真の動物福祉牧場を目指して

ねむれ嘩祀(カーシー)

 カーシーの火葬場にある「聖なる火」は、3500年前から絶えずに燃え続けているそうで、その火に焼かれるコトによって人は輪廻から解脱できるとされています。

 こう聞くと、ずいぶん簡単に解脱できる宗教に聞こえますが、それだけヒンドゥー教では安易にファンタジーが信じられており、それはシビアな現実から逃避する手段にもなっています。

 インドの現実はシビアですが悲壮感はあまり無く、人々はみんな「自分の人生を生きている」といった充足感を持っている様に見受けられます。
 それは「足るを知る生き方」で、多くを求めない美徳がヒンドゥー教にはあるようです。

 これは「葉っぱ」の作用とも考えられ、麻には些細な物事でも感謝して味わえるようになる効果があり、ヒンドゥー教ではこれを儀式に活用しています。
 
 これはプリミティブ(原始的)な感じの儀式で、子供のママゴトのようでもありますが、生活の一部となっていて彩りと充足感を与えてくれます。
 インドはこの伝統を失うべきではなく、宗教心を保ったまま発展して行って欲しく思います。

 そうした発展はこれまでの様な、大量消費による環境破壊的なモノではなく、少欲知足によるエコロジカルな発展になるコトを期待します。
 この先駆けとしてシッキムは完全有機農業の州となり、そこの紅茶はインド中に流通し、インドではどこでも美味しくて健康的なチャイが飲めます。

 こうした食物と国民性の関係は研究テーマにもなっており、健康的な食物を取っている国民は幸福度が高いとされています。
 この尺度から見るとインド人はアメリカ人よりもずっと幸福で、その悠久の歴史が育んだカレー料理はこれからも進化して行くコトでしょう。

 話をタイトルの「ねむれ嘩祀」に移しますと、これはたまたま今回バナーラスの本屋で入手した金子光晴の「ねむれ巴里」に感銘を受けて付けました。
 その詩的な文章は実に味わいがあり、大正時代の日本の芸術家達のコトを知れて面白かったです。

 「ねむれ巴里」はそうした無数の芸術家達へのレクイエムで、「ねむれ嘩祀」もカーシーに涅槃を求めてやって来る人達へのレクイエムとして、3回シリーズで描いて行こうと思います。
 

 
 
 
 
 

 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「農業」カテゴリーもっと見る