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ONCC 史跡探訪クラブ

史跡探訪の活動記録・紹介

第9回 千本釈迦堂、船岡山 他

2023-12-09 | 日記

第9回 千本釈迦堂、船岡山 他

 今回は、12月7日(木)に13名で京都市上京区の千本釈迦堂、船岡山、他に行きました。           12時30分に阪急西院駅に集合して、市バスで北野天満宮に移動しましたがバスは超満員でした。

今回の見所は、千本釈迦堂の年末の風物詩の大根焚きです。

 

北野天満宮では 丁度来年の干支の辰の大きい絵馬が飾られていました。

 

天満宮のすぐ東側に上七軒の歌舞練場があります。京都最古の花街の芸道を継いで春の「北野おどり」、夏のビアガーデンも楽しみです。

天満宮への参道の上七軒には、お茶屋が並び、落ち着いた風情が残っています。

 

千本釈迦堂の境内で、大根焚きがふるまわれます。 お釈迦様が35歳の時に、12月8日に悟りを開かれたことに因んで、鎌倉時代から続けられています。

 

大きい大根が3つに甘いお揚げが添えられています。 大根は芯まで味が浸み込んでいて、とても身体が温まります。千円の値打ちはあります。

 

千本釈迦堂(大報恩寺)の本堂は応仁の乱の戦火にも合わず、京都最古の建造物で国宝です。 おかめ信仰でも有名です。

 

石像寺には釘抜き地蔵があり、この世の苦の釘を抜いてくれるという信仰があります。これは堂本印象が奉納したモニュメントです。

 

病気等が治癒した信者は釘と釘抜きのセットをお供えします。

 

浄光寺の境内には 江戸時代の文人画家の池大雅の墓所があります。蕪村との合作の「十便十宜図」は国宝です。

 

鞍馬口通りに1923(大正12)年建築の船岡温泉があります。 唐破風の玄関で欄間や豪華なタイルで有名ですが、15時からなので、まだ開いていませんでした。

 

建勲(タケイサオ)神社への参道からは左手に比叡山、右手には大文字山が綺麗に見えます。

 

明治時代に信長家の子孫が信長をまつる建勲神社を建てました。

 

船岡山山頂には111.55mの三等三角点があり、公園として整備されています。

 

船岡山から東に歩き、堀川に出ると紫式部と小野篁の墓所があります。

 

紫式部はこの付近の紫野にあった蘆山寺で源氏物語を30歳位から書いたとされます。
蘆山寺は秀吉により、現在の京都御苑の東に移築されました。

帰りのバスも超満員でしたが、京都市民の方々の足がこれでは困りますね。

 

 

 


第8回 神戸 布引滝、市章山 他

2023-11-21 | 日記

第8回 神戸 布引滝、市章山 他

 今回は、11月17日(金)に 7名で神戸市の布引滝、市章山、他に行きました。

 夜中に大雨が降っていましたが、10時30分有志で阪急三宮駅から布引滝に出掛けました。

 


神戸三宮阪急ビルの29Fのビューラウンジに上がると本日の目標の市章山と錨山がよく見えます。

 


徒歩で、新神戸駅経由して少し行くと布引滝の雌滝(19m)があります。

 


更に少し登ると、雄滝(43m)があります。周りの岩が白いので、白布をさらしたように
見えることから名付けられました。

 


布引滝の近くの徳光院に行きました。元は7世紀に役小角が創建した滝勝寺がありましたが瀧山城落城で伽藍が失われていたのを川崎造船所の川崎正蔵が徳光院として、1906(明治39)年に再興しました。

 


布引滝の辺りは、まだ紅葉していなかったですが、ここでは見頃でした。

 


多宝塔は垂水区から1938年に移築されましたが、1478年に建立されたもので、県内で最古の物です。

 


一旦、三ノ宮に戻って昼食後、他のメンバーと合流し、タクシーで再度山方面に移動しました。1938(昭和13)年に広大な土地を無償貸与されたと言う碑があります。

 


整備された山道を東に進みます。

 


城山(338m)の山頂付近に滝山城址の碑があります。大阪湾が一望出来る戦略上の拠点で、松永久秀、荒木村重等の使いましたが、1579年信長により、落城しました。

 


西に戻った後、南下すると、市章山の上に出ます。 神戸港や大阪湾が一望できます。
1907(明治40)年に築港起工を記念して松を植栽したのが始まりで、1967(昭和42)年
電飾されました。43度の急傾斜地で、保全も大変と思います。

 


市章山の近くに錨山があります。 1903(明治36)年の明治天皇の観艦式の際に
数百人の小学生が錨形の人文字を作り、日の丸を振って歓迎したのが始まりです。

 


38度の急傾斜地なので、怖かったを思います。

 


らせん状のビーナスブリッジまで下って来ると市街地に近づきます。

 


夜に再度、29階に登ると市章山、錨山が綺麗に点灯していました。 船乗りの良い
道しるべになっていることが分かりました。

 山中では青空が見える好天でしたが、市街地まで下りて来た頃に、雷を伴う雨が降り出しました。大して濡れなくて助かりました。 午前が5km、午後も5kmで程よい汗をかきました。

 


第7回 曽爾高原 他

2023-10-29 | 日記

第7回 曽爾高原 他 

 今回は、10月27日(金)に4名で三重県の曽爾高原に行きました。

 近鉄なんば駅の特急券売り場で、曽爾高原お得キップを購入して、少し早いですが、

上本町駅7時50分発の名張行き急行に乗り、9時06分に名張駅に着きました。

 バスは平日は1本なので混むかもと心配しましたが、乗客全員座れました。


今回の目的地は、ススキが美しい曽爾高原です。 幸いにも快晴でした。

 


バスは曽爾青少年自然の家近くまで登ってくれます。
そこからの山道にマムシグサがありましたが、触ると危険です。

 


西側には、兜岳と鎧岳が綺麗に見えます。

 


南東に亀山が見えます。

 


亀池には水もあり、サギもいました。

 


亀山峠への山道を進むと、亀山と亀池が見えます。

 


亀山への道の途中には鎖も新設されていました。 亀山からは亀池が綺麗に見えました。

 


亀山からの下山道は木漏れ日こぼれる気持ちの良い道です。

 


お得キップならお亀の湯が100円割引です。つるつるした気持ちの良い温泉でした。

 


その後、ファームガーデンのレストランでソーセージや唐揚げと地ビールを飲みましたが、
とても美味しかったです。

 帰路のバスも全員座れて良かったです。 帰阪中に雨が降りましたが、大阪に着く頃には
止んでおり、全員の晴れ男、晴れ女が立証できました。

 

 


第6回 八尾、大聖勝軍寺 他

2023-09-24 | 日記

第6回 八尾、大聖勝軍寺 他

 今回は、9月21日(木)に 11名で八尾市の蘇我氏、物部氏の戦いの址、他に行きました。

 前日までは暑い日が続いていましたが、曇り空で助かりました。JR八尾駅に13時に集合しました。

 

八尾駅の南東に渋川神社があります。ここのご祭神は物部氏の祖神の饒速日命、他です。

 

境内には立派な楠があり、府天然記念物です。

 

近くに旧大和川の付替えによって開発された安中新田の会所跡の旧植田家住宅があります。立派なお屋敷が保存されています。

 

玄関口に丁度、河内木綿が出来た植木鉢がありました。 お庭にも植えられていました。

 

道路脇に簷葡舎(えんほしゃ)跡の碑があります。 幕末に佛蓮がこの地に来て、開いた私塾跡です。栄えていたのが偲ばれます。

 

太子堂交差点の西に物部守屋大連墳があります。 この付近で亡くなった守屋は明治時代になって墳墓が作られました。

 

全国の有名な神社の名前が並んでいます。

 

聖徳太子古戦場とされる大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)です。太子16歳の時に、信貴山の毘沙門天に祈願して勝ったとされています。

 

戦いの折り、絶対絶命になった時に椋の大木が割れて、その中に太子が逃れたという逸話があります。

 

その時の様子を再現するために、太子像が置かれています。

 

戦いの前に祈願した毘沙門天を祀った毘沙門堂もあります。

 

秦河勝が守屋の首を洗ったとされる守屋池です。

 

国道の南側に 迹見赤檮(とみのいちい)が守屋を射抜いた鏑矢が落ちた所と伝わります。

 

更に200m以上南に、鏑矢を打った弓を埋めたとされる弓代塚があります。

 

樟本神社です。守屋が守護神として崇めていた布都大神を奉祀された物と伝えられています。

 

光蓮寺の門前に稲城碑があります。守屋が兵を集めて、稲城を構えて、抗戦しました。

 

 光蓮寺から近くの谷町線の八尾南駅まで歩きました。 5km弱と短めでしたがお疲れ様でした。

 


第5回 貝塚、水間寺 他

2023-08-09 | 日記

第5回 貝塚、水間寺 他

 今回の史跡探訪は、8月7日(月)に 7名で貝塚市の日本一高いヒマワリ、水間寺、他に行きました。

 南海本線貝塚駅に 10時に集合して、15分発の水間鉄道に乗車しました。

 

今回は貝塚の郊外で日本一高いヒマワリを栽培されている山薗農園、他に行きました。

 

貝塚駅に隣接している水間鉄道です。
ローカル線で赤字なので杵屋他の支援でワンマンカー2両で運行されています。

 

終点の水間観音駅は、宝形造でいかにも門前町の駅と言う感じです。駅前からタクシーで山薗農園に移動しました。

 

高い架台が組まれていて、普通のヒマワリに較べて遥かに高いのが分かります。今年は6.0mで世界一には及ばなかったようです。

 

行基が開祖の水間寺の伽藍は立派です。
近くの食堂で昼食しました。 期間限定の水ナスカレーも人気でした。

 

近くの山すそに行基の開山堂があります。

 

縁結びの愛染明王を祀る愛染堂の前庭に身分の違いを乗り越え、結ばれたお夏・清十郎のお墓があります。田中絹代、林長次郎(長谷川一夫)の名前も。

 

行基がこの滝で白髪の老人に出会い、聖観音の尊像を渡され、それを聖武天皇に捧げると、病気が治ったと伝わります。

 

行基を水間まで導いたとされる十六童子の像を探しながら、駅に戻りました。 
地図とは違う所もあり、それなりに楽しかったです。

 

電車が出た後だったので、30分待つことに。しかしこの休憩所は冷房が効いており、しかもコーヒーや緑茶も無料で快適でした。

 

近義の里駅で降りて、歴史展示館に向かいましたが、途中の公園に長いローラー滑り台があり、童心に帰って楽しみました。

 

元日紡貝塚の敷地の一角に貝塚市立歴史展示館があります。 元の本事務所があった所です。

 

東京オリンピックで最高視聴率で大いに盛り上がった女子バレーチームの資料が沢山、ありました。 大松監督や笠井主将も。

 

2020年のオリンピックの聖火リレーに使われたトーチを飾るだけでなく、撮影に使えるようになった第1号です。

 

 今回は 猛暑日では無かったですが、往路にタクシーを利用したので 4kmと短めでした。貝塚には、寺内町もあるので、又、行きたいと思っています。