早田ひな選手「特攻資料館に行きたい」発言が中国で波紋
現地メディア「中国人の感情への冒瀆」…中国選手が“フォロー外し”も
FNN プライムオンライン 8/15(木) 18:03配信より引用
*********
13日、帰国会見を行った卓球日本代表。
しかし、早田ひな選手の発言を巡って「中国人の感情への冒瀆」だとして、中国で波紋が広まっている。
平和を思う気持ちが誤った形で広がる事態に
早田ひな選手(13日会見):
鹿児島の特攻資料館に行って、生きていることを、
そして自分が卓球をこうやって当たり前にできていることというのは当たり前じゃないというのを感じたい。
南九州市にある、「知覧特攻平和会館」。
79回目の「終戦の日」を迎えた15日も多くの人が訪れていた。
実際に早田選手の会見がきっかけに来訪したという家族も。
来訪した家族:
早田選手が言っていたので、家族の日常の幸せをかみしめる意味できょうは来ました。
知覧特攻平和会館 川崎弘一郎館長:
早田さんは24歳と若い方で、若い方が特攻資料館というのがどういうものか知っていただくきっかけになったと思います。
しかし、この早田選手の発言、中国では、違った捉えられ方をしていた。
中国メディアは、「特攻」は軍国主義による侵略の歴史の美化だとして、
早田選手の発言を「中国人の感情への冒瀆」だと報道。
さらに卓球男子金メダリストの樊振東選手の勧めで
8月12日に開設されたばかりの早田選手の中国版SNS・ウェイボにも…。
中国メディアによると、この発言があった翌日、
樊選手と女子シングルス銀メダリストの孫穎莎選手が早田選手のフォローを外していたという。
コメント欄には中国語で、早田選手を非難する書き込みが相次いだ。
「侵略者を崇拝することは、私たちの国民感情を傷つけ、受け入れられない」
「この悪名高い場所が軍国主義を呼び起こす場所であることを知っているのか?」
しかし、知覧特攻平和会館は、恒久の平和を祈念し建てられた特別な場所。
早田選手の平和を思う気持ちが誤った形で中国に広がる事態になってしまった。
(「イット!」8月15日放送より)
*********
特攻隊員、日本軍人=侵略者
という誤った認識を中共政府が国民に植え付けているため、
平和を思う心
が
軍国主義崇拝に置き換えられてしまう
という悲しい事態になっています。
早田選手からすると、
当時の同世代の若者
が赤紙で召集され、
国のために命を捧げた
という歴史的事実を考え、
スポーツができる
という今の時代は、
普通じゃない、恵まれたことなんだ
その平和に対する感謝の気持ちを伝えたい
という思いなんだと思います。
特攻隊員は、
20歳くらいの若者
で、
飛行機に乗るということは、必ず死ぬ
ということになります。
その若者の気持ちは、
他国を侵略してやろう
というよりは、
愛する家族を守るために
という気持ちだったと思います。
ちなみに、特攻隊は終戦間近の作戦で、
アメリカ海軍との戦い
であり、
中国は無関係です。
責められるべきは、
そういう非人道的な作戦を決定し命じた参謀本部
であり、
敗戦が確実となった後も、和平を強行しなかった政治家
です。
戦争に至る経緯は、
今のロシアーウクライナ戦争同様、理由がある
わけです。
被害者だと主張している中国も、
中共と国民党の内戦
で国内は混乱しており、
多くの人民を犠牲とし、非人道的な作戦も行っていた。
決して、人権保障が行き届いた国家などではなかった。
民間人を無差別に殺害することが国際法違反であれば、
原爆は、国際法違反であることは明らか。
しかも、2発も落とし、都市を壊滅させた事実は、
イスラエルがガザ地区で行っていることとどう違うのか。
当時の国際社会における
植民地政策において、アジア人をプランテーションで奴隷のように扱っている
ことも、
基本的人権などお構いなし
なわけです。
それは、歴史的事実であり、
自国を正当化するためには、日本を侵略国家とし、
原発を落としてでも、悪の帝国を崩壊させる
ことが、
国際平和に適う
という
歴史認識を共有する
ことが、
日本以外の国にとっては、好都合だった
というにすぎません。
そして、
こういった事実に基づく主張は絶対に認めないようにするため、
少しでも、疑えば、「修正歴史主義者」のレッテルを貼り、
軍国主義者として、パージする
ように努めたわけです。
そのため、
多くの優秀な学者は、パージをおそれ、東京裁判の歴史観に従う
ことになりました。
憲法学者の宮沢俊義は、「八月革命説」を唱え、東京裁判の歴史観を
理論的に武装する役割を果たしたことから、
変節した
と批判されましたが、
時代背景としては、やむをえなかった
わけです。
日本人にとって、
大切なことは、二度と戦争が起こらないようにする
ということです(目的)。
そして、そのための手段を模索するというのが、
平和を望む日本人が行う
ことです。
第二次世界大戦後、
中国人は、
チベットやウイグル人を迫害し、
台湾やフィリピンを武力により威迫し、
平和な社会に危機をもたらしつつある。
韓国も
竹島を武力で制圧し、現在も違法に占拠している。
にもかかわらず、自らの行動は棚に上げて、
日本人は、侵略者だ
というレッテルを貼り、
そのために有利となる
ので、
日本に謝罪を強制し、
国のために犠牲になった靖国への参拝や、
特攻隊員への感謝の気持ちを表明すること
については、
目くじらを立てて、批判する。
日本の歴史学者、政治家、メディアがしっかりと、
日本がなぜ戦争に巻き込まれたのか
日本が戦時中に行ったこと、他国が戦時中に行ったことの比較考察
戦後の占領政策の国際法による是非
東京裁判の検証
日本国憲法制定上の法的問題
について、
客観的な事実に基づき、中立的な立場で歴史的的検証を行ってこなかった
ことが、
日本人のアイデンティティに関連し、深刻な問題となっている
わけです。
メディアは、軍を応援する報道から、
自分たちは、軍人に脅されていた被害者だ
と、
手のひらを返し、自身を正当化し、
反日報道へと舵を切りました。
朝日新聞は、その変遷ぶりが顕著です(図書館で論調をみると、よく分かります)。
治安維持法で、
迫害されていた共産主義者も同様、
被害者の立場として、戦後、ほら自分たちが正しかったんだと、地位を回復した。
学者は、共産主義思想の人が多いのは、
レッドパージの反対の現象が日本では起きた(愛国者=軍国主義者として排除する)
ためです。
韓国人も、併合後、日本人として戦争を戦っていたわけですが、
日帝に脅されて、併合させられた被害者
であるという立場を主張し始めました。
本来は、日本人として戦い、他のアジア人より進んだ恩恵を享受し、
自らの意思で大学や行政に関与していた
わけです。
当時の愛国者は、日帝の成長を臨んでいたわけなので、
京城帝国大学から日本軍への志願も多かった
わけです。
だれもが出世して、良い暮らしがしたいと思っていたからです。
当時は、軍人がエリートの出世コースであり、
特別志願兵制度
により、朝鮮人日本兵にもその道が開かれていたわけです。
日本が敗戦したとたん、
親日派の財産を没収したり、
日帝残滓といって建物を壊し始めたり
する。
韓国人は、被害者でなければならないからです。
朴正煕元大統領が、満州国軍軍官学校の日系将校枠出願にあたり
「受験年齢制限特別免除」を求める血書嘆願書を提出したことは有名です。
自分にも日系将校枠に出願させろというわけです。
結局、歴史認識は、
個々人の判断によるところが大きい
と思います。
その国ごとに、自分たちの立場があるので、
都合の良いように歴史を書き換えたい
と思うのは、当然のことだからです。
ただ、
客観的な資料、証拠に基づく事実
は、
変えられない。
こういった事実をもとに、
どのような歴史を紡ぐかは、その国の国民によることになる。
思想は変えられない(思想・良心の自由)ので、
その人その人に委ねられる
からです。
ただ、
日本のように、そもそも歴史を語らなかったり、
他国の歴史認識を押しつけられて、無批判に受け入れたり、
他国に気を遣って、あいまいなまま、反論もしなかったり
すれば、
他国は、自分たちの歴史が唯一絶対のものであり、正しい
という誤解をより強固なものとすることになります。
慰安婦問題も、客観的な証拠としては、軍による強制は認められなかった。
朝日新聞の誤報により、日本は、偽の証拠(証言)を海外に示して、
誤解をより強固なものとしてしまった。
朝日新聞は、日本国民に心から謝罪し、
海外に対しても、
嘘の証言に基づく記事を書いて、誤載させてしまってすいません
と誤解を正す努力をすべきでした。
日本人は、あまり
第二次世界大戦のことを学ぼう
とはしません。
近現代史は、授業でも熱心にやらないし、試験にもあまりでない。
鎌倉幕府や江戸時代、明治時代の方が、試験に出やすい。
ただ、一番役立つのは、近現代史で、
世界史も19世紀から20世紀です。
平和な社会を作るには、
歴史を学び、
戦争が問題解決の手段として、最悪のものだ
という認識を共有することが大切だと思います。
ウクライナやガザの状況を見れば、
自国での復興はできない
ことは明らかです。
侵略国家も、莫大な予算と兵を犠牲にしている。
強制的に、
国から兵士として送り込まれ、
命を差し出さなければならない
人もいる。
何も分からないまま、逃げる術もなく、
いきなり命を奪われる民間人や子どももたくさんいる。
こういう犠牲になった人に対し、
哀悼の意
や
犠牲になったことへの敬意・感謝の気持ちを示す
ことは、
平和を願う気持ち
とつながると思います。
ウクライナやパレスチナに、
早く平穏な生活が戻ることを願っています。
現地メディア「中国人の感情への冒瀆」…中国選手が“フォロー外し”も
FNN プライムオンライン 8/15(木) 18:03配信より引用
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13日、帰国会見を行った卓球日本代表。
しかし、早田ひな選手の発言を巡って「中国人の感情への冒瀆」だとして、中国で波紋が広まっている。
平和を思う気持ちが誤った形で広がる事態に
早田ひな選手(13日会見):
鹿児島の特攻資料館に行って、生きていることを、
そして自分が卓球をこうやって当たり前にできていることというのは当たり前じゃないというのを感じたい。
南九州市にある、「知覧特攻平和会館」。
79回目の「終戦の日」を迎えた15日も多くの人が訪れていた。
実際に早田選手の会見がきっかけに来訪したという家族も。
来訪した家族:
早田選手が言っていたので、家族の日常の幸せをかみしめる意味できょうは来ました。
知覧特攻平和会館 川崎弘一郎館長:
早田さんは24歳と若い方で、若い方が特攻資料館というのがどういうものか知っていただくきっかけになったと思います。
しかし、この早田選手の発言、中国では、違った捉えられ方をしていた。
中国メディアは、「特攻」は軍国主義による侵略の歴史の美化だとして、
早田選手の発言を「中国人の感情への冒瀆」だと報道。
さらに卓球男子金メダリストの樊振東選手の勧めで
8月12日に開設されたばかりの早田選手の中国版SNS・ウェイボにも…。
中国メディアによると、この発言があった翌日、
樊選手と女子シングルス銀メダリストの孫穎莎選手が早田選手のフォローを外していたという。
コメント欄には中国語で、早田選手を非難する書き込みが相次いだ。
「侵略者を崇拝することは、私たちの国民感情を傷つけ、受け入れられない」
「この悪名高い場所が軍国主義を呼び起こす場所であることを知っているのか?」
しかし、知覧特攻平和会館は、恒久の平和を祈念し建てられた特別な場所。
早田選手の平和を思う気持ちが誤った形で中国に広がる事態になってしまった。
(「イット!」8月15日放送より)
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特攻隊員、日本軍人=侵略者
という誤った認識を中共政府が国民に植え付けているため、
平和を思う心
が
軍国主義崇拝に置き換えられてしまう
という悲しい事態になっています。
早田選手からすると、
当時の同世代の若者
が赤紙で召集され、
国のために命を捧げた
という歴史的事実を考え、
スポーツができる
という今の時代は、
普通じゃない、恵まれたことなんだ
その平和に対する感謝の気持ちを伝えたい
という思いなんだと思います。
特攻隊員は、
20歳くらいの若者
で、
飛行機に乗るということは、必ず死ぬ
ということになります。
その若者の気持ちは、
他国を侵略してやろう
というよりは、
愛する家族を守るために
という気持ちだったと思います。
ちなみに、特攻隊は終戦間近の作戦で、
アメリカ海軍との戦い
であり、
中国は無関係です。
責められるべきは、
そういう非人道的な作戦を決定し命じた参謀本部
であり、
敗戦が確実となった後も、和平を強行しなかった政治家
です。
戦争に至る経緯は、
今のロシアーウクライナ戦争同様、理由がある
わけです。
被害者だと主張している中国も、
中共と国民党の内戦
で国内は混乱しており、
多くの人民を犠牲とし、非人道的な作戦も行っていた。
決して、人権保障が行き届いた国家などではなかった。
民間人を無差別に殺害することが国際法違反であれば、
原爆は、国際法違反であることは明らか。
しかも、2発も落とし、都市を壊滅させた事実は、
イスラエルがガザ地区で行っていることとどう違うのか。
当時の国際社会における
植民地政策において、アジア人をプランテーションで奴隷のように扱っている
ことも、
基本的人権などお構いなし
なわけです。
それは、歴史的事実であり、
自国を正当化するためには、日本を侵略国家とし、
原発を落としてでも、悪の帝国を崩壊させる
ことが、
国際平和に適う
という
歴史認識を共有する
ことが、
日本以外の国にとっては、好都合だった
というにすぎません。
そして、
こういった事実に基づく主張は絶対に認めないようにするため、
少しでも、疑えば、「修正歴史主義者」のレッテルを貼り、
軍国主義者として、パージする
ように努めたわけです。
そのため、
多くの優秀な学者は、パージをおそれ、東京裁判の歴史観に従う
ことになりました。
憲法学者の宮沢俊義は、「八月革命説」を唱え、東京裁判の歴史観を
理論的に武装する役割を果たしたことから、
変節した
と批判されましたが、
時代背景としては、やむをえなかった
わけです。
日本人にとって、
大切なことは、二度と戦争が起こらないようにする
ということです(目的)。
そして、そのための手段を模索するというのが、
平和を望む日本人が行う
ことです。
第二次世界大戦後、
中国人は、
チベットやウイグル人を迫害し、
台湾やフィリピンを武力により威迫し、
平和な社会に危機をもたらしつつある。
韓国も
竹島を武力で制圧し、現在も違法に占拠している。
にもかかわらず、自らの行動は棚に上げて、
日本人は、侵略者だ
というレッテルを貼り、
そのために有利となる
ので、
日本に謝罪を強制し、
国のために犠牲になった靖国への参拝や、
特攻隊員への感謝の気持ちを表明すること
については、
目くじらを立てて、批判する。
日本の歴史学者、政治家、メディアがしっかりと、
日本がなぜ戦争に巻き込まれたのか
日本が戦時中に行ったこと、他国が戦時中に行ったことの比較考察
戦後の占領政策の国際法による是非
東京裁判の検証
日本国憲法制定上の法的問題
について、
客観的な事実に基づき、中立的な立場で歴史的的検証を行ってこなかった
ことが、
日本人のアイデンティティに関連し、深刻な問題となっている
わけです。
メディアは、軍を応援する報道から、
自分たちは、軍人に脅されていた被害者だ
と、
手のひらを返し、自身を正当化し、
反日報道へと舵を切りました。
朝日新聞は、その変遷ぶりが顕著です(図書館で論調をみると、よく分かります)。
治安維持法で、
迫害されていた共産主義者も同様、
被害者の立場として、戦後、ほら自分たちが正しかったんだと、地位を回復した。
学者は、共産主義思想の人が多いのは、
レッドパージの反対の現象が日本では起きた(愛国者=軍国主義者として排除する)
ためです。
韓国人も、併合後、日本人として戦争を戦っていたわけですが、
日帝に脅されて、併合させられた被害者
であるという立場を主張し始めました。
本来は、日本人として戦い、他のアジア人より進んだ恩恵を享受し、
自らの意思で大学や行政に関与していた
わけです。
当時の愛国者は、日帝の成長を臨んでいたわけなので、
京城帝国大学から日本軍への志願も多かった
わけです。
だれもが出世して、良い暮らしがしたいと思っていたからです。
当時は、軍人がエリートの出世コースであり、
特別志願兵制度
により、朝鮮人日本兵にもその道が開かれていたわけです。
日本が敗戦したとたん、
親日派の財産を没収したり、
日帝残滓といって建物を壊し始めたり
する。
韓国人は、被害者でなければならないからです。
朴正煕元大統領が、満州国軍軍官学校の日系将校枠出願にあたり
「受験年齢制限特別免除」を求める血書嘆願書を提出したことは有名です。
自分にも日系将校枠に出願させろというわけです。
結局、歴史認識は、
個々人の判断によるところが大きい
と思います。
その国ごとに、自分たちの立場があるので、
都合の良いように歴史を書き換えたい
と思うのは、当然のことだからです。
ただ、
客観的な資料、証拠に基づく事実
は、
変えられない。
こういった事実をもとに、
どのような歴史を紡ぐかは、その国の国民によることになる。
思想は変えられない(思想・良心の自由)ので、
その人その人に委ねられる
からです。
ただ、
日本のように、そもそも歴史を語らなかったり、
他国の歴史認識を押しつけられて、無批判に受け入れたり、
他国に気を遣って、あいまいなまま、反論もしなかったり
すれば、
他国は、自分たちの歴史が唯一絶対のものであり、正しい
という誤解をより強固なものとすることになります。
慰安婦問題も、客観的な証拠としては、軍による強制は認められなかった。
朝日新聞の誤報により、日本は、偽の証拠(証言)を海外に示して、
誤解をより強固なものとしてしまった。
朝日新聞は、日本国民に心から謝罪し、
海外に対しても、
嘘の証言に基づく記事を書いて、誤載させてしまってすいません
と誤解を正す努力をすべきでした。
日本人は、あまり
第二次世界大戦のことを学ぼう
とはしません。
近現代史は、授業でも熱心にやらないし、試験にもあまりでない。
鎌倉幕府や江戸時代、明治時代の方が、試験に出やすい。
ただ、一番役立つのは、近現代史で、
世界史も19世紀から20世紀です。
平和な社会を作るには、
歴史を学び、
戦争が問題解決の手段として、最悪のものだ
という認識を共有することが大切だと思います。
ウクライナやガザの状況を見れば、
自国での復興はできない
ことは明らかです。
侵略国家も、莫大な予算と兵を犠牲にしている。
強制的に、
国から兵士として送り込まれ、
命を差し出さなければならない
人もいる。
何も分からないまま、逃げる術もなく、
いきなり命を奪われる民間人や子どももたくさんいる。
こういう犠牲になった人に対し、
哀悼の意
や
犠牲になったことへの敬意・感謝の気持ちを示す
ことは、
平和を願う気持ち
とつながると思います。
ウクライナやパレスチナに、
早く平穏な生活が戻ることを願っています。