ヨガをするのであれば、まずはヨガの目的(インドの哲学)を知らなければ。ということで、今日はウパニシャッドのご紹介です。
先日のクラスでは、バンダを使った呼吸法に関連して、『カタ・ウパニシャッド(BC約800年著)』の2部3章16節をご紹介しました。
"(人体には72,000本の生命エネルギーの通り道がある。)
ヨガをし真理を悟った者は、死ぬときに頭頂へと通じる真ん中の道から自我意識が抜けて、宇宙原理と一体化し二度と生まれ変わることはない。しかし真実を知らずに死んだ者は、他の道のどれか一つから抜けて、別の生命の子宮に再び宿る"
つまり、ヨガ的な幸せとは輪廻を断ち切ること。そして様々あるヨガの手法は、意識を中央脈管から頭頂に抜けさせる訓練であるとも言えるのではないでしょうか。
これはあくまで"ヨガ的な哲学"ですから、「私の幸せはそれじゃない」と思ったなら、「この肉体を健康に保つために"ヨガっぽい体操"をするだけで十分」という考え方があってももちろん良いと思います。
でも、自分が"ヨガもどきの体操"をしているに過ぎないという自覚なしにヨガをするよりも、「あー知ってる知ってる、ヨガの目的はモクシャでしょ?アートマンがブラフマンと繋がって二度と輪廻を繰り返さないことでしょ?でも私、今のところそういうことに興味なくてー、ヨガもどきの体操で十分かなーと思ってる」って言える方が格好良くないですか!?
と、私は思います😊
先日のクラスでは、バンダを使った呼吸法に関連して、『カタ・ウパニシャッド(BC約800年著)』の2部3章16節をご紹介しました。
"(人体には72,000本の生命エネルギーの通り道がある。)
ヨガをし真理を悟った者は、死ぬときに頭頂へと通じる真ん中の道から自我意識が抜けて、宇宙原理と一体化し二度と生まれ変わることはない。しかし真実を知らずに死んだ者は、他の道のどれか一つから抜けて、別の生命の子宮に再び宿る"
つまり、ヨガ的な幸せとは輪廻を断ち切ること。そして様々あるヨガの手法は、意識を中央脈管から頭頂に抜けさせる訓練であるとも言えるのではないでしょうか。
これはあくまで"ヨガ的な哲学"ですから、「私の幸せはそれじゃない」と思ったなら、「この肉体を健康に保つために"ヨガっぽい体操"をするだけで十分」という考え方があってももちろん良いと思います。
でも、自分が"ヨガもどきの体操"をしているに過ぎないという自覚なしにヨガをするよりも、「あー知ってる知ってる、ヨガの目的はモクシャでしょ?アートマンがブラフマンと繋がって二度と輪廻を繰り返さないことでしょ?でも私、今のところそういうことに興味なくてー、ヨガもどきの体操で十分かなーと思ってる」って言える方が格好良くないですか!?
と、私は思います😊