世之主神社の山は、木々に覆われているとこんもりとした山にしか見えませんが、木々を伐採すると南東の方は三段の丘になっているのが分かります。
城があった時代は、本丸の下に2つの曲輪が段違いであったようです。そしてその曲輪に石積みの城壁があったようですが、今は転がっている石とわずかに残る石積が確認できる程度です。
現在の地図と大正14年雄地図を比べると、南西から南北に向けての神社下の道路拡張工事で、3段目の曲輪の一部が道路に削り取られているようです。このあたりは別で検証したいと思いますが、今回は神社の参道階段脇から延びる隠れた小道をご紹介します。
上の写真の①から②までの間の参道階段は、近代になって作られたようです。
昔はもっと真っすぐに階段が南に向かって下まで伸びていたようです。
正面の階段が、新しく作られた階段のようです。
ここをてくてく上がっていくと、いったん踊り場に着きます。
ここが踊り場で、ここから上が昔からの参道階段のようです。
踊り場から左を見上げると、正面に参道階段があり、上には大きな鳥居が待ってくれています。参道は現在草ボーボー。刈っても刈ってもすぐに生えてくるので、自然と戦いながらの管理は大変です。
今回はこの参道へは上がらずに、先ほどの踊り場の奥が目当てです。
踊り場の手すりの先に、何やら草木に覆われたブラックホールが見えます。
ちょっと覗いてみると、、、
コンクリートの壁と、わずかに道が、、、コンクリートは、本丸の下の2つ目の曲輪の側面になります。崩れを防止するためにコンクリートで固めているようです。
この壁との隙間から入って、しばらく側面にそって歩いてみると、、、
少し小道が広くなって、先が開けてきました。どこに行くのやら。
左側のコンクリートで固めた壁はなくなりました。前面も更に開けてきています。
お~右側の木々も少なくなって、明るくなってきました。その先は!?
更に開けてきました!ここはどこなんだろう?
左右が開けたところで右側を見ると、ウファチジ(世之主が最初に埋葬されたという場所)が目の前にありました。
そして左側を見ると、神社の鳥居と階段が見えました。目の前の草原は、本丸の下の曲輪のところです。
一番初めの写真の階段横の②のところから木々に覆われたブラックホールに入り込んで、小道をグングン進み、一番奥(写真③の位置)まで来たところです。ピンクの線上の小道を歩いてきたことになります。写真と比べると少し草木はカットされています。
この小道、何のための道だったのでしょうね。昔はこの草原は畑として使っていたということですから、その為の道だったかもしれませんし、世之主が居城していた時代には、城に登る道だっ可能性もあります。
南側から一直線に伸びた現在の参道が登城への道だったとすると、敵が攻めてきた時にはちょっと都合が悪いですよね。
もしかしたら今の参道は、神社が建立された時に作られたのかもしれませんが、詳細は不明です。
当時の城まで登る道がどのようになっていたのか、大変興味深いです。
城跡に残されていたこれら2つの道と、城の下に残されている旧道などから、もう少し昔の面影が見えてくるかもしれません。
続きはまた次回に。