令和6年5月21日午前8時頃、岐阜方面に向けて出発。
今回の行先は、昨年11月19日に開通した福井県と岐阜県を結ぶ
国道417号冠山峠道路(愛称:クラウンロード)を通り岐阜県大垣市方面へ。
福井県側の道の駅は「道のオアシス フォーシーズンテラス」国道417号沿線
岐阜県側の道の駅は「道の駅 星のふる里ふじはし」国道417号沿線
道の駅に立ち寄りながら墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)に11時20分頃到着。
1566年に木下藤吉郎(豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる墨俣一夜城です。
その城跡には、当時の砦のような城ではなく、
城郭天守の体裁を整えた墨俣一夜城(歴史資料館)が平成3年4月に開館しています。
墨俣一夜城とは。
永禄9年(1566)、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)によって短期間で築かれたとされる城。
当時の洲股(墨俣)は織田信長による美濃攻略の重要拠点であり、
築城をきっかけに信長は美濃攻略を果たします。
秀吉はこの功績をきっかけに信長に重用され、天下人へ歩み始めました。
太閤出世橋を渡って墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)へ。
川に囲まれた場所、墨俣一夜城。
あらかじめ切り出しておいた木材を木曽川に流し、
木曽川沿いの別の場所で大工仕事(仕口・継手加工)を行い、
墨俣の地で組み立て一夜で城にしたとのこと。
現代のプレハブ工法の考え方をこの時代に考え活用するとはびっくりですね。
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)からの東方向の眺め。
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)からの西方向の眺め。
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)からの南方向の眺め。
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)からの北方向の眺め。
岐阜市方面の眺め。
右側の一番高いビルの左側が金華山(岐阜城)。