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先祖を探して

Vol.78 八十八呉良謝佐榮久由緒記:高家の人の意味


徳之島の古文書「八十八呉良謝佐榮久由緒記」の中に以下の下りがあります。




赤のラインをひいているところに「高家之人渡海有」と記されています。「高家:こうけ」とは摂関家藤原基経の嫡流と将軍家清和源氏源経基の嫡流の家名なのだそうです。一族の系譜を終結した「与人ばれ系譜」というものがあるそうですが、その家紋は『対い鶴』。家紋は清和源氏嫡流の紋だそうです。


ところが、研究者の方々はまさか徳之島に清和源氏の流れをくむ家が存在しているとは思わずに、これを「高家:たかいえ」とよんで、「たかいえ」さんを探し、それが見つからないのだそうです。研究者の方々の間では奄美諸島は古代は大和ではなかったと認識されている部分が大きいのだそうです。もちろん現在に入って研究が進みそうでもないことが分かってきたようです。
そもそも「たかいえ」さんは島には存在しないそうなので、いくら探しても見つからず、この古文書の解読や研究が進まないそうなのです。
古文書の解読、難しいですね。

Kさんがこのことに気が付いたのは、お墓の下から発見された剣や鏡、そして墓石にある菊の紋などから、自分で調査をされはじめてからだそうです。
この件が研究者の方々にどう伝わって、どのように調査が進んでいるのかは定かではありませんが、私には思うことがあります。

私自身も先祖の調査をやっていますが、歴史的なことや細かいことは研究者の先生にお尋ねしなければ分からないことが多々あります。
しかし手元にある義経爺が書いた書の記録内容や、親族しか知らない話し(隠しているわけではなく単に表に出てないだけの話)など、多々あります。
これがどの程度、研究者の先生方に伝わっているのか?
それがもしかしたら、先祖や歴史調査の重要なキーになることだってあるのです。

そして不思議なのですが親族の直感というものがあるんですよね。
そんなことを言ってしまえば、きちんとした歴史の証明にはならないと研究者に叱られそうですが、親族にしか分からない何かがあると私は思っています。
直感を正史として説明できるようには、もちろん調査をしていますが。
専門の先生方ときちんと連携して調査が出来たら一番良いのかもしれませんね。

それよりも何よりも、Kさんのお宅はただ事ではなくなってきました。
きちんとそれなりの研究者の方の鑑定が進めば、とんでもない事実が公表されることになるかもしれませんね。
そして当家もK家と親族である可能性が高い。

そもそも当家は、琉球が三山時代に北山王の次男であった「眞松千代」が沖永良部島の島主となって「世之主」と呼ばれていた時代から、島での先祖の歴史が始まっています。
しかし、そのもっと先祖である北山王は、琉球に伝説のある「源為朝」の子供である舜天王統の子孫と繋がっていると言われています。
そうなれば、徳之島のK家とも、もっと以前のご先祖様のところで繋がっていたと思います。

世之主から200年程の間のご先祖様を探すつもりが、壮大なご先祖探しへと広がってきました。
私自身も歴史の勉強をしながら、ご先祖探しがまだまだ続きます。


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