和泊町内城の世之主の城跡の東側に、山田と呼ばれる地域があります。
この場所で生活していたという爺様の伝説をVol.46で書きました。
この時には、この長生きをした爺様が当家のご先祖様である池悦のことではないかという考察で書きましたが、この爺様の伝説にについて新たなことが分かりました。
結論からいうと、この爺様は当家の池悦ではありませんでした。
しかし、当家の池悦がこの爺様のお墓に献灯碑を寄進していたのです。和泊町誌には、1752(宝暦元年)年、喜美留与人池悦碑を建つ(内城の山田の家にあり)と書かれています。
池悦が山田に住んでいた長生きをした爺様のお墓に献灯碑を寄進したようですが、池悦碑には「延享四年卯年十二月十五日喜美留与人池悦」と書いてあり「奉寄進」などの碑文もあるそうです。延享四年は1747年で、池悦が与人になって3年後です。
この爺様は山田ウィフォ(ウイフ)という名前だったようですが、生きたまま穴を掘って葬られたということで、上に大きな平たい石をかぶせて葬られたそうです。石の暑さは10センチ以上もあったということで、自動車のドアよりも大きかったそうです。この石は70年程前の戦後に子孫の方の引っ越しによってお墓も移動したそうで、現在は大城の墓地の方にあるといいます。
この伝承は大正時代に記録された伝説だということですが、実際にこの山田ウィフォの墓は現在も残っており、当家のご先祖様が建立した池悦碑も存在しているのです。
お墓の上に屋根のようにかぶせてある石は2枚あるようですが、その葬られた時にかぶせた石なのだそうです。小屋の中の真ん中の石が池悦碑のようです。
山川石で作られたいるようで、高さ約75センチ、幅25センチほどの献灯碑で、正面に「山田親祖母」と書かれているようです。これはどういう意味でしょうね。
親祖母とは池悦の親の祖母であったということなのでしょうか?山田の出身の祖母などがいたことまでは分かりませんので、そこは謎です。
伝承の内容については定かではありませんが、他の地区でも長生きの神様として生きたまま葬られたという伝説があるようです。長寿祈願の神様を祀る1つの風習だったのかもしれませんね。
当時の島役人の与人であった池悦と爺様との関係は分かりませんが、生き神様となった長生きの爺様をこうして祀ったことが分かりました。
今から270年前にご先祖様が寄進した献灯碑が今でも残っており、それを確認できたことは嬉しいです。そしてこの長生きの神様を祀った池悦自身も、当時にしては長生きであった81歳まで生きました。長生きの神様が見守ってくださっていたのでしょう。