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先祖を探して

Vol.196 山川から運んだ墓石だった

当家の屋号:上花城の2代目であった池悦が、チュラドゥールという琉球式の納骨堂を持った墓に大和式の墓石を置いたのが1760年。当時、池悦は薩摩の島役人である与人職についており、たいそうな功績があったようです。その功績を認められ、二重石垣を持つ家を作ったそうです。この池悦が、鹿児島の山川から取り寄せて、この墓石を置いたとのこと。

これまで山川については調べておらず、単なる地名としての認識しかなかったのですが、山川石は実はそれなりに有名な石だったようです。

「指宿まるごと博物館」のHPによると
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山川の福元周辺でしか採れない,淡い黄色をした石。学名は溶結凝灰岩。見た目が美しく,のこぎりで切れるほど柔らかいが,風化に強いため,石垣や墓石として用いられた。遠くは奄美諸島や京都まで運ばれている。江戸時代には,島津家の歴代当主夫妻の墓石に用いられ,島津本家にとって特別な石材であったことがわかる。


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なんと、島津家御用達の石だったのですね。当家の墓石はもう260年程前の物でかなりボロボロになっているのですが、確かに墓石は少し黄色味ががっているのがわかります。


こんな風化に強い丈夫な山川石だったおかげで、南島の灼熱の太陽と潮風を浴びながら260年経過した現在でも、とりあえず原形を留めているのでしょう。
墓石の生産地などなかなか知ることはないと思いますので、今回きちんと調べがついて良かったです。しかも、当時にわざわざ鹿児島から船で輸送して取り寄せるとは、相当な資金が必要だったのではと思われます。
当時の島役人である与人職は、やはりそれなりの財源があったようですね。


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