まずは一般的な話から入ります。
このコラムでは、人は100%脳神経を活用しており、それはとても複雑なので如何に秩序立たせるかが脳力を発揮するカギだとしています。
その為には目標を持つコトが肝腎で、人の脳は無目的ではモチベーションが上がらず、下らない娯楽に流れてしまいます。
なので、教育には善い目標を伝える使命があり、それが教育の最高目標と言っても良いでしょう。
ここで早速、チベット絶滅収容所に於ける「再教育」に話を移します。
物語では、再教育の対象がチベット人から解放軍兵士へと逆転し、中共による洗脳とPTSDを洗い流すコトが当初の目標となります。
この再教育を率先して受けたのは収容所所長の王全国(ワン-チェングオ)で、彼が行善(シンシャン)によって洗脳を解かれた経緯は前に語りました。(「全国の折伏」で)
しかしまだPTSDにまでは踏み込んでおらず、チェングオは密偵として日本軍に潜入していたので、修羅場の数は部下達の数十倍は潜っているとします。
そうした「殺すか殺されるか」と云った経験をしっかり総括して、心に畏れを懐かなくするには、より強く心に残るポジティブな経験を積む必要があります。
ここではチベット寺院で毎朝行われている儀式をフィーチャーしようと思い、その場所は2万人もが一堂に座れる必要性から、広い中庭にしようと思います。
中国の昔ながらの建物にはたいてい中庭があり、収容所もほぼ全てそうした造りになっておりました。
チベット高原では滅多に雨や雪は降らず、太陽が低地よりも強く照りつけます。 そのため冬でも日中は外で過ごせ、毎朝の勤行とそれに続く唱題行はずっと夜まで行われるとします。
2万人居た囚人は既に数百人にまで生存者の数を減らしていますが、死者達も中庭に共に座り続け、49日間のバルドゥ(中有)が過ぎたのちでも死者の魂は中庭に留まり続けて、最後の1人が旅立つまで儀式に参加します。
この特別な儀式に兵士達も参加させられ、一緒に世界平和を祈るコトで洗脳は解かれ、PTSDも解消します。
脳には可逆性があり、人はみな子供の頃には純粋な優しい心を持っていて、それを思い出す祈りの言葉「南無妙法蓮華経」をみんなで代わり番こに連呼します。
物語は一旦ここまでとし、最後に「脳の可能性」で締めます。
脳はほぼ全ての人の行いを決めているので、それは「人の可能性」と同義にも捉えられます。
人は様々な個性を持っていますが、脳の仕組みは基本的に共通するので、互いに共感できるポテンシャルがあります。
人はどこまで他人と魂を共有できるのか? 私が「祥(シャン)」章で描きたいテーマはそこで、最期までハンガーストライキをしながら祈り続けたチベット人達と、解放軍兵士達の心の共鳴を描きたいと思います。