この週末にお爺様が書いた書の中の巻物の1つを見ていると、これまで不明になっていたご先祖様のお名前があるじゃないですか!!!
その巻物は屋号別に系図が書いてあり、たくさんの親族の屋号が書いてあります。完全に出来上がった資料ではないようですが、他の屋号の方の系図を知ることが出来る貴重な資料です。
沖永良部島の先祖探しは難しいところがあります。
ご先祖様の調査をするにあたっての公式な書類といえば戸籍謄本です。日本に戸籍が出来たのは明治5年です。戸籍謄本や除籍謄本を取得して、系図をたどっていくことができますが、残念ながら一番古い謄本で閲覧が可能なのは明治19年式の戸籍謄本からです。明治5年式には当時の身分のようなものが記載されているらしく、人権侵害になるので閲覧ができないようになっているとか。
明治19年式の戸籍謄本では前代の戸主が記載されており、その方が江戸時代のお生まれである場合があります。そうなると、戸籍で遡れるのは江戸時代後期の方までということになります。
他に遡れる方法としては、お寺の過去帳や各家庭にある霊位やお墓の墓石に刻まれているお名前などからです。
もちろん代々書かれている系図などが保管されていれば、それが一番良いのですが、系図を作って保管しているというところも少ないのではないかと思います。自然災害や戦争などもあり、紛失したところも多いと思いますしね。
当家の場合は1400年初頭に島の島主であった世之主の時代から1600年頃までの家系図が、1600年当初までは存在していた可能性があります。しかし、島が薩摩藩の侵略によって統治されるようになると、島の豪族の家系などは返却するからということで、家系図などが島津藩によって集められたそうなんです。しかし返却されるはずの家系図は戻ってこなかったようです。
そんなこともあり、当家として確認ができる先祖は、中城(1688年没)と呼ばれる島で与人という役人をしていた人からになります。この方以降の系図は分かるのですが、この方以前の世之主に繋がる系図が200年ほど不明と言われていました。
お寺の過去帳などというものも、島には存在していないようです。
そんなこんなで、遡れなかったご先祖様のお名前が5名書いてある資料を見つけてしまったのです!しかも、16という数字のところ(16代前という意味)に、「首里主 思鎌戸」と書いてあります。
これは、、、琉球王府からの辞令にによると、「一六○八年(二月、德之島ノ大屋子思祢戸金、歿ス、/二月ヨリ後、琉球國中山王尚寧、沖永良部島の大屋子思鎌戸ニ德之島ヲ差引セシム」
との記録があります。おそらくこの思鎌戸で間違いないでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/21/cdb5ab3b57dcb9d54a03e75ac122856f.jpg)
この思鎌戸については、別の古文書で名前が出ていましたので別記しようと思います。この方を含め、新たに発見したご先祖メンバーはもう少し調べようと思います。