1 神武天皇は古事記では二人目の皇后として、比売多多良伊須気余理比売を迎えた。
この女を后に世話したのは、大久米命で、伯耆の西伯郡会見町の高佐士野(恐らくは越敷野)を7人の乙女が遊ぶ中の、先頭に立つ乙女がおめあての女性だと歌で知らせた。
倭の 高佐士野を 七行く乙女どもを誰をしも 枕かむ (共に寝ようか)
2 鳥取県伯耆町越敷野(高佐士野)
右に越敷山がある
3 久古神社の裏にある狭井(山百合)河
伊須気余理姫が住んで居た所は狭井河のほとりと書かれている。
狭井河の狭井(さい)とは山百合のこととある。この河の畔は山百合が咲く環境が整っている。
4 久古神社(伊須気余理姫の家があったところ)
この久古には久古神社があって姫踏鞴五十鈴姫(伊須気余理姫)が祀られている。
天皇は伊須気余理姫の家に訪ねて行かれた。
この時の歌である。
葦原の しけしき小屋に 菅たたみ いや清敷きて 我が二人寝し
5 久古集落の対岸の大殿の三島神社には皇后(伊須気余理姫)の母の三島溝咋姫が祀られている。
三島神社
三島神社
6 おまけ 小野小町伝承地
小野小町伝承地も越敷野に近い越敷山のふもとにある。藤原氏は小野小町の本当の出身地を判らなくするために、全国に多くの小野小町伝承地を作った。小野小町の出身地はここだ、とするためにわざわざ小野集落と小町集落を創りますか。小野集落も小町集落も小野小町が生まれる前からあった集落名と思われる。
小野小町も徐福の少女一行の子孫かも知れない。
小野小町も徐福の少女一行の子孫かも知れない。