ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

泣き笑い

2016年03月06日 | ゆきちゃんの日記
今日は日曜日!
一日パソコンをいじっていた由紀子さんですが

途中で探してる動画が見つからなくて
母に助けを求めてきました。

「無いの!!」
(。┰ω┰。)


長崎の人ならわかると思うのですが
○崎本舗の角煮まんのCMソング!(笑)

CMの動画はいっぱいあるのですが
いつも由紀子が見ていた動画が
無くなったらしいのです。


母が探してもなかったので
諦めるように言い聞かせて
納得したようだったので
その場を離れたら・・・

しばらくして、小さな泣き声が聞こえてきました。

(o;ω;o)ウゥ・・・


しまった!!
ついにパニックが起きるのか?
(´・艸・`;)ぁぁぁ



昨日は沈黙だけだったけど・・・ついにですか?!
疑心暗鬼


恐る恐る見ていたら
泣いていた由紀子が
急に笑い始めました。

( ̄▽ ̄;)ゞ…あは、あはは



カメラを向けたら涙をぬぐいながら
笑っていました。(笑)

泣いちゃったよ!!
ニャハハ (*^▽^*)


本当の泣き笑いです。(笑)


以前なら、完全にパニックでしたね?!

やっぱり、由紀子の中で
何かが変化しているのでしょうか?


その後、探していた動画も見つかって
今日もご機嫌の一日でした。


この笑顔が一日でも長く続きますように!!


※今日も「就学の記録」を更新しています。

=END=
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就学の記録 その5 養護学校の見学、

2016年03月06日 | 就学の記録
これは18年前、由紀子が保育園の年長さんの頃に
小学校入学に向けて私が行動した時の記録です。
あくまでも由紀子の母として
見たり、考え、感じたことを書いています。
その事をご理解の上お読みください!



就学の記録もその5となりました。
長い!(笑)

でも、まだ続くんですよ!!
(*^m^*) ムフッ

興味が無い方は飛ばしてくださいね!

でも、通常の日記も書いているので
そちらは読んでいただけると嬉しいです。

m(_ _*)mおねがいします



当時は五島列島の福江島に住んでいたので
地元には養護学校はありません。

養護学校は海の向こうです。


長崎市の養護学校には寄宿舎が無かったので
五島からの選択肢は
寄宿舎のある大村市の養護学校しかありませんでした。

大村市・・・現在私たちが住んでいるところです。
そして、見学をした養護学校は数年後に建て替えられて
名前も変わりました。
そして、由紀子は中学部からその学校に通いました。

見学に行ったのは
6月の初めでした。

・・・・・・・
福江を7:50分のジェットフォイで出て
K養護学校についたのは11:00だった。

迎えて下さったのは主事の先生。
先生に最初に案内していただいたのは体育館だった。
ちょうどお遊びの時間で、
この時間に私が間に合わなかったらどうしようと思っていたといわれていた。


1.体育館

体育館の中にはとてつもなく大きな滑り台と、
天井から下げられたブランコなど
見た事もないような大きな遊具が作られていた。

いろいろな障害をもった子どもたちが先生たちとその遊具で遊んでいた。


ダウン症の女の子がブランコに乗っていたが、
バレーボールのコートの端から端まで揺れるブランコを
怖がる事もなくニコニコしながら乗っていた。

大きな滑り台も体育館の天井にとどきそうな高さで、
幅も3メートルはあったと思う。

長崎大学の土田先生が感覚統合でかかわっていらしゃる事は
以前から聞いていたけれど、さすがにすごいと思った。

子どもたちの楽しそうな声とニコニコした顔がとても印象的だった。
普通の小学校にはないのびのびとした時間があった。
本当に楽しそうだった。


2.教室

学校の中は高等部などがプレハブで建っていたりして、
なんとなく狭く、ごちゃごちゃした感じがした。
そして、普通の学校に比べるとなんとなくこじんまりとした教室が並んでいた。


1年生の教室には6人の子どもたちが居た。

いろいろなところから集まってきた子どもたちを
1人ずつ紹介してもらったが、その中に福江から来たT君もいた。

彼とは時々バス停などで顔を合わせていたけれど
いつも泣いていたし、
お母さんもなんだか疲れたような顔をしていて、
とても声をかけられるようなムードではなかった。


その彼がここではニコニコと、とてもいい顔をしていた。
最初、分からなかったくらいだ。

「お友達できた?」と声を掛けたら
「うん」と返事をしたのが印象的だった。

寄宿舎入っているのでかわいそうだと思ったが、
あの笑顔なのだからきっと
先生方に可愛がってもらっているのだろうと思った。


1年生の教室で行われていたのは「身辺自立」の訓練だった。
洋服の着替えやトイレなど……、マンツーマンで練習していた。

「身辺の自立ができている子が入ったらどうなりますか?」と質問したら

「個人個人の能力に合わせたカリキュラムを組んでやっているので
それは心配ありません」との答えだった。
ここは個人の能力を伸ばすための学校なのだとあらためて思った。


ただ、教室の中に子どもの声がない事がとても気になった。
言葉を持たない子どもが多いせいなのだが、
由紀子がここに来たとしたらあまりにも刺激がなさ過ぎると思った。

授業時間が終わったとき教室から女の子が出てきて
「ダッコ」と手を出してきた。
抱き上げると首に手を回してギュッと抱きついてくる。
お母さんを思い出したのだろうか?
私は由紀子の事を思い出していた。


3.寄宿舎

五島からという事で寄宿舎も見せてもらった。

私は寄宿舎に入れてまで養護学校にやる気はなかったが、
参考のために見せていただく事にした。

8畳ほどの部屋に5・6人の子どもたちが入っているそうだ。
縦割りで、いろいろな年の子どもたちが同じ部屋になるらしい。

とてもきれいに片づけられた部屋だった。
おもちゃ1つなくて、たんすも作りつけなので四角い部屋に何もない。

これを見たときに急に胸が苦しくなるような、悲しい気持ちになった。


由紀子の現在の生活は好きな本やおもちゃに囲まれ、
散らかしもするがいろいろなものにふれて生活している。
ここの子どもたちは何もないこの部屋で何をして過ごしているのだろう。

もちろんテレビを見る部屋や、遊戯室は別にあるのだが、
私には由紀子をここで生活させる勇気はないと思った。


1年生の子どもがここに一人置いていかれたときの、
慣れるまでの気持ちを思ったら泣き出したいような衝動にかられた。


一通り見せてもらったところに中等部の子どもたちが合宿訓練から帰ってきた。

主事の先生を見つけると数人の子どもたちが駆け寄ってきて
「先生○○君は?」と話しはじめた。

障害があるのだろうかと思うくらいしっかりした口調で話す子どもたちだった。
中学部なると、会話のできる子どもたちも養護学校に入ってくるようだ。


4.感想

主事の先生はとても親切な先生で長い時間ずっと私について案内をして下さった。
そして就学の事について熱心に相談に乗って下さった。

普通学級の中でやっていくとしたら
40分の1しか手を掛けてもらえない事を覚悟しなければならない事。

特殊学級に入ったとしても
先生の考え方がしっかりしていなければ
お守りをしてもらうだけの生活になりかねない事。

どこを選んだとしても先生の意欲によるものが大きい。


分かっていた事だけど現場の先生にあらためて言われると
また考え込んでしまう。


養護学校に入れれば安心できるのかもしれないと思った。
でも、由紀子にとっては小学部の生活はあまりにも刺激がないと思った。

由紀子は耳からの刺激が良く入る子どもなので、
教室の中に子どもたちの会話がないのは困ると思ったし、
由紀子のためのカリキュラムを組んでいただいたとしても
回りの子どもたちとの関わりを考えると物足りだろうと思った。

でも、中学部の様子を見ると会話もあるし、
子どもたちもしっかりしていて活気があるように見えた。
できるなら中学校は養護学校にやりたいと思いながら帰ってきた。

もちろん私たちも転勤してついていくつもりです。
そして最終目標は養護学校の高等部だと思った。

・・・・・・


私が見学に行く数年前に高等部が新設されて
運動場に仮校舎を建てていたので
学校はかなり手狭な感じでした。

見学をした5年後に現在の場所に建て替えられて
県下で一番大きな養護学校(特別支援学校)となりました。

寄宿舎も建て替えられて
比べ物にならないほど明るくてきれいな場所に変わりました。


寄宿舎への感想については
いま読み返してみて

部屋を見ただけでは何が分かったの?!

と、自分に突っ込みを入れたくなります。(笑)

由紀子を手元から離したくないと言う気持ちが
全てを否定していたような気がします。
でも、その当時の正直な気持ちなので
そのままここに書きました。



養護学校の小学部の先生方は
全員が障がい児教育の専門家ばかりなので
すごく頼りになる感じがしました。

体育館の遊具では
先生方が子どもたちと一緒に身体を動かして
遊んでくれるので
子どもたちがすごく楽しそうで
笑顔がいっぱいだったのが印象的でした。


一番参考になったのは主事の先生の
普通学級と特殊学級についての言葉でした。

学校見学でなんとなく感じていたことを
はっきりと指摘されて
迷いは本当に強くなりました。

でも、この学校の見学をして
由紀子を中学部から養護学校へやろうという
気持ちが芽生えて
結果的にはその通りになりました。


・・・つづく・・・
コメント (2)
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