大正14年の地図にも、城跡にある世之主神社はしっかり記載されております。
しかし不思議なことに、神社の鳥居まで登る参道(階段)が描かれていないのですよね。その時代に参道の階段はなかったのか?
もし階段がなかったしても、神社まで登る道はあるはずだが、、、記載されていない理由は分かりません。
しかし昭和21(1946)年の航空写真には、参道らしき道が写っていますので、大正期だって道はあったと思われます。
しかし、車で入ることが出来る北側の道は、昭和の時代にできたようです。
その北側の道ですが、実は脇に謎のあぜ道があるんです。
あぜ道に入ってみると、、、こんな道があります。どこまで続くのか???
そしてしばらく歩くと、いきなりあぜ道は途切れるのでした。先に神社の横を通る道路が見えます。
あぜ道はどうしてここでプツンと切れているのか?
実はこのあぜ道の下の道路の反対側には、旧道への入り口が3つあります。
入り口は舗装されていますが、先に進むと細い旧道です。
神社のあぜ道は昔はこの旧道へと繋がっていたのか???
幼少期を島で過ごした叔母に確認してみましたが、神社へは正面の参道からしか登った記憶しかないようで、北側の道は記憶が無いといいます。しかしかなりうる覚えですが、参道以外にも道があったようなことを聞いたことはあるということでした。これがその道かは不明です。
大正12年の地図に参道が描かれていないのは、もしかしてこのあぜ道で神社に登ってた?
いや、そんなことはないとは思いますが。
昭和21(1946)年の航空写真を見てみましたが、あぜ道はさすがに分かりませんでした。それにあぜ道だけでなく、神社付近の道路も全く分かりません、というか、今の大きな道路はまだこの時は存在していません。
昭和28(1953)年に島を出た叔母も、神社周辺は人が一人通れる程の小さな道しかなかったといっておりますので、まさしくその状態なのでしょう。
昭和の戦後から急速に道路事情が良くなり、その結果、昔とは全く景観も変わってしまったようです。写真なども少ない時代ですので、長老たちの話や伝承などで昔の景観を想像するしかないですね。
数百年も前の遠い昔にご先祖様が通った道の情報も、ご先祖調査の重要な情報です。今のうちに聞ける情報は、しっかり記録に残しておこうと思います。
*Vol.246でこの小道は昭和27.8年頃に神社を建て替えるときに作った道だと分かりました。