「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

神武天皇は山を穿って道をつけ、ゲリラ戦を展開していた

2019-10-31 07:11:35 | 火々出見と神武天皇4兄弟

 神武天皇は山を穿って道をつけ、ゲリラ戦を展開していた


 神武天皇は鴨建角身(八咫烏)の案内で鏡ヶ成から野添経由で上大立(穿邑)に降臨した。
 最初に下福田にいた兄ウカシを退治した。大立に楯縫邑を置いた。
 上大立(穿邑)から最初につけた道は鳥取県道313号線であった。終点下見の近くに別宮(城田)を造った。もう一方の終点に佐野大橋を造った。

 日吉神社に行くように道が続いている。日吉神社の祭神は邇邇芸になっているが、川の横にあるので祭神は日吉神社から船を出している。日吉神社の祭神は饒速日であった。ウマシマジはこの時までに合流していたので日吉神社を通った。富海のほうから見つからないように関金宿に入っている。

 関金宿から穿って鳥取県道306・38号線つけ、福山・曹源寺・下西谷・穴鴨・加谷・木地山・下畑・田代・大谷から竹田地区(猛田郷)を平定した。円谷広瀬線も同時進行で穿ってつけた。
 その後、曹源寺から小河内へ、木地山から福吉・鉛山経由で神倉(かんのくら)に至り、土蜘蛛を片柴(忍坂邑)に集めた。土蜘蛛を片柴(忍坂邑)に集めて、酒を飲ませて皆殺しにした。
 大谷から津山に行くことができる。

 313号線の終点の近くに城田(別宮)を造り、その川下にいた出雲族を平定していった。伊勢でも戦った。伊勢から北栄町の茶臼山(伊那佐山)に船で行っている。八橋に笠縫邑を置いた。
 城田(別宮)からさらに鳥取県道34・30号線を穿ってつけた。香取集落から305号線で大山町前集落に行き船で阿弥陀川を下り、糺神社に至った。神武天皇は妻木晩田と長田集落をつくり、松尾頭地区で出雲族に宗教改革をさせた。
 神武が媛蹈鞴五十鈴媛と結ばれたのは伯耆町の久古神社であった。


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