北朝鮮NO2の張成沢氏が処刑されたとの報道がなされています。
故金正日総書記の妹の金慶喜氏の夫で、
金日成からの側近だっただけにかなりのインパクトがあります。
金正恩体制の確立のためとの見方が強く、
国家転覆の陰謀が本当にあったかどうかは不明。
ただ、国民、軍からも信頼が厚いとのことで、
現体制が恐れる存在であった
ことは明らかです。
見せしめと引き締め。
体制を維持するためには、
体制の脅威となる存在を排除する。
見せしめは恐怖政治とセットです。
そして、
体制を引き締めて行く。
これは、よその国のことだと思っていると、
いきなり自分もそんな感じに追い込まれている
なんてことも起こりかねません。
日本の場合、
太平洋戦争がそういう感じで勃発しました。
国家総動員法(1938)が制定された時も、
あんなに悲惨な戦争に追い込まれていく
などと思っていなかったはずです。
多くの国民は、WWⅠ程度であって、
自国が焼け野原になり、家族が殺される
と具体的にイメージできていなかったはず。
そのため、
それほど法案にも関心を持っていなかった人も多かった
と思います。
戦争を経験した人の話では、
どんどん深みにはまっていつの間にか抜けられなくなっていた
という印象だったということです。
一般の国民の大多数はそうだったと思います。
赤紙が来て、息子を奪われたり、
空襲が始まって初めて、重大性を理解する。
おそらく、歴史に学ぶということは、
歴史をデータベースとしてリスクを察知する
方法で利用するということだと思います。
自国を卑下したり、他国を憎むのではなく、
どういう事実があって、どのように動いて行ったのか
を科学的に検証する。
日本の帝国主義は、あの時代の歴史的な流れであって、
卑下する必要はない
と思います。
今のIT社会やグローバル社会と同じように、
帝国主義社会というビジネスモデル(植民地から原材料を安く仕入れて、自国で生産販売して利益を得る)が横行していた
ということです。
それが植民地の人の生活を悪化させ、酷いことだと思えるようになったのは、
多くの人々が知的に成長して、思いやれる余裕が生まれた
ということです。
おそらく、百年後には、
グローバル企業が発展途上国の安い賃金で商品を作らせて、
利益を吸い上げているビジネスモデル
に対し、どうように批判することになると思います。
日本で言われているブラック企業についても、
一昔前の残業が横行していた日本からすれば、当たり前のこと
だったわけです。
国民が政治や法案に無関心であると、
自らの悲劇を生む。
少なくとも、
過去の戦争への歴史はそのことを物語っています。
日本の軍国主義や中国の文化大革命などは、
知的階級の弾圧
から始まりました。
なぜか?
知的階級は、
やばいぞ
と察知するスキルを持っているため、
無関心な人にやばいことを伝えられたり、騒がれたりする
おそれがあり、
政治家や官僚からするとじゃまなわけです。
今回の安倍政権が長い期間をかけて審議をしなかった理由は、
その時間が自分たちにとって不利になる
と分かっているからです。
一部のタレントや作家の抗議運動が広がれば、
無関心な国民が目覚める
可能性がある。
無関心のままでいてもらった方が、
自由に都合のよいように決められる。
かつて森首相が、
選挙に行かず、寝ていてもらいたい
と本音を語って大問題になったことがありましたが、
まさに、この言葉に尽きる
わけです。
組織票が浮動票で薄められると困るからです。
実は、この寝ていてもらいたいという言葉は、
すべての権力者に共通の思い
です。
会社経営者も、株主総会で発言されたり、
緊急動議を上程されたりしたくない
と思っている。
円滑な運営こそが理想。
官僚や政治家も、
国民はデモなどせず、黙って言うことを聞いてもらいたい
と思っている。
自分たちが作った法律に従い、
ただ税金を納めて、政治には口を出さない
のが一番理想的。
民主主義国家のみならず、
社会主義国家も王政であっても同じです。
権力者の願いは、
統治のしやすさ。
統治しやすい存在は、
黙って言うことを聞く政治に無関心な被統治者。
ただ、このスタイルは、
統治者が被統治者のことを思いやり、
かつ経営能力にたけている
場合には、
よい組織として成り立つ
ことになります。
(そんなことはあり得ないのが悲しいところ。プラトンは民主主義を批判)
また、
結果が出ている場合には、なんとか存続する
ことができます。
ワンマン社長も結果を出しているうちは、
社員がついていきます
し、
中国のような国家も成長が続いているうちは、国民がついていく
ことになります。
しかし、
成長が止まると問題が一気に噴出する
ことになります。
権力者が無関心な構成員の犠牲のもとに、
よい生活を続けよう
とするからです。
今の日本の官僚組織は、まさにそんな感じです。
増税により、
自分たちの給料や退職金を確保
し、
社会保険料の値上げにより、
自分たちの共済年金を守ろう
としているわけです。
公務員からすると、
税収不足により、給料を下げられる
ことが一番嫌なわけです。
また、
社会保険料の不足により、共済年金や国民年金との一体化
がなされ、支給額が減ることは、絶対に嫌なわけです。
だから、増税を急いだ。
福祉予算云々は、隠れ蓑で、
本音は自分たちの利権団体への補助金や自分たちの給料が削られてはかなわない
というところにあります(お金に色はないので、どこに使われているかは分からない)。
権力は法律を利用し、
国民の犠牲のもとに利益を得よう
とする。
このことは、歴史が証明していることなので、忘れないようにすべきだと思います。
消費税増税の際に、
あれっ、国会議員の定数削減とセットでやるんじゃなかったかな
公務員改革はどうなったのかな
仕分け作業はどうなったのかな
と、考えられる程度には、
政治に関心を持っておいた方が、食い物にされずにすむ
と思います。
今は、カネだけですが、
国民が金を持たなくなってくると、労働力の提供
に向かうことになります。
これが、労役や徴兵制。
ある意味、司法修習も労役と大して変わらない。
1年間給料を払わないで、公務員として採用する。
公務員としての守秘義務や、副業禁止の義務は負う。
裁判官や検察官は、貸与されたお金を返さなくてよいが、弁護士は返還させる。
司法修習を受けない限り、裁判官、検察官、弁護士にはなれない。
予算があるうちは、司法修習生にも給与が与えられていたが、
予算不足に陥り、給与は廃止した。
アメリカのように、弁護士には司法修習のような研修はなくすか、
司法書士のように短期研修に留めるか
国家として法曹を育てるのであれば、公務員として採用し給与を払うか
のいずれかだと思いますが、
公務員として義務を負わせるが、カネは払わない
と、
いいとこどりをしている
わけです。
かつての城造りのための労役と同じ。
ちなみに、ピラミッドの建設にはお金が払われていたそうです。
現在、司法修習生の給与は医師には違憲訴訟が提起されているそうです。
これも、2000人程度のことなので、大多数の国民は無関心なわけです。
法が支配しない国家は、
権力者が何でもできるので、安心して暮らせない。
今回の処刑は、そのことを学ぶ良い材料となります。
歴史から学び、知的に成長する。
そして、自分の身を自分で守りながら、平穏に生きる。
故金正日総書記の妹の金慶喜氏の夫で、
金日成からの側近だっただけにかなりのインパクトがあります。
金正恩体制の確立のためとの見方が強く、
国家転覆の陰謀が本当にあったかどうかは不明。
ただ、国民、軍からも信頼が厚いとのことで、
現体制が恐れる存在であった
ことは明らかです。
見せしめと引き締め。
体制を維持するためには、
体制の脅威となる存在を排除する。
見せしめは恐怖政治とセットです。
そして、
体制を引き締めて行く。
これは、よその国のことだと思っていると、
いきなり自分もそんな感じに追い込まれている
なんてことも起こりかねません。
日本の場合、
太平洋戦争がそういう感じで勃発しました。
国家総動員法(1938)が制定された時も、
あんなに悲惨な戦争に追い込まれていく
などと思っていなかったはずです。
多くの国民は、WWⅠ程度であって、
自国が焼け野原になり、家族が殺される
と具体的にイメージできていなかったはず。
そのため、
それほど法案にも関心を持っていなかった人も多かった
と思います。
戦争を経験した人の話では、
どんどん深みにはまっていつの間にか抜けられなくなっていた
という印象だったということです。
一般の国民の大多数はそうだったと思います。
赤紙が来て、息子を奪われたり、
空襲が始まって初めて、重大性を理解する。
おそらく、歴史に学ぶということは、
歴史をデータベースとしてリスクを察知する
方法で利用するということだと思います。
自国を卑下したり、他国を憎むのではなく、
どういう事実があって、どのように動いて行ったのか
を科学的に検証する。
日本の帝国主義は、あの時代の歴史的な流れであって、
卑下する必要はない
と思います。
今のIT社会やグローバル社会と同じように、
帝国主義社会というビジネスモデル(植民地から原材料を安く仕入れて、自国で生産販売して利益を得る)が横行していた
ということです。
それが植民地の人の生活を悪化させ、酷いことだと思えるようになったのは、
多くの人々が知的に成長して、思いやれる余裕が生まれた
ということです。
おそらく、百年後には、
グローバル企業が発展途上国の安い賃金で商品を作らせて、
利益を吸い上げているビジネスモデル
に対し、どうように批判することになると思います。
日本で言われているブラック企業についても、
一昔前の残業が横行していた日本からすれば、当たり前のこと
だったわけです。
国民が政治や法案に無関心であると、
自らの悲劇を生む。
少なくとも、
過去の戦争への歴史はそのことを物語っています。
日本の軍国主義や中国の文化大革命などは、
知的階級の弾圧
から始まりました。
なぜか?
知的階級は、
やばいぞ
と察知するスキルを持っているため、
無関心な人にやばいことを伝えられたり、騒がれたりする
おそれがあり、
政治家や官僚からするとじゃまなわけです。
今回の安倍政権が長い期間をかけて審議をしなかった理由は、
その時間が自分たちにとって不利になる
と分かっているからです。
一部のタレントや作家の抗議運動が広がれば、
無関心な国民が目覚める
可能性がある。
無関心のままでいてもらった方が、
自由に都合のよいように決められる。
かつて森首相が、
選挙に行かず、寝ていてもらいたい
と本音を語って大問題になったことがありましたが、
まさに、この言葉に尽きる
わけです。
組織票が浮動票で薄められると困るからです。
実は、この寝ていてもらいたいという言葉は、
すべての権力者に共通の思い
です。
会社経営者も、株主総会で発言されたり、
緊急動議を上程されたりしたくない
と思っている。
円滑な運営こそが理想。
官僚や政治家も、
国民はデモなどせず、黙って言うことを聞いてもらいたい
と思っている。
自分たちが作った法律に従い、
ただ税金を納めて、政治には口を出さない
のが一番理想的。
民主主義国家のみならず、
社会主義国家も王政であっても同じです。
権力者の願いは、
統治のしやすさ。
統治しやすい存在は、
黙って言うことを聞く政治に無関心な被統治者。
ただ、このスタイルは、
統治者が被統治者のことを思いやり、
かつ経営能力にたけている
場合には、
よい組織として成り立つ
ことになります。
(そんなことはあり得ないのが悲しいところ。プラトンは民主主義を批判)
また、
結果が出ている場合には、なんとか存続する
ことができます。
ワンマン社長も結果を出しているうちは、
社員がついていきます
し、
中国のような国家も成長が続いているうちは、国民がついていく
ことになります。
しかし、
成長が止まると問題が一気に噴出する
ことになります。
権力者が無関心な構成員の犠牲のもとに、
よい生活を続けよう
とするからです。
今の日本の官僚組織は、まさにそんな感じです。
増税により、
自分たちの給料や退職金を確保
し、
社会保険料の値上げにより、
自分たちの共済年金を守ろう
としているわけです。
公務員からすると、
税収不足により、給料を下げられる
ことが一番嫌なわけです。
また、
社会保険料の不足により、共済年金や国民年金との一体化
がなされ、支給額が減ることは、絶対に嫌なわけです。
だから、増税を急いだ。
福祉予算云々は、隠れ蓑で、
本音は自分たちの利権団体への補助金や自分たちの給料が削られてはかなわない
というところにあります(お金に色はないので、どこに使われているかは分からない)。
権力は法律を利用し、
国民の犠牲のもとに利益を得よう
とする。
このことは、歴史が証明していることなので、忘れないようにすべきだと思います。
消費税増税の際に、
あれっ、国会議員の定数削減とセットでやるんじゃなかったかな
公務員改革はどうなったのかな
仕分け作業はどうなったのかな
と、考えられる程度には、
政治に関心を持っておいた方が、食い物にされずにすむ
と思います。
今は、カネだけですが、
国民が金を持たなくなってくると、労働力の提供
に向かうことになります。
これが、労役や徴兵制。
ある意味、司法修習も労役と大して変わらない。
1年間給料を払わないで、公務員として採用する。
公務員としての守秘義務や、副業禁止の義務は負う。
裁判官や検察官は、貸与されたお金を返さなくてよいが、弁護士は返還させる。
司法修習を受けない限り、裁判官、検察官、弁護士にはなれない。
予算があるうちは、司法修習生にも給与が与えられていたが、
予算不足に陥り、給与は廃止した。
アメリカのように、弁護士には司法修習のような研修はなくすか、
司法書士のように短期研修に留めるか
国家として法曹を育てるのであれば、公務員として採用し給与を払うか
のいずれかだと思いますが、
公務員として義務を負わせるが、カネは払わない
と、
いいとこどりをしている
わけです。
かつての城造りのための労役と同じ。
ちなみに、ピラミッドの建設にはお金が払われていたそうです。
現在、司法修習生の給与は医師には違憲訴訟が提起されているそうです。
これも、2000人程度のことなので、大多数の国民は無関心なわけです。
法が支配しない国家は、
権力者が何でもできるので、安心して暮らせない。
今回の処刑は、そのことを学ぶ良い材料となります。
歴史から学び、知的に成長する。
そして、自分の身を自分で守りながら、平穏に生きる。