものと
キャベツの味噌汁と、キュウリとカブのお漬け物と
昆布の佃煮と少な目ご飯で頂きました。

食後は2階で区切りの良い所まで、本を読んでから
クラシックミュージックのCDを聴きながら眠りに、

真夜中に目覚めて時間を見たらまだ28日の午後10時
50分で起きるにはまだ早過ぎるが、まあ良いかと起
きて来ました。2回の日本間の温度は21.4度でした。

1階のリビングの温度は15.8度で湿度は42%でした。

早速ブラックの紅茶を飲みながら将棋の勉強からス
タートですわ。


最近気になる事が一つあるのだが、それはロシアの
プーチン氏が表に出て来ていないね。病気で入院し
ているのか? 別荘に隠れているのか?それとも死
んじゃったとか?

世界で7億人がコロナに感染して680万人が死亡して
います。日本では2023年1月の死者だけでも1万人だ
よ。

お馬鹿な政府は2類から5類に下げて、声出し応援や
マスクも取り外してもOKとか、本当に馬鹿みたい。

観光船が知床で沈没して26名が死亡していて大騒ぎ
になったが、コロナで1万人が死んでもどこ吹く風
信じられる? これがいまの日本の政府の態度だよ

今朝も水道が凍結しないように水道をちょろちょろ
流しっぱなしに・・・ちなみに電気代は数百円で凍
結して水道管が破裂しトイレも流せなくなったらも
っとヤバイよ。

修理代だけでも、一万円は超すんじゃないのかしら。


我が父は大正元年(1912年)に生まれ(1991年)に
死亡78歳数えで79歳でした。今の僕の年です。

優秀だったがお酒が大好きだが弱かった。昭和63年
(1988年)76歳時に満鉄の同窓会が舘山寺のビユー
ホテル・開花亭で開催された宴会場で倒れて即入院。

病名は心筋梗塞でした。

入院前の生活は毎年、両親は満鉄の同窓会に参加して
旅行を楽しんでいた。僕達子供達3人も都合の良い時
はカバン持ちとして参加していた。

父が定年後に家で囲碁をやっているシーンは良く覚え
ているが散歩とか運動をしているシーンは見たことが
なかった。

だから70代中頃には、駅の階段さえ登るのにも途中で
休憩する程だった。

そういう姿を見ているので、反面教師として父の二の
舞を踏まないように僕は未だに軽く走っているのです。

ちなみに母は、女学校の時は陸上の選手で二ツ井町の
運動会の時にはいつも参加して何時も断トツトップで
した。敗けた姿を見たことが無かった。身体が丈夫だ
ったので数えで、99歳まで生きました。

ちなみに我が両親の人生での危機は日本の敗戦でした。
両親の敗戦時の苦労と比較するとコロナなんか比べ物
にならない程です。

★☆☆彡

そう言う僕も今までの人生の中で沢山の失敗を犯して
来ました。でも、その失敗のお陰で今が在ると思って
います。失敗は成功の基とも言うでしょう。

一番困るのが失敗をしないで老年期を迎えるとヤバイ
のです。取り返しのつかない失敗は立ち上がれません。

投資でも大きな失敗をしたし、人間関係でも失敗した
したが、いまよくよく考えて見ると過去の失敗が今の
自分が有るのだと思っています。

失敗の無い人生は面白くもなんともないです。定年前
までの失敗は投資だと思わなくちゃ・・・定年後は過
去の失敗を肝に銘じて過ごすのが良いと思う。

若い時の苦労は、買ってでもせよ!!と言うでしょう。
歳を取ってからの大失敗は、ただのお馬鹿さん(笑い)

☆彡

後は運次第。そうそう昨日は我がブログに沢山の方が
訪れてくれて嬉しいです。m(_ _)m

3時30分にお風呂へ、今朝の気になる体重は62.4Kで
体脂肪は28%でおました。


2024年のフランスでのオリンピックにはロシアの参加
を認めてはいけない。

もしもIOCのバッハ氏が、ロシアの参加を認めるならば
自由諸国は、参加をボイコットした方が良いと考える。

6時半に外へ出て寒暖計をチェックしたらマイナス2度で
した。水道を止めるのはまだ早いね。

7時頃にコロナ情報を収集し分析し記録まで・・・7時15
分過ぎに朝食+果物+お薬も・・・

7時45分に外へ出て寒暖計をチェックまだマイナス1.9度
でおました。