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先祖を探して

Vol.195 武術が強かった平安統たち

前回書いた「唐馬の角力の由来」という沖永良部島の伝承から、角力が強かったという当家のご先祖さまの平安統の登場に驚きましたが、他にも平安統が強かったことを伝える別の話の記録があります。

1913(大正2)年に島伊名重という人が当家に向けて覚書というものを残しております。その記述の中の一部に、当家のご先祖さまである平安統の話が書かれておりました。

以下原文
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因ミニ記ス 平安統爺ハ鹿児島藩島津家ノ御師範訳ナル東郷藤十郎ト申ス武術ノ達人ノ第一ノ高門弟ニテ殊ニ柔道ニ有名ナリト父兄ヨリ時折拝聴セリ 爺の逸話ニ爺或ル時琉球国ヘ官用ヲ帯ヒテ渡海シ港内ノ船上ニテ御宴会ノ末口論ヲ始メ琉球人数十名ト此方ハ済順ト云ウ二人敵封セザルヲ得ザル場合ニテ右数十名ノ内廿名程ヲ倒セシ時頓才アル済順ハ大喝一氣張ヨ済順平安統ガ残ッテ居ルゾト云ヒシニ琉球人此一言二急所ヲ衝カレ打チ驚キ鳴呼諸君此方数十名ハ致テ及ブ所ニアラズ済順ニシテ然リ况ンヤリ居ルヲトテ一目散ニ何虚ヘ力逃ゲ去リ平安統爺ノ琉球国ニマデ響キ渡ルタルノ英達ハ推測シ奉ルニ苦マズ
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官用で島から琉球へ行く船の中で宴会があり、琉球人と口論になり喧嘩となって、十数名を倒し、機転の利く済順と平安統の戦いとなったが、平安統の強さを知って済順は逃げ去った。そしてその時のことは琉球国にまで響き渡ったとのこと。
この平安統とは、示現流の東郷実勝の弟子となった平安統惟貞のことです。
示現流だけでなく、柔道も強かったようですね。
実は前回書いた角力(相撲)が強かったという平安統と、この柔道が強かった平安統惟貞が同一人物であるのかは不明です。
それは、平安統という名が記録上のご先祖さま3代目から7代目まで続いているからです。平安統の下に惟貞、惟雄などの名前を持っているのですが、そこが分からないと人物の特定ができないのです。年代でも分かれば良いのですが、それも不明。

同一人物なのかは分かりませんが、示現流、柔道、角力といった武術に長けていたご先祖様達がいたことは事実のようです。
随分とたくましいご先祖さまたちでした。


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