琉球の北山が滅亡した後の1420年頃に自害したといわれる当家のご先祖様。始めは城のすぐ東側にあるウファチジと呼ばれる丘に埋葬されたといいます。後年になって時期ははっきりとは分かりませんが、現在の世之主の墓であるウファに遺骨を移動したといいます。
(ウファが建築されたと思われる年代や改葬の経緯などは別記事で考察しております)
この初めに埋葬されたウファチジですが、現在は木々で覆われていて下の様子を近辺から窺い知ることはできません。墓地跡も含めて木々の下がどのようになっているのか非常に気になるところです。
伝承によれば上部は3段の丘になっていたようです。これまで様々な地図を見ても、丘の上がそのようになっているのを確かめることができなかったのですが、最近新しい地図に出会いました。地図は昭和初期ごろに作成されたのではないかと思うのですが、その地図にはウファチジの上部の段差の可能性がある等高線が描かれていました。
地図の中央の「直」の文字があるところがウファチジです。伝承のように上部が3段になっているかもしれないのは、左の西側です。もしかして伝承は本当だった!?と感激した次第です。
そしてこの地ですが、昔は2段目と3段目には畑があったそうです。実際に島の古老が子供だった時代に、お婆様がこの地に畑を持っていらして、よくその畑に行っていたそうです。お婆様は恐らく江戸時代後期のお生まれの方です。この丘には松の木があって、シメジが生息していて、それを食料としてとっていたのだそうです。松の木やシメジは今の丘の様子からは想像ができませんが、かつては松の大木が数本あったといいます。
黄色く囲った部分が昭和22年頃のウファチジあたりです。戦前頃までは松の大木も存在していたようですので、もしかしたら黒く濃くなっている丸い点の箇所がその松の大木なのかもしれません。
こうして伝承をまた1つ古地図で確かめることができました。古地図で探す島の歴史、大変に興味深く楽しんでおります。
いつか実際にこの丘に登って中を散策、段差なども確認してみたいです。
そうすることで、もっと違う何かが見えてくるかもしれませんね。