ヒューザーなどの耐震偽装問題・東急インの違法建築問題・悪徳リフォーム業者の問題・・・
今、これまで日本の法律の中で「性善説」がとられていた分野につけ込んだ「犯罪」が新聞紙上やテレビのどのマスコミでも大きく取り上げられ、世間の注目が集まっている。
「果たして法律とはどのようであるべきか」という切り口と、「その法律をどのように解釈し、準拠していくものなのか」(法律の中で適法の中でやっていくということ)という切り口の両面があるが、身近なところで言えば、学校における「校則」と「生徒の行動」にも同様なことがみられるようだ。
「校則」は本来は「ゆるく、ほとんど縛りのない自由なもの」がよいと私は思う。
しかし、最初は自由でゆるかった「校則」が、その「ルール」の中で行動すべき生徒たちがルール違反をしていけばしていくほど、「校則」は増え、「ゆるいルール」も「きつい(自由度の少ない)ルール」に仕方なしに変わっていくしかないのである。
「自由」という世界は、一番「個人(企業)の高いモラルや高い価値観」が必要である。
「おこられなければいい」なんて考えながら「怒れない・しかれない先生」たちの下、ぬくぬくと育ってきた今の若者は、「逮捕されなければいい・ばれなければいい」という考えの「悪い大人を生む」と思う。
必ずしも今悪いことで捕まっている人たちがすべてそうだったとは言わないが、
ホリエモンにしてもヒューザーの社長などもそういったところがあったと思う。
この日本の現状を変えていくためには、指導者である我々の世代以上のいわゆる大人といわれている世代の人間が意識もふくめ変えていく必要があるように思う。
そして教育指導者を変え、教育の方針を変え、「教育な内容」を変え、大人になる前の多感な時期のこどもといわれている世代の人格形成から変えていかなくては変わらないと思う。
壮大な国家的計画のもと、次世代をにらんで、取り組んでいくべき問題だと思う。
違反建築・・・、一度建築確認を取っておいて、その後に改装もしくは改造、増築
をして本来適法なラインを踏み越えた内容のいわゆる「違反建築」ということにもっていくわけである。
現場では、「方法論」「法のすきま」をついたこういった違反建築が非常に多くみられる。
業者によってはお客様のために、「こういう方法をとれば、通常では違反ですが、もって行きたい方向に後でこのように方法をとればと建築できます。」などと業者がいうと、「予算」や「工期」「法律」などで自分が思った効果が出ないからどうしょうかと悩んでいるお客様に悪魔の声が響き、「お願いします」となるわけである。
これをなくすためには、悪を勧める業者もなくさなくてはいけないし、悪いとわかっていて手をそめる注文主のモラルも変えていかなくてはいけないだろう。
一人ひとりの努力で、まじめに汗をかいて働いて生きている人たちが地道に生きれる世の中にしていかなくてはならないと思う。
今、これまで日本の法律の中で「性善説」がとられていた分野につけ込んだ「犯罪」が新聞紙上やテレビのどのマスコミでも大きく取り上げられ、世間の注目が集まっている。
「果たして法律とはどのようであるべきか」という切り口と、「その法律をどのように解釈し、準拠していくものなのか」(法律の中で適法の中でやっていくということ)という切り口の両面があるが、身近なところで言えば、学校における「校則」と「生徒の行動」にも同様なことがみられるようだ。
「校則」は本来は「ゆるく、ほとんど縛りのない自由なもの」がよいと私は思う。
しかし、最初は自由でゆるかった「校則」が、その「ルール」の中で行動すべき生徒たちがルール違反をしていけばしていくほど、「校則」は増え、「ゆるいルール」も「きつい(自由度の少ない)ルール」に仕方なしに変わっていくしかないのである。
「自由」という世界は、一番「個人(企業)の高いモラルや高い価値観」が必要である。
「おこられなければいい」なんて考えながら「怒れない・しかれない先生」たちの下、ぬくぬくと育ってきた今の若者は、「逮捕されなければいい・ばれなければいい」という考えの「悪い大人を生む」と思う。
必ずしも今悪いことで捕まっている人たちがすべてそうだったとは言わないが、
ホリエモンにしてもヒューザーの社長などもそういったところがあったと思う。
この日本の現状を変えていくためには、指導者である我々の世代以上のいわゆる大人といわれている世代の人間が意識もふくめ変えていく必要があるように思う。
そして教育指導者を変え、教育の方針を変え、「教育な内容」を変え、大人になる前の多感な時期のこどもといわれている世代の人格形成から変えていかなくては変わらないと思う。
壮大な国家的計画のもと、次世代をにらんで、取り組んでいくべき問題だと思う。
違反建築・・・、一度建築確認を取っておいて、その後に改装もしくは改造、増築
をして本来適法なラインを踏み越えた内容のいわゆる「違反建築」ということにもっていくわけである。
現場では、「方法論」「法のすきま」をついたこういった違反建築が非常に多くみられる。
業者によってはお客様のために、「こういう方法をとれば、通常では違反ですが、もって行きたい方向に後でこのように方法をとればと建築できます。」などと業者がいうと、「予算」や「工期」「法律」などで自分が思った効果が出ないからどうしょうかと悩んでいるお客様に悪魔の声が響き、「お願いします」となるわけである。
これをなくすためには、悪を勧める業者もなくさなくてはいけないし、悪いとわかっていて手をそめる注文主のモラルも変えていかなくてはいけないだろう。
一人ひとりの努力で、まじめに汗をかいて働いて生きている人たちが地道に生きれる世の中にしていかなくてはならないと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます