だいぶ時が経っているので、まずは阿歩の旅をザッと振り返らせて貰います。
アポ-の姉リンリン(美鈴の幼名)と日本人情報将校(通訳)の聖司は「日中友好の華」と讃えられた仲で、アポ-は2人から日本語を習い10才にして堪能となり、日中の架け橋として期待される少年でした。
しかし、日本を内戦に引き込むコトで活路を見い出そうとした紅軍の曹希聖(ツァオ-シーシェン、実在人物)により、毒ガステロの応報という悲劇が巻き起こされて美鈴と聖司は亡くなります。
村で只一人生き残ったアポ-はリンリンの亡骸の元で泣き叫び、その嘆きには日本兵達も涙を禁じ得ず、口封じで殺す命令に従わずに阿歩を日本人僧の元へ預けます。
華北の仏教聖地「五台山」に当時は日本山妙法寺の草庵があり、そこで単身ご修行されていた行雄師(ぎょうゆう、実在)に育てられ、アポ-は15才にして得度し行善(シンシャン)と名付けられます。
行雄師と行善は毎日、太鼓を打って唱題しながら五台山を一周し、山頂にあるチベット寺院で2人は特に歓待されます。
行善は同じ年頃の僧が多く居るチベット寺院で友を得、チベット語も堪能になります。
一方、行雄師は日中間の戦争を調停しようと戦地で太鼓を打ち回り、そうした御修行をされた日本山の僧はみな殉教されました。
行善は行雄師の太鼓を引き継ぎ、これは最期まで彼の手元に残ります。
その後、革命が起こり政権を握った中国共産党(ドン)は宗教を根絶やしにし、五台山では少林寺がこれに立ち向かいます。
行善も外気功の才を買われヒーラー部隊に入りますが、紅軍には歯が立たずに聖地は踏みにじられます。
五台山は監獄と化しますが、モンゴル騎兵隊により救出されて、行善は愛新覚羅傑(仁)と出会います。
似た境遇の2人は強く結ばれ、行善はヒーラーとしての「共感の技法」で仁のトラウマ(長春包囲戦)を癒します。
その後もモンゴル騎兵隊は紅軍と転戦し、チベットで果敢に戦っていた優樹(ユーシュー)に駆けつけてケチャ達を助けます。
彼等は次々と監獄を解放して回り、その中には「大躍進政策」を是正して失脚した曹希聖や、集団農業の大失敗をリカバーしようとした蔡恩諧(農聖サイオン、実在?)も居りました。
こうした人材に加えて、チベットでボランティア医として活躍していた孫文徳とトゥルク(転生活仏)のサラも優樹に駆けつけ、そこはドンの支配から逃れる人達のシェルターとなります。
仁と行善は王と法王に祭り上げられ、優樹は国として5年間の平和を保ちます。
しかしドンは、開発したばかりの核兵器を難攻不落の谷に落とし、仁はその戦いで果てて優樹国は占領されます。
行善と希聖は潜行し中国に戻って、そこで「文化大革命」の嵐を鎮める為に希聖は自らの命を捧げます。
彼の葬儀はチベット式に49日間の「バルドゥ祭」として行われ、行善が儀式を取り仕切り希聖の魂を昇天させます。
こうした苦難の旅の末にシンシャンは真の法王となり、最期の修行の場として優樹絶滅収容所に臨みます。
そこで彼は所長の王全国と義兄弟になり、修羅界だった収容所を浄土に変えます。
これで一応、一年間の物語りの流れを振り返れました。
こうした人生の旅で多くの苦しむ人達と交わって、シンシャンの「共感の技法」は磨かれ昇華しました。
その外気功の力は遠隔治療をも可能とし、みんな先に逝った登場人物達の後押しも受けて、120日間の「即身成仏行」を完遂させます。
今回は長くなりましので、この「行」については次回に語らせて貰います。