スコティッシュ・フォールドのひとりごと

スコティッシュ・フォールドの「ひー(オス・19歳)」とその妹「こっちゃん・11歳」、その飼い主「でれすけ」のブログ

UR都市住宅技術研究所~特別公開~ その6

2008年08月12日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回はUR都市住宅技術研究所特別公開の最終回です。


いままで集合住宅歴史館について記事を書いてきましたが、その最後の展示について紹介します。





(5) 材料・部品・工法の変遷展示室


まずは、流し台の変遷から。




良く見ると「KJ」「公共住宅型」と書かれています。

以前の記事にも書きましたが、「公団」の流し台が一般の公共住宅のスタンダードになったのです。






公団晴海高層アパートを建てた頃は、3枚のステンレスを繋ぎあわせていましたが、昭和32年に企業と作業担当者の努力によって、1枚のステンレスをプレスして、ステンレス流しを大量生産できるようになりました。






ステンレス流しは、次々と改良を加えられ、より良いものへと進化していきました。







換気扇と湯沸かし器。
当時、換気扇は入居者が自ら取り付けなくてはなりませんでした。






水洗トイレ(和式)。
昔、でれすけが住んでいた公団団地では、この段差を利用して、ポータブル便器を置いて「洋式風」に利用していた家庭も多くありました。






洗面台。
日本住宅公団1958型設計(公団常盤平団地など)の団地では、玄関に入ってすぐの場所にこの洗面台がありました。
でれすけの住んでいた公団団地も同じ場所に洗面所があって、いつも、外から帰ると母親に「まずは手洗い!!」と教えられました…。






団地の扉の移り変わり。
でれすけは手前2つの扉にお世話になりました。

のぞき窓の大きさにビックリですが、当時は画期的なものでした。
『団地への招待』でも、
「押し売りが来たってこれなら安心♪」
…のようなことを言っています。

団地の扉の「色」は、団地によって様々です。
でれすけにとっては、「黄色」がググッときます。
なぜなら、でれすけの住んでいた団地は1階ピンク、2階ブルー、3階黄色、4階グリーンで、でれすけは3階に住んでいたからです…。






このマーク、ググッときます。
まだ、日本が平成に変わる前、でれすけの住んでいた団地では、このマークのシールを自転車に貼っていないと、団地から自転車が撤去されてしまいました…。







…と、こんな感じで材料・部品・工法は変遷してきました。

以上、UR都市住宅技術研究所の最終回でした。


UR都市住宅技術研究所~特別公開~ その5

2008年08月12日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回は

UR都市住宅技術研究所

の概要についてです。

いままで、研究所の中の「集合住宅歴史館」についてブログを書きましたが、この研究所には、ほかにももっとたくさん見所があるのです。




上の写真は、研究所内の案内板です。

これらの敷地の中に、

① 環境共生実験ヤード
総合的な環境共生技術の屋外実験施設
ビオトープ、各種舗装実験等の展示
② 振動実験棟
地震の模擬体験
③ 地震防災館
防災に関するパネル展示
免震工法の紹介
④ すまいと環境館
屋上緑化、太陽光発電、生ごみ処理、リニューアル技術等
⑤ シックハウス実験住棟
サイホン排水システムの紹介
⑥ 構造材料実験棟
RC構造物の探査実演
⑦ 風洞実験棟
風の実験の紹介
⑧ 集合住宅歴史館
古いRC共同住宅の作品展示
⑨ 居住性能館
ユニバーサルデザインなど

などがあります。




これは「超高層住宅実験タワー」の説明。






超高層住宅実験タワー」は、遠くからでも目立ちます。







実際の建物で実験を行っています。





本当に1日丸々使っても観きれないほどの、見ごたえのある研究所です。

皆さんも、来年の特別公開に、是非、行ってみてください。

UR都市住宅技術研究所~特別公開~ その4

2008年08月12日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回はUR都市機構都市住宅技術研究所特別公開の際に、「集合住宅歴史館」で行われていた「生誕100年・前川國男建築展」についてです。


前回、公団晴海高層アパートの回でも少し触れたのですが、建築界の巨匠「前川國男」氏が、公団団地の設計に携わっているのです。

ちなみに、前川氏はどんな人なのか???というと、


前川 國男 (1905-1986)

建築家。
コルビュジェ、レーモンドのもとで学び、1935年に前川國男建築設計事務所を設立。
日本近代建築史に大きな足跡を残した。
代表作に、東京文化会館、紀伊国屋本店、埼玉会館、熊本県立美術館などがある。

こんな実績を残した方です。




 

前川氏は、公団のテラスハウス晴海高層アパートを設計しました。
今回の建築展では、「公団阿佐ヶ谷住宅のテラスハウス」の説明が中心になっていました。

右の写真は、「阿佐ヶ谷テラスハウス」の説明です。

説明文には、

阿佐ヶ谷テラスハウスは、テラスハウス型標準設計の1つで、鷺宮、烏山、阿佐ヶ谷の3つの団地で建設されました。
コンクリートブロック造の2階建てで、鉄筋コンクリートの急な勾配屋根の下には、玄関の吹き抜けや、2階には南面した2つの居室がレイアウトされるなど豊かな空間が広がっています。
度重なる変更のあとが残された図面からは、3つの団地で建設される過程でより良い住まいを求めた真摯な姿勢が窺えます。

…と、書かれています。





公団阿佐ヶ谷住宅テラスハウスの図面です。

右側が玄関になっています。
1階にトイレ浴室などの水まわりがあって、2階には2つの居室があります。






図面と全く同じ角度から見た実際の公団阿佐ヶ谷住宅のテラスハウスです。





すっごくキッタナイ手書きでスミマセン…。
とりあえず、これが公団阿佐ヶ谷住宅のテラスハウスの間取りです。

某文献でオリジナルの間取りを発見したのですが、著作権などもあると思うので、汚いですが書き写してみました。

以前、凛太郎さんブログ公団烏山第一団地(住宅)に関する記事で、テラスハウスの浴室に2ヶ所出入り口があるということが紹介されていました。

オリジナルの間取りでは、1ヶ所にしかドアがないようです。

…謎は深まるばかりです…。





玄関側から見たテラスハウス。
赤い屋根がオシャレです。






メゾネットタイプのテラスハウスです。




本当は、阿佐ヶ谷テラスハウス模型も展示してあったのですが、デジカメの電源が切れてしまい、さらに、携帯の写メールの容量がオーバーしてしまったこともあって、撮影できませんでした…。

残念です…。


以上、前川國男建築展でした



UR都市住宅技術研究所~特別公開~ その3

2008年08月09日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、前回に引き続きUR都市住宅技術研究所の特別公開についてのお話しです。



(4) 公団多摩平団地 
~ 昭和30年代築 テラスハウスの移築・復元 ~

今回は、公団多摩平団地のテラスハウスについてです。

公団多摩平団地」は、千葉県松戸市にある「公団常盤平団地」とともに、公団発足当時、モデル的に取り組んだ、約40万坪の土地区画整理事業で、当初、「富士山の見えるニュータウン」として人気をはくしました。


団地」と聞くと、一般的には4~5階建ての中層フラット棟をイメージする方が多いかと思いますが、公団では「テラスハウス」という、各戸に専用庭の付いた長屋風の住宅も建設していました。

公団のテラスハウスの多くは、2階建てのメゾネットタイプでした。
(※ メゾネットタイプとは、各室内に設けられた階段で1・2階を1世帯で使用するタイプのこと。以前、「都営桐ヶ丘団地」の項目でも紹介しているため、興味のある方はブログ内検索で「都営桐ヶ丘団地」と入れてみてください。)


この「テラスハウス」、一戸建てのように使える事から、一般的な「中層フラット棟」よりも家賃が高いにもかかわらず、人気が集中しました。





歴史館に移築・復元されている「公団多摩平団地」のテラスハウスの外観です。

東京都日野市多摩平に昭和33年10月に竣工された「公団多摩平団地」は、団地全戸数2792戸、敷地規模29.6ヘクタールの大規模団地でした。

テラスハウスを中心に、3~4階建ての中層フラット棟も建てられました。

この団地のテラスハウスは、日本で初めて「ティルトアップ工法」で建てられた、歴史的にみても貴重な建物なのです。






ちなみに、公団では、様々なタイプの「テラスハウス」を建設しています。
以前紹介した「公団阿佐ヶ谷住宅」にあったような「前川設計」や「公団設計の箱型」の他にも、多摩平団地にあった赤い屋根の「平屋建て」テラスハウスや、公団桜堤団地にあった「三角屋根のテラスハウス(≠前川設計)」なんかもありました。




 

(左)テラスハウスの玄関。インターホンの下は牛乳受け。
(右)居室から見た玄関。




 

(左)和式便器。1階にトイレがある。
(右)トイレの手洗い。洗う際に蛇口が綺麗になるから衛生的…?





   
風呂場。






キッチン。
奥に行くと、専用庭に出られる。
庭に物干し台などが置かれた。





KJ流し台。

説明書きには、
「昭和33年に開発されたプレス加工によるステンレス流し台は、天板の一体化や木目調のプリント化粧板の採用など改良が加えられ、KJ発足と共に認証され広く普及しました。
と、書かれています。

このポイントシステムの流し、始めは「日本住宅公団」独自の規格だったのです。
それが、「公共住宅規格部品(KJ)」となり、公共住宅の規格になって、最終的には「JIS」規格にまでなりました。

凄いぞ!!公団!!!!!






2階へ上る階段。
結構、急勾配です…。






2階の北側の和室です。
木製のサッシが懐かしい…。







窓の鍵。

平成生まれの人が見たら「は?何コレ??」と言うこと間違いナシ!!

差し込んで、くるくるっと回して閉める鍵です。







2階の壁には「テレビアンテナスリーブ」があります。

この時代から、TVアンテナスリーブを標準化していたことに驚きです。

昭和30年代初頭といったら、まだテレビが「三種の神器」と呼ばれていた時代です。






玄関先には、「マル住マーク」のマンホールがありました。




以上、公団多摩平団地のテラスハウスでした。

現在、多摩平団地は「多摩平の森」として、建て替えられました。

もう、あの素晴らしい「多摩平団地」を見る事はできなくなってしまいました…。



公団多摩平団地に関する詳しい説明はこちら

また、ここまでのお話についての詳細はこちらでどうぞ。



UR都市住宅技術研究所~特別公開~その2

2008年08月07日 | 「団地・建物・給水塔」
前回は「同潤会アパート」と「公団蓮根団地」についての記事を書きました。

今回は、

公団晴海高層アパート

についてです。




ここで1つだけお断りが。
実は、晴海高層アパートの展示を見ている最中に、突然デジカメの充電が切れてしまい、デジカメ撮影ができなくなってしまい、仕方なく、途中からは携帯電話のカメラで撮影しました。
途中から、画像の画質が落ちることをご了承ください
(本当に心残りなので、今度また、リベンジするつもりです




(3) 昭和30年代の高層集合住宅
~公団 晴海高層アパート~


公団晴海高層アパート」は、東京都中央区晴海に建てられた、公団初の高層住宅です。

昭和32年4月から昭和33年11月に入居開始となった、中層:262戸、高層:168戸の賃貸住宅です。

この団地、団地マニアのみならず、一般の「建築に興味のある人」の間でも、非常に有名な団地です。

それは、有名な建築家「前川國男」が設計した団地だからです。

以前、紹介した公団阿佐ヶ谷住宅などのテラスハウスの他に、前川國男氏は高層住宅も設計していました。

晴海高層アパートは、フランスの建築家ル・コルビュジェ設計の集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」を連想させる力強いもので、日本の集合住宅歴史上、ユニークな存在でした。



 

写真が暗くて分かりにくいかと思いますが、本文には

日本住宅公団は、発足間もない1956年(昭和31)、当時日本を代表する建築家であった前川國男に2つの設計を依頼しました。1つは、公団初の高層集合住宅として誕生した晴海高層アパート。もう1つは、テラスハウスの標準設計で、鷺宮・烏山・阿佐ヶ谷の3つの団地で建設されました。

と書いてあります。

上の写真の建物が、「公団晴海高層アパート」です。





公団晴海高層アパート」の高層棟の模型が展示されていました。






公団晴海高層アパート」の案内板です。


この団地は、

① 3階構造スーパーストラクチャー方式

スキップアクセス方式

の2つが特徴です。

①はどういうことかと言うと、3層6戸を1単位として、壁を破れば、自由に住居規模が変更可能である…ということです。

②は、エレベータの停止階を奇数階のみにして、停止階には住棟の端まで移動できる廊下を設置し、偶数階の住人は奇数階までエレベーターで行き、上下どちらかの階に階段で移動する…という方式です。 

複雑な造りのため、迷子になる人が多かったため、晴海高層アパートでは、案内人が雇われていたこともあったそうです。






集合案内板。







ステンレス製流しです。

ポイントシステム(中央に流しを置く方式)を採用していますが、昭和32年当時は、ステンレスを1枚続きで加工する技術が無かったため、3枚のステンレスを繋ぎあわせて作られています。

このステンレス製流しは、量産化が成功した最初期のものです。






洗面所。

晴海高層アパートでは、浴室内に洗面所が設置されていたのです。







浴室です。

前回紹介した「公団蓮根団地」の浴室と大きな違いはありません。

当時、銭湯へ行くのが一般的であった時代に、家風呂があるのは贅沢だったに違いありません。





公団住宅の浴室は、「小判型」と呼ばれた風呂桶に内釜が組み込まれたガス風呂でした。






ガス風呂の点火方法は、まず、パイロットコックを開いてパイロットに点火し、本コックを開いてバーナーに点火する…という手順でした。

日本住宅公団は、ガス中毒を恐れ、換気を十分にすることをしきりに警告していました。








水洗トイレ。

昭和30年代前半から洋式トイレが導入されていました。

便所は、1958年から正式採用される洋風便器です。

当時、一般的でなかった洋式トイレの使用方法が分からず、便座の破損や紙詰まりを起こすなどのトラブルが続発したそうです。

そのため、公団は、事細かに水洗トイレの使い方を記したプレートをトイレに掲示するようになりました。








玄関の扉

シリンダー錠が採用されています。

ちなみに、写真は非廊下階住戸(1階の展示)です。

廊下階住戸(2階の展示)の玄関の扉は、「引き戸」でした。






とりあえず、今回は「公団晴海高層アパート」についての記事でした

次回は、「公団多摩平団地」のテラスハウスの予定です


UR都市住宅技術研究所~特別公開~ その1

2008年08月07日 | 「団地・建物・給水塔」
5月31日のブログで、でれすけはUR都市機構 平成20年度 都市住宅技術研究所特別公開について書きました


のちのち、「集合住宅歴史館」について、詳細を書く予定だったのですが、あまりの忙しさにずっと書けずにいました…

そんな訳で、今更ながら、「UR都市住宅技術研究所 特別公開」に関する続きを書こうと思います



平成20年5月23・24日に、東京都八王子市にあるUR都市機構の研究所が特別公開されていました。

URとは、簡単に言うと「旧・日本住宅公団」のこと。(詳しくは、URのホームページを参照してください。)

この研究所、公団団地が好きな人間にとっては、一度は足を踏み入れて見たい場所なのですが、見学するには事前予約が必要だったり、平日しか見学できなかったりと、結構面倒臭いのです

しかし、年に1回、事前予約なしの上、土曜日に公開している日があるのです
それが「特別公開」の日

わくわくしながら、でれすけも見学に行ってきました





集合住宅歴史館」の入口。







何と今回は、でれすけが尊敬してやまない建築家・前川國男氏の建築展もやっていました。

うひょ~ ラッキ~



まず、歴史館の中に入ると、日本の集合住宅の歴史の年表がお出迎えしてくれます。

驚くことに、日本初のRC造の集合住宅は、廃墟フリークにはおなじみの長崎・軍艦島(正式名称は「端島」)なのだそうです。

1916年(大正5年)に、軍艦島に建てられた、7階建てRC造の旧鉱員社宅が日本のRC造集合住宅の始まりなのです


続いて、奥に進むと、待ちに待った移築・復元された建物がお目見えします



(1) 戦前の集合住宅
~同潤会代官山アパート~



大正13年に設立された同潤会は、昭和16年に住宅営団に引き継がれるまでの20年間に、約12000戸の住戸を建設し、住宅供給に貢献してきました。

同潤会代官山アパートは、東京都渋谷区代官山にあり、昭和2年(1927年)に竣工されました。

規模は全36棟337戸で、関東大震災の災害復興住宅の1つとして、青山女学院の跡地に建てられました。

いまは、既に取り壊され、「代官山アドレス」として生まれ変わっていますが、この「歴史館」には、居室やダストシュートなどが移築復元されています






(2) 昭和30年代の中層集合住宅
~昭和32年 公団蓮根団地~


公団蓮根団地は、昭和32年、東京都板橋区に作られた中層団地です。

この団地は、公団標準設計確立前に建てられた団地ですが、公団が目指した寝食分離型の典型プランに則って設計されています。


 

(左)玄関。大きな「のぞき窓」と、右下の「牛乳受け」が特徴です。
(右)風呂。以前、松戸市立博物館の記事で紹介したモノとほぼ同様です。




段差のあるトイレです。
便器に書かれた「東洋陶器」は、現在のTOTO




公団標準設計確立前は、「ステンレス流し」ではなく「ジントギ」の流しでした。

「ステンレス流し」が公団の標準設計になるまでのお話は、「プロジェクトX 挑戦者たち 妻へ贈ったダイニングキッチン~勝負は一坪・住宅革命の秘密~」を、是非見てください





ガス台は、この当時から2口のガスコンロに対応していました。





なんと、標準設計が確立する前の公団団地には、ダイニングテーブルが備え付けてあったのです




当時の配電盤。

ちなみに最初の電力は10Aで()、20Aに変更したい家庭は「住宅模様替え願い」を提出しなくてはなりませんでした


 

(左)ベランダ。ベランダの柵が「フェンス」です
(右)北側の部屋の窓。




以前、江戸東京たてもの園の特別展「移りゆくくらしの歴史~いろりからDKへ~」で配布されていたパンフレットに掲載されていた「公団蓮根団地」の間取りです。

典型的な2DKであるのが分かります。




…とりあえず、今回はこの辺で。

次回は「晴海高層アパート」から書く予定です


突然の大雨。

2008年08月07日 | 「『ひー』のこと」
最近、東京は異常な大雨に見舞われる日が増えています。



集中豪雨で、死者や行方不明者まで出ている状態です




ここ最近、東京では落雷によって、電車の遅延や運休が続いていますが、2日連続で「ひー」の父ちゃんの仕事帰りに電車がストップしてしまい、父ちゃんはブルーになっています…





いつもは、外に洗濯物を干しているでれすけですが、ここ最近は、雨が降ってくると、一目散に洗濯ものを取り込み、部屋干しにします





「部屋干し」に関する唯一の悩みは…


「部屋干し」をすると、どこからともなく「ひー」がやってきて、洗濯物を隠れ家にしてしまうのです…




「バスタオルのかげニャら、でれすけに見つからニャいニャ






「ここを今日から隠れ家にするニャ




…隠れているつもりでも、丸見えの「ひー」なのでありました


都営桐ヶ丘団地2。

2008年08月06日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、前回の続きです。

都営桐ヶ丘団地は、このほかにも幾つかの見所があります。


 

ここの団地には「給水塔」が2本もあります。

1本目は、一部分がベージュにカラーリングされた給水塔。

杉並区にある「都営上高井戸アパート」の給水塔によく似ています。







 

もう1本は、高層棟にすれすれの場所に建てられた給水塔

給水塔の上部には「」のようなものがあります。







前回は、中層フラット棟のみ紹介しましたが、この団地には「高層棟」も建てられています。

高層棟好きの人も、楽しめる団地です。







そんな「都営桐ヶ丘団地」も、老朽化による建替えが進んでいます。

このW21も、建替え前線の檻に捕えられてしまいました…。






W21の壁に貼られていた警告書

「閉鎖」の【鎖】の字体が、旧仮名遣いで、何故か「恐怖心」を抱きました…







毎年、「使い回し」をしていると思しき「団地まつり」の看板。

昔、でれすけが住んでいた公団団地でも「団地まつり」がありました。

なんだか懐かしい気持ちになりました…



以上、「都営桐ヶ丘団地」でした


都営桐ヶ丘団地。

2008年08月06日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回は、物凄く久々に「団地シリーズ」です。




今回、紹介するのは、東京都北区にある、

「都営桐ヶ丘団地」

です。





JR赤羽駅の西口を出て、「公団赤羽台団地」を突き抜けてぐんぐん進むと、「都営桐ヶ丘団地」が見えてきます。

この、都営桐ヶ丘団地の総敷地面積は、なんと約16万坪

住戸数も4000戸以上という、まさにマンモス団地なのです。


この都営桐ヶ丘団地も、現在、老朽化が進み、急ピッチで建替え工事が進んでいます







まずは、「都営桐ヶ丘団地」の案内図



正式には「都営桐ヶ丘アパート」なんですね。

ちょっと写真が小さくてわかりにくいかと思いますが、この団地は桐ヶ丘中央公園をぐるりと囲むように住棟が配置されています。








写真のタイプの住棟は、公団団地でも、ごく一般的な、北側に階段室のある中層フラット棟です。



この団地は、マンモス団地のため、団地の中が幾つかの区画(地区)に分けられています。

住棟番号の頭についているアルファベットが区画(地区)をあらわしています。

ちなみに、写真の棟は「W22」。

」という地区に建てられた、22号棟という意味です。



住棟番号は、都内の公団団地ではあまり見かけない「立体的」なタイプです。
ちなみに「立体的」な住棟番号は、「都営団地(都営住宅)」ではごく一般的です。

…例外的に、いまは無き「公団西鳩ヶ谷団地」など、埼玉県の公団団地は、何故か都営のような立体的な住棟番号がよく用いられていました。






この棟は、「片廊下型」の住棟です。

階段で目的の階まで上り、横方向にのびた共用廊下で各住戸にアクセスする方式です。

上の「階段室型」に比べて、プライバシーが守られにくいという欠点がありますが、後にエレベーターを増設できる…という長所もあります。





片廊下型」の住棟をベランダ側から見るとこんな感じです。






ここの団地には、ボックス型の「ポイントハウス」もあります。

公団と「階段室」の作りが異なっています。

※「ポイントハウス」については、ブログ内検索で「スターハウス」や「花畑団地」「高根台団地」などを参照にして下さい





E地区1号棟の写真です。

公団団地を見慣れている人にとっては、
なんじゃ~こりゃ~~!!!!!!
と言った感じの住棟ですが…。

実は、この棟はメゾネット形式の住棟。

2階建てで1住戸を形成しています。

それが3層重なって6階建てになっています。






メゾネット形式の住棟をベランダ側から見るとこんな感じ。

メゾネット型の住棟の間取りは、1階がDK(ダイニングキッチン)と6畳、2階が6畳と3畳という、3DKの間取りになっています。


今回は、都営桐ヶ丘団地の「建物」について書いてみました





…とりあえず、今回はこの辺で

次回に続きます









くんくんくん~~~!!!

2008年08月06日 | 「『ひー』のこと」
「ひー」の写真を撮ろうとしたら、カメラに思いっきり近付いて来ました!!

少し前までは、カメラが怖くて、カメラを向けると逃げてしまうことが多く、まるで「盗撮」のように「ひー」を撮影していたのですが、最近は逆にカメラに興味を持ち始めたようです。

またまた「親バカ」に拍車が掛かりそうなでれすけなのでありました


スコ座りの「ひー」くん。

2008年08月06日 | 「『ひー』のこと」
眠くて眠くて、人相(ニャン相???)が悪くなっている「ひー」。

それでも、スコ座りをしている「ひー」。




この写真を撮影した後、「ひー」はスコ座りのまま寝てしまいました…。










また、別の日は「いい顔」をしながら「スコ座り」をしている「ひー」。





…機嫌がいいときも悪いときも、「スコ座り」をする「ひー」なのでありました。