
2005年3月10日午前10時15分頃、首都大学東京に到着。
「首都大学東京」は石原慎太郎東京都知事によって、都立の新しい大学の構想に基づき設立された大学で、
日本で唯一大学という呼び名が末尾に付かない大学であった。
2005年に「首都大学東京」として設立されたが、15年の月日を経過し、
2020年4月から「東京都立大学」に名称変更されたことを知り、
昔の写真データが残っていたので、思い出を振り返ることにした。
巻頭の写真は南門にある1号館で、壁面には日時計でしょうかね。
これが南門でしょうかね。
合格者受験番号が張り出されていました。
5号館。
インフォメーションギャラリーを生協食堂方面にすすむ。
大学構内は広くて、インフォメーションギャラリーを抜けても屋根付き渡り廊下が延々と続きます。
振り返ってインフォメーションギャラリーを眺める。
ようやく生協食堂に到着。
ここが下宿斡旋の不動産屋さんの待機場所だったような感じですね。
学生ホール。
生協購買書籍部。
この後、不動産屋さんの車で、近くの物件を見て回るが、駅から遠い物件や、
コストパフォーマンスの低い物件しかなく、朝一番に下見してきた相模原駅の物件にすることになった。
つづく。