曽野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
東日本大震災から11ヶ月。この間は東大地震研の平田教授
という方が4年以内に東京を巨大地震が襲う確立が70%と発表されたの
で、ホームセンターへ行って家具の転倒防止の器具なんか買ってきた。
ニュースのせいで売り場は防災用のコーナーが以前より広くなって買
い求める人もかなりいた。そうして何日かしたら、あの発表は信ぴょ
う性に問題がある?・・・・なんなの?
2月11日は新聞とネットの記事に「建国記念日」の文字と「震災11
ヶ月」の文字が目立った。そのことからも読売新聞のコラム「編集手
帳」は感慨一入のものとなっている。このコラムには以前、当ブログ
で一度物申したことがあったが、ほぼ毎日読んでいる。魑魅魍魎とし
た政治、うっとうしい経済、事件事故のニュースが並ぶ殺伐とした紙
面の片隅に一輪の花が香りを放つ心地良さが「編集手帳」にはある。
時には耳に痛い言葉が流れ、時には共に怒り、そして悲しむ。2月11
日の「編集手帳」を読んでいて、筆者の造詣の深さ、博学多識とイン
テリジェンスの高さからくる計り知れない情念の深さに感動して、や
がて活字が涙で曇るのを覚えた。ど素人が甚だ僭越ではあるが詩歌
を読む想いだった。その感動を伝えたくて2月11日の「編集手帳」の
全文を転記させて頂く。
「人は島ではない。一人ひとりが『人類』という大陸の一部である。
ひとかけらの土くれが洗い流されてもそのぶん大陸が狭まるように
見ず知らずの誰の死であれ、私を小さくする・・・。英国の詩人ジョン
・ダンは『危機に際しての祈り』につづった◆どこかで人が死ぬ。弔
鐘が鳴る。『誰のために鳴っているのか?あなたを弔って鳴っている
のだ』と。その一節はアーネスト・ヘミングウェーが小説の表題に用
いたことでも知られる◆誰かが死ぬことで、自分のなかの一部も死ぬ。
英文学は門外漢の身で僭越ながら、言わんとするところはそのあたり
だろう◆理想主義者の"きれいごと"さ・・・と、斜に構えて聞き流すこ
ともできる。だが、どうだろう。<3・11>以降、詩人の言葉を肌身に
感じた人も少なくないはずである。握り締めた10円玉を爪先立ちで募
金箱に入れた幼稚園児。優勝の瞬間、天を指差す歓喜のポーズもなく
静かにマウンドに歩み寄った高校球児。忘れがたい光景は幾つもある。
◆『建国記念日』は、命というものに思いをめぐらす日でもあろう。
この11か月、どれほど多くの弔鐘を聴いたか。」
短くは5・7・5の俳句、5・7・5・7・7の短歌、そして詩。短い言葉
文章で人に感動を与えることは極めて至難なことだ。450字ほどの短
い文章を毎日書き綴って、人々に感動を与えることも並み大抵のこと
ではない。それをやすやすと、と言っては失礼だが毎日書いておられる。
職業と言ってしまえば、それまでだが当方の想像も及ばない修練があっ
てこその技だ。いや技とは甚だ失礼な言い方であろう。豊かなパーソナ
リティが醸し出す芳香だと言ったほうが良いかもしれない。だから「編
集手帳」は筆者の人となりを如実に表していて心温まる想いをいつも頂
く。これからも書き綴られる「編集手帳」に期待する。
文章はことほど左様に書く人の人格を表すものだとつくづく思う。そ
こで思い起こすのは、この「編集手帳」の対極に居るようなわれらが
曾野綾子女史だ。この11か月、曾野氏が、いろいろ物申され書き記
されたものが、人々の反発や物議を醸し出すのは、即ち氏の人格そ
のものに他ならない。哀れにも人々の蔑みを受けることにもなって
いる。女史の語録を読むとどうだろう。
それは平成16年の大型台風23号の被害についての記述から始まる。
■「学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給
されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私は
わからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠
って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背
負って避難するだけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当なども行政は
配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだか
ら、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自
分で持って来るのが世界の当然だ。」と、あるコラムの記事。
新潟県中越地震についても、
■「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。
避難する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの
心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にない
のなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」これまたコラム。
東日本大震災後のインタビュー
■「私たち日本人は・・・有頂天になっていた。今回の東日本大震災に
よって甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた」
週刊ポストに記載されたコラムの冒頭。
■「二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に起きた地震が、近年
落ち込んでいると言われる日本の凋落に、決定的な追い打ちをか
けるか、それとも、長い間の物心両面の沈滞を打破するきっかけにな
るか、というと、私は後者に望みを託したいと感じている。」
そして同コラムの最後。
■「地震が近年眠りこけていた日本人の怠惰で甘やかされた精神を揺
り動かしてくれれば、多くの死者たちの霊も少しは慰められるかと思
うのである。」
新年号の文芸春秋のアンケートの一文。
■「今では教育は国民の権利だから教科書は1969年までにはすべて
無料になり、その後若者の登校拒否、ひきこもり、自殺も増えた。」
比較して読んでみると良く解る。インテリジェンスとパーソナリティの
歴然とした違い。
曽野綾子氏は作家として60年近い歳月を経ても、なおこの程度の文章
能力。驚くべきことだ。被災した人々や弱者には「甘えるな」「甘や
かすな」と言いながら、ご自身は「曽野綾子」という偶像に胡坐をかき
文学界、出版界に「甘えに甘えて」このざまだ。おまけに「文化功
労者」でいらっしゃる。キリスト教を隠れ蓑にした気位の高さだけが
先走る醜悪な人間像が曽野綾子氏の文章に表われて異臭を放つ。
曽野綾子氏よ
「編集手帳」の筆者を師匠と仰ぎ、
「文筆業」をやり直せ・・・・だそうです。
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東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
東日本大震災から11ヶ月。この間は東大地震研の平田教授
という方が4年以内に東京を巨大地震が襲う確立が70%と発表されたの
で、ホームセンターへ行って家具の転倒防止の器具なんか買ってきた。
ニュースのせいで売り場は防災用のコーナーが以前より広くなって買
い求める人もかなりいた。そうして何日かしたら、あの発表は信ぴょ
う性に問題がある?・・・・なんなの?
2月11日は新聞とネットの記事に「建国記念日」の文字と「震災11
ヶ月」の文字が目立った。そのことからも読売新聞のコラム「編集手
帳」は感慨一入のものとなっている。このコラムには以前、当ブログ
で一度物申したことがあったが、ほぼ毎日読んでいる。魑魅魍魎とし
た政治、うっとうしい経済、事件事故のニュースが並ぶ殺伐とした紙
面の片隅に一輪の花が香りを放つ心地良さが「編集手帳」にはある。
時には耳に痛い言葉が流れ、時には共に怒り、そして悲しむ。2月11
日の「編集手帳」を読んでいて、筆者の造詣の深さ、博学多識とイン
テリジェンスの高さからくる計り知れない情念の深さに感動して、や
がて活字が涙で曇るのを覚えた。ど素人が甚だ僭越ではあるが詩歌
を読む想いだった。その感動を伝えたくて2月11日の「編集手帳」の
全文を転記させて頂く。
「人は島ではない。一人ひとりが『人類』という大陸の一部である。
ひとかけらの土くれが洗い流されてもそのぶん大陸が狭まるように
見ず知らずの誰の死であれ、私を小さくする・・・。英国の詩人ジョン
・ダンは『危機に際しての祈り』につづった◆どこかで人が死ぬ。弔
鐘が鳴る。『誰のために鳴っているのか?あなたを弔って鳴っている
のだ』と。その一節はアーネスト・ヘミングウェーが小説の表題に用
いたことでも知られる◆誰かが死ぬことで、自分のなかの一部も死ぬ。
英文学は門外漢の身で僭越ながら、言わんとするところはそのあたり
だろう◆理想主義者の"きれいごと"さ・・・と、斜に構えて聞き流すこ
ともできる。だが、どうだろう。<3・11>以降、詩人の言葉を肌身に
感じた人も少なくないはずである。握り締めた10円玉を爪先立ちで募
金箱に入れた幼稚園児。優勝の瞬間、天を指差す歓喜のポーズもなく
静かにマウンドに歩み寄った高校球児。忘れがたい光景は幾つもある。
◆『建国記念日』は、命というものに思いをめぐらす日でもあろう。
この11か月、どれほど多くの弔鐘を聴いたか。」
短くは5・7・5の俳句、5・7・5・7・7の短歌、そして詩。短い言葉
文章で人に感動を与えることは極めて至難なことだ。450字ほどの短
い文章を毎日書き綴って、人々に感動を与えることも並み大抵のこと
ではない。それをやすやすと、と言っては失礼だが毎日書いておられる。
職業と言ってしまえば、それまでだが当方の想像も及ばない修練があっ
てこその技だ。いや技とは甚だ失礼な言い方であろう。豊かなパーソナ
リティが醸し出す芳香だと言ったほうが良いかもしれない。だから「編
集手帳」は筆者の人となりを如実に表していて心温まる想いをいつも頂
く。これからも書き綴られる「編集手帳」に期待する。
文章はことほど左様に書く人の人格を表すものだとつくづく思う。そ
こで思い起こすのは、この「編集手帳」の対極に居るようなわれらが
曾野綾子女史だ。この11か月、曾野氏が、いろいろ物申され書き記
されたものが、人々の反発や物議を醸し出すのは、即ち氏の人格そ
のものに他ならない。哀れにも人々の蔑みを受けることにもなって
いる。女史の語録を読むとどうだろう。
それは平成16年の大型台風23号の被害についての記述から始まる。
■「学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給
されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私は
わからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠
って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背
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配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだか
ら、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自
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新潟県中越地震についても、
■「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。
避難する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの
心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にない
のなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」これまたコラム。
東日本大震災後のインタビュー
■「私たち日本人は・・・有頂天になっていた。今回の東日本大震災に
よって甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた」
週刊ポストに記載されたコラムの冒頭。
■「二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に起きた地震が、近年
落ち込んでいると言われる日本の凋落に、決定的な追い打ちをか
けるか、それとも、長い間の物心両面の沈滞を打破するきっかけにな
るか、というと、私は後者に望みを託したいと感じている。」
そして同コラムの最後。
■「地震が近年眠りこけていた日本人の怠惰で甘やかされた精神を揺
り動かしてくれれば、多くの死者たちの霊も少しは慰められるかと思
うのである。」
新年号の文芸春秋のアンケートの一文。
■「今では教育は国民の権利だから教科書は1969年までにはすべて
無料になり、その後若者の登校拒否、ひきこもり、自殺も増えた。」
比較して読んでみると良く解る。インテリジェンスとパーソナリティの
歴然とした違い。
曽野綾子氏は作家として60年近い歳月を経ても、なおこの程度の文章
能力。驚くべきことだ。被災した人々や弱者には「甘えるな」「甘や
かすな」と言いながら、ご自身は「曽野綾子」という偶像に胡坐をかき
文学界、出版界に「甘えに甘えて」このざまだ。おまけに「文化功
労者」でいらっしゃる。キリスト教を隠れ蓑にした気位の高さだけが
先走る醜悪な人間像が曽野綾子氏の文章に表われて異臭を放つ。
曽野綾子氏よ
「編集手帳」の筆者を師匠と仰ぎ、
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