「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

鳥取県日南町宮内の樂樂福神社

2018-07-24 06:30:45 | 倭国大乱の原因
 鳥取県日南町宮内の樂樂福神社
 祭神 若建吉備津彦命、大日本根子彦太瓊命、細姫命、福姫命
 由緒 孝霊天皇の皇子、大吉備津彦命と若建吉備津彦命と共に、西道鎮撫の勅命に因って当国に巡行あり、(この西道は七道分割以前の時にて今の山陰山陽に当たると) 此の地に悪鬼占拠して(今に此の地を鬼林山と称ふ)人民を鹵掠せしを、遂に平定し給ふ。因て若建吉備津彦命の功績を畏みて此の地に祀る。大日本根子彦太瓊命、細姫命、福姫命の三柱は父並に正后妃に当たらせらる。
 天皇此所に於て悪鬼を退治ありし地なりと伝来す、此地に鬼塚と号して方五間に余る大きな塚あり、社殿に其所の悪鬼尸を埋めたる塚なりと云へり、其外山中所々に奇異の古跡不可勝計」といへり。
※ 私見
 孝霊天皇の一族は日南町宮内の樂樂福神社をしばらく拠点にしていたようである。
 卑弥呼(稚日女命)も父を助けているという自覚はあったが、父は腹違いの母子と一緒であったため、同じところにはいなかった。近くには居たが祀られている神社が別々である。孝霊天皇が樂樂福神社に居たときは、今は合祀でなくなった岩崎神社(日南町湯河宮ノ前)あたりに居たはずである。
 細姫も福姫もこの地で亡くなった。孝霊天皇は日南町の鬼林山を平定してから安来市の佐々布久神社に向かったと思われる。


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