スコティッシュ・フォールドのひとりごと

スコティッシュ・フォールドの「ひー(オス・19歳)」とその妹「こっちゃん・11歳」、その飼い主「でれすけ」のブログ

UR都市住宅技術研究所~特別公開~その2

2008年08月07日 | 「団地・建物・給水塔」
前回は「同潤会アパート」と「公団蓮根団地」についての記事を書きました。

今回は、

公団晴海高層アパート

についてです。




ここで1つだけお断りが。
実は、晴海高層アパートの展示を見ている最中に、突然デジカメの充電が切れてしまい、デジカメ撮影ができなくなってしまい、仕方なく、途中からは携帯電話のカメラで撮影しました。
途中から、画像の画質が落ちることをご了承ください
(本当に心残りなので、今度また、リベンジするつもりです




(3) 昭和30年代の高層集合住宅
~公団 晴海高層アパート~


公団晴海高層アパート」は、東京都中央区晴海に建てられた、公団初の高層住宅です。

昭和32年4月から昭和33年11月に入居開始となった、中層:262戸、高層:168戸の賃貸住宅です。

この団地、団地マニアのみならず、一般の「建築に興味のある人」の間でも、非常に有名な団地です。

それは、有名な建築家「前川國男」が設計した団地だからです。

以前、紹介した公団阿佐ヶ谷住宅などのテラスハウスの他に、前川國男氏は高層住宅も設計していました。

晴海高層アパートは、フランスの建築家ル・コルビュジェ設計の集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」を連想させる力強いもので、日本の集合住宅歴史上、ユニークな存在でした。



 

写真が暗くて分かりにくいかと思いますが、本文には

日本住宅公団は、発足間もない1956年(昭和31)、当時日本を代表する建築家であった前川國男に2つの設計を依頼しました。1つは、公団初の高層集合住宅として誕生した晴海高層アパート。もう1つは、テラスハウスの標準設計で、鷺宮・烏山・阿佐ヶ谷の3つの団地で建設されました。

と書いてあります。

上の写真の建物が、「公団晴海高層アパート」です。





公団晴海高層アパート」の高層棟の模型が展示されていました。






公団晴海高層アパート」の案内板です。


この団地は、

① 3階構造スーパーストラクチャー方式

スキップアクセス方式

の2つが特徴です。

①はどういうことかと言うと、3層6戸を1単位として、壁を破れば、自由に住居規模が変更可能である…ということです。

②は、エレベータの停止階を奇数階のみにして、停止階には住棟の端まで移動できる廊下を設置し、偶数階の住人は奇数階までエレベーターで行き、上下どちらかの階に階段で移動する…という方式です。 

複雑な造りのため、迷子になる人が多かったため、晴海高層アパートでは、案内人が雇われていたこともあったそうです。






集合案内板。







ステンレス製流しです。

ポイントシステム(中央に流しを置く方式)を採用していますが、昭和32年当時は、ステンレスを1枚続きで加工する技術が無かったため、3枚のステンレスを繋ぎあわせて作られています。

このステンレス製流しは、量産化が成功した最初期のものです。






洗面所。

晴海高層アパートでは、浴室内に洗面所が設置されていたのです。







浴室です。

前回紹介した「公団蓮根団地」の浴室と大きな違いはありません。

当時、銭湯へ行くのが一般的であった時代に、家風呂があるのは贅沢だったに違いありません。





公団住宅の浴室は、「小判型」と呼ばれた風呂桶に内釜が組み込まれたガス風呂でした。






ガス風呂の点火方法は、まず、パイロットコックを開いてパイロットに点火し、本コックを開いてバーナーに点火する…という手順でした。

日本住宅公団は、ガス中毒を恐れ、換気を十分にすることをしきりに警告していました。








水洗トイレ。

昭和30年代前半から洋式トイレが導入されていました。

便所は、1958年から正式採用される洋風便器です。

当時、一般的でなかった洋式トイレの使用方法が分からず、便座の破損や紙詰まりを起こすなどのトラブルが続発したそうです。

そのため、公団は、事細かに水洗トイレの使い方を記したプレートをトイレに掲示するようになりました。








玄関の扉

シリンダー錠が採用されています。

ちなみに、写真は非廊下階住戸(1階の展示)です。

廊下階住戸(2階の展示)の玄関の扉は、「引き戸」でした。






とりあえず、今回は「公団晴海高層アパート」についての記事でした

次回は、「公団多摩平団地」のテラスハウスの予定です


UR都市住宅技術研究所~特別公開~ その1

2008年08月07日 | 「団地・建物・給水塔」
5月31日のブログで、でれすけはUR都市機構 平成20年度 都市住宅技術研究所特別公開について書きました


のちのち、「集合住宅歴史館」について、詳細を書く予定だったのですが、あまりの忙しさにずっと書けずにいました…

そんな訳で、今更ながら、「UR都市住宅技術研究所 特別公開」に関する続きを書こうと思います



平成20年5月23・24日に、東京都八王子市にあるUR都市機構の研究所が特別公開されていました。

URとは、簡単に言うと「旧・日本住宅公団」のこと。(詳しくは、URのホームページを参照してください。)

この研究所、公団団地が好きな人間にとっては、一度は足を踏み入れて見たい場所なのですが、見学するには事前予約が必要だったり、平日しか見学できなかったりと、結構面倒臭いのです

しかし、年に1回、事前予約なしの上、土曜日に公開している日があるのです
それが「特別公開」の日

わくわくしながら、でれすけも見学に行ってきました





集合住宅歴史館」の入口。







何と今回は、でれすけが尊敬してやまない建築家・前川國男氏の建築展もやっていました。

うひょ~ ラッキ~



まず、歴史館の中に入ると、日本の集合住宅の歴史の年表がお出迎えしてくれます。

驚くことに、日本初のRC造の集合住宅は、廃墟フリークにはおなじみの長崎・軍艦島(正式名称は「端島」)なのだそうです。

1916年(大正5年)に、軍艦島に建てられた、7階建てRC造の旧鉱員社宅が日本のRC造集合住宅の始まりなのです


続いて、奥に進むと、待ちに待った移築・復元された建物がお目見えします



(1) 戦前の集合住宅
~同潤会代官山アパート~



大正13年に設立された同潤会は、昭和16年に住宅営団に引き継がれるまでの20年間に、約12000戸の住戸を建設し、住宅供給に貢献してきました。

同潤会代官山アパートは、東京都渋谷区代官山にあり、昭和2年(1927年)に竣工されました。

規模は全36棟337戸で、関東大震災の災害復興住宅の1つとして、青山女学院の跡地に建てられました。

いまは、既に取り壊され、「代官山アドレス」として生まれ変わっていますが、この「歴史館」には、居室やダストシュートなどが移築復元されています






(2) 昭和30年代の中層集合住宅
~昭和32年 公団蓮根団地~


公団蓮根団地は、昭和32年、東京都板橋区に作られた中層団地です。

この団地は、公団標準設計確立前に建てられた団地ですが、公団が目指した寝食分離型の典型プランに則って設計されています。


 

(左)玄関。大きな「のぞき窓」と、右下の「牛乳受け」が特徴です。
(右)風呂。以前、松戸市立博物館の記事で紹介したモノとほぼ同様です。




段差のあるトイレです。
便器に書かれた「東洋陶器」は、現在のTOTO




公団標準設計確立前は、「ステンレス流し」ではなく「ジントギ」の流しでした。

「ステンレス流し」が公団の標準設計になるまでのお話は、「プロジェクトX 挑戦者たち 妻へ贈ったダイニングキッチン~勝負は一坪・住宅革命の秘密~」を、是非見てください





ガス台は、この当時から2口のガスコンロに対応していました。





なんと、標準設計が確立する前の公団団地には、ダイニングテーブルが備え付けてあったのです




当時の配電盤。

ちなみに最初の電力は10Aで()、20Aに変更したい家庭は「住宅模様替え願い」を提出しなくてはなりませんでした


 

(左)ベランダ。ベランダの柵が「フェンス」です
(右)北側の部屋の窓。




以前、江戸東京たてもの園の特別展「移りゆくくらしの歴史~いろりからDKへ~」で配布されていたパンフレットに掲載されていた「公団蓮根団地」の間取りです。

典型的な2DKであるのが分かります。




…とりあえず、今回はこの辺で。

次回は「晴海高層アパート」から書く予定です


突然の大雨。

2008年08月07日 | 「『ひー』のこと」
最近、東京は異常な大雨に見舞われる日が増えています。



集中豪雨で、死者や行方不明者まで出ている状態です




ここ最近、東京では落雷によって、電車の遅延や運休が続いていますが、2日連続で「ひー」の父ちゃんの仕事帰りに電車がストップしてしまい、父ちゃんはブルーになっています…





いつもは、外に洗濯物を干しているでれすけですが、ここ最近は、雨が降ってくると、一目散に洗濯ものを取り込み、部屋干しにします





「部屋干し」に関する唯一の悩みは…


「部屋干し」をすると、どこからともなく「ひー」がやってきて、洗濯物を隠れ家にしてしまうのです…




「バスタオルのかげニャら、でれすけに見つからニャいニャ






「ここを今日から隠れ家にするニャ




…隠れているつもりでも、丸見えの「ひー」なのでありました