「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

「天の安河の河原」は鳥取県江府町下蚊屋明神の地であった

2019-07-21 06:08:44 | 天孫降臨

「天の安河の河原」は鳥取県江府町下蚊屋明神の地であった

 

宮崎県高千穂町の「天の安河の河原」は行かれた方も多いと思う。

 

しかし、本当の「天の安河の河原」は鳥取県江府町下蚊屋(さがりかや)明神の地であった。

1 以前は鳥取県の大山西麓に思金神を祀る神社が多く、高天原は蒜山である、としながら「天の安河の河原」はどこか知らないと答えていた。しかし、高天原と思金神を祀る神社が多い大山西麓との間にあるはずであると思い調べてみた。

 

 

2 思金神が一番東(蒜山高原に一番近い)に祀られている神社は江府町の貝田神社である。

貝田集落の山側に大河原という地名がある。ここだろうか。いや、地名に惑わされてはならない。

それでは、思金神がいた貝田集落だろうか。貝田神社は河原とするには河から離れている。

貝田神社の案内板に「貝田集落は天保時代以前からサワラの木を使い杓子・柄杓・メンコ等を製作してきた。今でもその歴史をとどめるべく作品が保有されており、地域周辺集落(下蚊屋、俣野)との連携による当時の産業として成立していた」とある。

蒜山の徳山神社と下蚊屋集落の距離より貝田集落と下蚊屋集落の距離のほうが遠いのに両集落は古くから連携していた。下蚊屋集落には山口神社と下蚊屋明神がある。行って調べてみる価値はありそうだ。


3 下蚊屋明神

 

下蚊屋明神は少し高いところにあるが、すぐ下は本谷川である。河原と呼べる場所にある。この本谷川をさかのぼって行けば猿田彦が待っていた鏡ヶ成に至る。

 

左上の鳥居が下蚊屋明神

左から滝が流れている情景は宮崎県高千穂の天真名井の滝に似ている。

 

左は下蚊屋明神。橋の下は本谷川。

 

左下の道は下蚊屋明神に至る。左上の道は鏡ヶ成に至る。右上の道は蒜山に至る。手前に行けば江尾神社(祭神 饒速日命)、貝田神社に至る。

 

下蚊屋集落。右下に先ほどの橋が見える。

 

 

 

 


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