前回は「同潤会アパート」と「公団蓮根団地」についての記事を書きました。
今回は、
公団晴海高層アパート
についてです。
ここで1つだけお断りが。
実は、晴海高層アパートの展示を見ている最中に、突然デジカメの充電が切れてしまい、デジカメ撮影ができなくなってしまい、仕方なく、途中からは携帯電話のカメラで撮影しました。
途中から、画像の画質が落ちることをご了承ください
(本当に心残りなので、今度また、リベンジするつもりです)
(3) 昭和30年代の高層集合住宅
~公団 晴海高層アパート~
「公団晴海高層アパート」は、東京都中央区晴海に建てられた、公団初の高層住宅です。
昭和32年4月から昭和33年11月に入居開始となった、中層:262戸、高層:168戸の賃貸住宅です。
この団地、団地マニアのみならず、一般の「建築に興味のある人」の間でも、非常に有名な団地です。
それは、有名な建築家「前川國男」が設計した団地だからです。
以前、紹介した公団阿佐ヶ谷住宅などのテラスハウスの他に、前川國男氏は高層住宅も設計していました。
晴海高層アパートは、フランスの建築家ル・コルビュジェ設計の集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」を連想させる力強いもので、日本の集合住宅歴史上、ユニークな存在でした。
写真が暗くて分かりにくいかと思いますが、本文には
「日本住宅公団は、発足間もない1956年(昭和31)、当時日本を代表する建築家であった前川國男に2つの設計を依頼しました。1つは、公団初の高層集合住宅として誕生した晴海高層アパート。もう1つは、テラスハウスの標準設計で、鷺宮・烏山・阿佐ヶ谷の3つの団地で建設されました。」
と書いてあります。
上の写真の建物が、「公団晴海高層アパート」です。
「公団晴海高層アパート」の高層棟の模型が展示されていました。
「公団晴海高層アパート」の案内板です。
この団地は、
① 3階構造スーパーストラクチャー方式
②スキップアクセス方式
の2つが特徴です。
①はどういうことかと言うと、3層6戸を1単位として、壁を破れば、自由に住居規模が変更可能である…ということです。
②は、エレベータの停止階を奇数階のみにして、停止階には住棟の端まで移動できる廊下を設置し、偶数階の住人は奇数階までエレベーターで行き、上下どちらかの階に階段で移動する…という方式です。
複雑な造りのため、迷子になる人が多かったため、晴海高層アパートでは、案内人が雇われていたこともあったそうです。
集合案内板。
ステンレス製流しです。
ポイントシステム(中央に流しを置く方式)を採用していますが、昭和32年当時は、ステンレスを1枚続きで加工する技術が無かったため、3枚のステンレスを繋ぎあわせて作られています。
このステンレス製流しは、量産化が成功した最初期のものです。
洗面所。
晴海高層アパートでは、浴室内に洗面所が設置されていたのです。
浴室です。
前回紹介した「公団蓮根団地」の浴室と大きな違いはありません。
当時、銭湯へ行くのが一般的であった時代に、家風呂があるのは贅沢だったに違いありません。
公団住宅の浴室は、「小判型」と呼ばれた風呂桶に内釜が組み込まれたガス風呂でした。
ガス風呂の点火方法は、まず、パイロットコックを開いてパイロットに点火し、本コックを開いてバーナーに点火する…という手順でした。
日本住宅公団は、ガス中毒を恐れ、換気を十分にすることをしきりに警告していました。
水洗トイレ。
昭和30年代前半から洋式トイレが導入されていました。
便所は、1958年から正式採用される洋風便器です。
当時、一般的でなかった洋式トイレの使用方法が分からず、便座の破損や紙詰まりを起こすなどのトラブルが続発したそうです。
そのため、公団は、事細かに水洗トイレの使い方を記したプレートをトイレに掲示するようになりました。
玄関の扉。
シリンダー錠が採用されています。
ちなみに、写真は非廊下階住戸(1階の展示)です。
廊下階住戸(2階の展示)の玄関の扉は、「引き戸」でした。
とりあえず、今回は「公団晴海高層アパート」についての記事でした
次回は、「公団多摩平団地」のテラスハウスの予定です
今回は、
公団晴海高層アパート
についてです。
ここで1つだけお断りが。
実は、晴海高層アパートの展示を見ている最中に、突然デジカメの充電が切れてしまい、デジカメ撮影ができなくなってしまい、仕方なく、途中からは携帯電話のカメラで撮影しました。
途中から、画像の画質が落ちることをご了承ください
(本当に心残りなので、今度また、リベンジするつもりです)
(3) 昭和30年代の高層集合住宅
~公団 晴海高層アパート~
「公団晴海高層アパート」は、東京都中央区晴海に建てられた、公団初の高層住宅です。
昭和32年4月から昭和33年11月に入居開始となった、中層:262戸、高層:168戸の賃貸住宅です。
この団地、団地マニアのみならず、一般の「建築に興味のある人」の間でも、非常に有名な団地です。
それは、有名な建築家「前川國男」が設計した団地だからです。
以前、紹介した公団阿佐ヶ谷住宅などのテラスハウスの他に、前川國男氏は高層住宅も設計していました。
晴海高層アパートは、フランスの建築家ル・コルビュジェ設計の集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」を連想させる力強いもので、日本の集合住宅歴史上、ユニークな存在でした。
写真が暗くて分かりにくいかと思いますが、本文には
「日本住宅公団は、発足間もない1956年(昭和31)、当時日本を代表する建築家であった前川國男に2つの設計を依頼しました。1つは、公団初の高層集合住宅として誕生した晴海高層アパート。もう1つは、テラスハウスの標準設計で、鷺宮・烏山・阿佐ヶ谷の3つの団地で建設されました。」
と書いてあります。
上の写真の建物が、「公団晴海高層アパート」です。
「公団晴海高層アパート」の高層棟の模型が展示されていました。
「公団晴海高層アパート」の案内板です。
この団地は、
① 3階構造スーパーストラクチャー方式
②スキップアクセス方式
の2つが特徴です。
①はどういうことかと言うと、3層6戸を1単位として、壁を破れば、自由に住居規模が変更可能である…ということです。
②は、エレベータの停止階を奇数階のみにして、停止階には住棟の端まで移動できる廊下を設置し、偶数階の住人は奇数階までエレベーターで行き、上下どちらかの階に階段で移動する…という方式です。
複雑な造りのため、迷子になる人が多かったため、晴海高層アパートでは、案内人が雇われていたこともあったそうです。
集合案内板。
ステンレス製流しです。
ポイントシステム(中央に流しを置く方式)を採用していますが、昭和32年当時は、ステンレスを1枚続きで加工する技術が無かったため、3枚のステンレスを繋ぎあわせて作られています。
このステンレス製流しは、量産化が成功した最初期のものです。
洗面所。
晴海高層アパートでは、浴室内に洗面所が設置されていたのです。
浴室です。
前回紹介した「公団蓮根団地」の浴室と大きな違いはありません。
当時、銭湯へ行くのが一般的であった時代に、家風呂があるのは贅沢だったに違いありません。
公団住宅の浴室は、「小判型」と呼ばれた風呂桶に内釜が組み込まれたガス風呂でした。
ガス風呂の点火方法は、まず、パイロットコックを開いてパイロットに点火し、本コックを開いてバーナーに点火する…という手順でした。
日本住宅公団は、ガス中毒を恐れ、換気を十分にすることをしきりに警告していました。
水洗トイレ。
昭和30年代前半から洋式トイレが導入されていました。
便所は、1958年から正式採用される洋風便器です。
当時、一般的でなかった洋式トイレの使用方法が分からず、便座の破損や紙詰まりを起こすなどのトラブルが続発したそうです。
そのため、公団は、事細かに水洗トイレの使い方を記したプレートをトイレに掲示するようになりました。
玄関の扉。
シリンダー錠が採用されています。
ちなみに、写真は非廊下階住戸(1階の展示)です。
廊下階住戸(2階の展示)の玄関の扉は、「引き戸」でした。
とりあえず、今回は「公団晴海高層アパート」についての記事でした
次回は、「公団多摩平団地」のテラスハウスの予定です