日本で「即身成仏」した人としては真言密教の空海が有名で、今でも一部の人達にとって空海は生き続けています。
密教については以下のコラムが善く解説しており 密教は当時最先端のライフスタイルだった?、インドの善無畏という人が創始者みたいです。
このコラムによると密教の教えでは、人は本来みな仏性を持っており、それを覆い隠す霧さえ晴れれば成仏できるとしています。
しかしこの霧を晴らすのは難しいとされ、その方法として真言を取り入れています。
日本では真言が過剰に神秘化されていて、その意味が一般人には伝わってない感がありますが、チベットでは普通にみんな意味を知っています。
私も水風呂に入った時などに、気が引き締まってよく真言を唱えるのですが、そのサワリを紹介しますと…
ラプタンヨメーニャムシャクメロンゴク(清浄なる禅定の境地にて) タテルドゥーメートンペーゴムツァルブム(迷いや欲望から離れ本性に還り) シェードプケサルグーぺーサツェンキュン(仏性の知慮が得られますように)。
トゥーキグーぺームンツォクタクシンネー(俗世間の闇から離れて) ラルヤンウーチューニューチューキュンジャンテ(再び光明と一つになり) デキーナンワタルウェーゲツェンツェル(幸福を広める仕事が出来ますように)。…と続いて行きます。(「実践·チベット仏教入門」より)
一方、日本には即身成仏をインド語の「ポア」として宣伝した宗教団体もありましたが、その創始者(麻原)は見苦しく生き恥を晒してポアの神聖さを貶めました。
彼はもう処刑されましたが、その罪(毒ガステロ)をしっかり総括するコトも出来ず、宗教そのものをも貶めた感があります。
やはり宗教はあるていど伝統を尊重すべきで、密教を修行するならば麻原なんかよりも善無畏の教えを尊重すべきだと思います。
仏教の本質は「畏れを無くす」コトにあり、「善く無畏を施す行い」を行善は常に心がけて生き、とうとう最期には成仏します。